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冷たい男 第5話 親友悪友

"冷たい男"と彼は町の人達から呼ばれていた。

 親しみを込めて。

 彼は、生まれ落ちた時から身体が冷たかった。
 
 触れた相手を凍えこごえさせてしまうほどに。

 その手に触れられると骨の芯まで身体が震え、長く触れると皮膚が凍てついてしまう。

 食べ物を口の中に入れるとその途端に冷凍し固まってしまう。

 生まれてすぐに助産師を凍えさせてしまった彼を当然、病院は精密検査したが体温が異常に冷たい以外の異常はなく、検査の結果、"正常"と判断された。

 彼は、体温が凍えるほどに低いだけのただの人間であると医学が証明した。

 体温が異常に低いだけの普通の男の子として普通の生活を送っていった。

 普通の小学校に通い、友達と遊び、町内会のお祭りや運動会と言ったイベントに参加し、順風満帆とは言えないまでも平穏な生活を送っていた。

 今日の少女は、終始ニコニコだった。
 暦としては立冬を超えたが近年の暖冬でダウンやセーターはまだいらない。秋を感じさせるような暖色系かシックな暗めの上下を合わせるだけで十分にお洒落を感じさせる季節だ。
 少女は、ドット柄のキャミソールワンピースの上に少し大きめの黒のニットを重ね、薄紫の丈の短いアウターを着ている。
 少女の愛らしさを十分に引き立てる可憐な装いだ。
 冷たい男も赤茶色の登山風スニーカーにグレーのスラックス、三日月に乗って釣りをする兎の描かれた紫のTシャツ鮮やかな糸が波のように縫い込まれた白いパーカーを羽織っている。
 普段、仕事で暗めのスーツばかり着ているからか随分と明るい印象を与えている。
 両手に嵌めた白い手袋だけがいつも通りだ。

 お洒落な格好をした2人から見て取れるように今日はデートだ。
 
 それも久しぶりの。

 冷たい男は、葬儀会社で夜勤も含めて忙しく働き、少女も日中は大学に通い、夜は週に3回ほど塾の講師のバイトをしていた。

 それでも同じ町に住み、少女の父親が経営する会社で働いているので週のほとんどは顔を合わせているから寂しさはないのだがお互いに忙しく中々にデートに漕ぎ着けることが出来なかった。
 しかもついこの間まで冷たい男は大怪我を負って入院していた・・・。

 つまり今日は待ちに待ったデートだったのだ。

 少女が気合入っているのは言うまでもない。

 綿密に綿密なまでのデートプランを雑誌と睨めっこしながら相談し、冷たい男の運転する車で街に繰り出した。
 午前中は、公開前からずっと見たかった映画を観に行った。
"魔女の手紙"と言う日本が誇る児童文学書の実写映画だ。
 学校の図書室や学童の本棚にも置いてあって少女も冷たい男も愛読しており、実写映画のニュースが流れた時は必ず見に行こうといの1番に約束した。
 つい先日、原作者が行方不明になると言う事件が起きたが映画は無事にクランクインすることになった。
 映画の出来は言うまでもなく最高だった。
 特に主人公の女の子役の女優さんがまさに主人公そのままで感情移入し過ぎて終わった後には大号泣していた。ただ、冷たい男が少し悲しそうな表情をして映画館の天井を眺めた。多少なりとも事情を知っているだけに少し気になったが、その後はいつもの穏やかな笑顔に戻った。
 その後は、また車を走らせて街から少し離れたところにあるカフェに行った。
 県でも有名な桜の名所として知られる公園の近くにある古い家屋を改装した清廉した雰囲気の漂う古民家カフェで最近では旅行雑誌なんかにも度々掲載されている。縁側を改造したテラスからは春なら桜が、今の季節なら心を穏やかにするような温かな紅葉が見られる。木造のお寺を連想させるような店内にコーヒーの香りが漂う。
 そしてなんといってもお店の名物が卵とミルクたっぷりのフレンチトーストだ。
 少女は、席に着くやフレンチトーストを二人前注文する。その内の1つを焼き上がってからさらに電子レンジで10分以上、加熱して下さいと店員にお願いすると首を傾げられた。
 いつもの事なので気にもしなかった。
 フレンチトーストを運んできたのは190はあろうかという背の高い男性で胸のプレートに店長と書かれていた。整った鼻梁に厚めの唇、そして綺麗な二重の目、どこをどう転んでも間違えのない美男子だ。
 店長は、鍋つかみを右手に嵌めて熱々で湯気が勢いよく立ち昇るフレンチトーストを冷たい男の前に置く。
「こちらでよろしかったのでしょうか?」
 店長が形の良い眉を顰めて聞いてくる。
 恐らく滅多にない、いや恐らく初めての注文方法だったので間違いがあった時の為に出てきたのだろう。
 冷たい男は、にっこりと微笑んで「間違いないです」と答える。
 すると、周りから小さなため息が幾つも漏れるのが聞こえる。見渡すと客たち、主に女性客が冷たい男と店長のやり取りに見惚れていた。
 確かにこれでもかと言うほどの美男子の店長と微笑の似合う愛嬌のある顔立ちをした冷たい男のやり取りは絵になる・・絵になるが。
「早く食べよう!」
 症状は、ぶっと頬を膨らませて冷たい男を促す。
 店長は、何か察したのか「ごゆっくり」と言って奥に戻っていく。
 冷たい男は、少女の態度の意味が分からず眉を顰めるが何も聞かずにフレンチトーストを口に運んだ。
 雲を口に入れたような柔らかな食感とひたすらな甘さが口を包み込む。
 絶品と呼ぶに差し支えない。
 少女の顔に笑顔が戻る。
 2人は、無言で、しかし、楽しみながらフレンチトーストを食べた。
 店の奥を見ると店長が小さくて猫のような愛嬌のある顔立ちの女性と話していた。
 会話は聞こえなくてもその仲睦まじさから夫婦である事が伺えた。そして女性の両手にはその証とも言うべき小さな命が抱かれていた。
 その静かで美しい光景に少女はしばし目を奪われていた。

