「疾れイグニース!」第34話
「あら、凡田教官? おはようございます」
自らのデスクに座り、腕を組む凡田に並川が挨拶する。
「あ、ああ、並川教官、おはよう……」
「随分とお早い到着ですね、それにそのお姿はジャージ?」
「別に私がジャージを着ていてもおかしくはないでしょう?」
「そ、それはそうですが、今日は外のコースでの訓練はBクラスとCクラスの合同訓練の予定だったはずでは……?」
並川が首を傾げる。凡田は説明する。
「鬼ヶ島主任と仏坂教官が急な出張が入った為、私が仏坂教官の代わりということになりました。いや、主任もいないわけですから主任代行ですな」
「主任の出張は知っていましたが、仏坂教官もですか? 凡田教官ではなく?」
「ええ、彼が申し出てくれました。まあ、彼にも仕事をこなしてもらわないと……」
「は、はあ……」
「他になにか気になる点が?」
「Aクラスの座学はどうされるのですか?」
「自習です」
「えっ?」
「彼らはとても優秀です。自主的にでも勉強するでしょう」
「そ、そうでしょうか?」
「そうですとも!」
「し、しかし、人の目が無いと若い子はどうしてもサボってしまいがちです」
「Aクラスの面々に限って、そんなことはあり得ない!」
並川に対し、凡田は根拠のない自信を見せる。
「そ、そうですか……一応、通常課程の教官の皆さんでどなたか空きがないか……あっ空いていますね。しかも主任から既にお願いがしてあったみたいです」
「む……」
「良かったですね」
「ま、まあ、それは何よりです……訓練場に向かいますぞ」
「す、少し早くないですか?」
戸惑う並川に対し、凡田は声を上げる。
「学生の範たる我々には万が一にも遅刻など許されません! 今の内から待機しておくべきです!」
「し、失礼しました! すぐに着替えて参ります!」
「お先に訓練場でお待ちしておりますよ……」
凡田はわざとらしく大袈裟な足取りで教官室を出ていく。
「Bクラス、全員揃いました」
「Cクラス、全員揃いました」
Bクラスのクラス長と海の言葉に凡田は頷く。
「ふむ……教官の凡田である。Cクラスの諸君とはこういう形で、向き合うのは初めてになるな……私は普段は優秀なAクラスしか見ていないからね。私の指導を直々に受けられることを光栄に思いなさい……って、そこの君!」
「はい~?」
凡田は翔を指差す。翔はぼんやりとした様子で答える。
「君、今、欠伸をしただろう?」
「え? 眠い眼をこすっただけですよ~」
「同じことだ! 君は天ノ川翔君か……少しばかり優れているからと言って、調子に乗っているようだね」
「別にそんなつもりは……」
「寝坊・遅刻の常習犯ということも聞いているぞ!」
「……お言葉ですが、最近は大分改善されてきましたわ」
「撫子飛鳥君……今、君の意見は聞いていない。改善といっても大分だろう? しかも最近……そんなことでは困るのだよ。おかしな学生を輩出したら、この競竜学校騎手課程短期コース全体の資質を疑われることにもなりかねないからな」
「そもそも資質が疑わしいのはアンタだろう……」
「大体、そのだらしねえ腹、まともにドラゴン乗れるのかよ……」
「そこの二人、なんか言ったかね?」
「文句を言いました」
「悪口を言いました」
凡田に対し、嵐一と青空は悪びれもせず答える。凡田は面食らう。
「んなっ⁉ こ、これは……Cクラス、かなりの問題児揃いのようだね……もういい、Cクラスの者たちは午前中ずっと走っていたまえ、罰走だ!」
「! そ、そんな……」
レオンが絶句する。
「それはいささか横暴かと……」
「君は?」
「Cクラスのクラス長、三日月海です。クラスメイトの失礼な態度についてはクラス長としてお詫びします。申し訳ございませんでした」
海が深々と頭を下げる。
「ふむ……」
「せっかくの凡田教官の指導を受けられるまたとない機会です。どうか、私たちにも訓練参加をお許し下さい」
「そうは言ってもだね……」
「このCクラス、おっしゃる通り、問題児揃いですが……」
「うん?」
海が凡田の耳元に顔を近づけ、小声で囁く。
「競竜界では知らぬものの無い天ノ川家と撫子家のお子さん、両家には及びませんが、競竜一家出身の金糸雀君、元高校球児のスターである草薙さん、さらに竜術競技からの転向で大いに注目を集めている紺碧真帆さんがいらっしゃいます」
「……何が言いたい?」
「メディア関係にもそれなりに