 いつか・・・・。

 少女は、頭に浮かんだ妄想に頬を林檎のように赤らめ、忘れようとフレンチトーストを口に詰め込んだ。
 冷たい男は、そんな少女の表情の変化を面白そうに見ていた。

 カフェを出るとデートの締めくくりとして選んでいた屋内動物園に向かおうと公園内にある駐車場に向かっていた。
 
「よっご両人」
 
 2人の足元から声が聞こえた。
 2人は、同時に足元を見る。
 そこにいたのは1匹の茶トラ猫だった。
 小山のように尖った耳、銀杏のように艶のある輝いた金がかった茶色の毛、大きな丸い目、そして首に付けた燃え上がる炎のような輝きを放つ鈴を付けたアクアマリン色の首輪。
 その茶トラ猫を見て冷たい男は嬉しそうに笑みを浮かべる。
「火車さん」
 冷たい男がそう呼ぶと茶トラは嫌そうに丸い目を細めて「火車言うにゃ!」と言う。
「あんたこんなところで何してんの?」
 少女も輝くような笑みを浮かべて身を屈めると茶トラの喉元を優しく撫でる。
 茶トラは、目を細めて気持ちよさそうに喉を鳴らす。
「相変わらず撫で方がプロフェッショナルにゃ」
 茶トラは、リラックスしすぎてそのまま腹ばいに寝転がる。
 そのお腹を少女は、細い指先を使って擽る。
「あんたどうやってここまで来たの?」
「2人の気配を辿って"抜け穴"を使ってきたにゃ。一度来たとこにいてくれて良かったにゃ」
"抜け穴"と言うのは良く分からないが恐らく火車の秘奥か何かなのだろうと思い冷たい男は納得する。少女は、良く分からないままであったが可愛いから良しと思い、そのまま肉球をマッサージしだす。
 茶トラは、気持ち良すぎてそのまま眠りに落ちかける。
 それに気づいた冷たい男は、慌てて声を掛ける。
「火車さん!」
「火車言うにゃ!」
 茶トラは、目を大きく覚醒させて怒鳴る。
 あまりの態度の変化に冷たい男は、苦笑するも話を戻す。
「何か用事があって来たんじゃないんですか?」
 冷たい男に言われて火車は、はっとカギ尻尾で地面を叩く。人間で言うところの握った手で手のひらを叩く仕草と言ったところだろう。
「そうそう忘れるところだったにゃ」
 茶トラは、身体を起こして少女の揉んでくれた肉球を舐める。
 少女は、至福の時間が終わって残念そうに眉を顰める。
「ミーのペットが帰ってきたにゃ」
 ペットと言う言葉に冷たい男は、ぷっと吹き出し、少女は、ふうっとため息を吐いて肩を竦める。
「ハンターが?」
「あいつもう帰ってきたの?」
 茶トラは、頷く変わりにカギ尻尾を振る。
「会いたいから来てほしいそうにゃ」

                 つづく
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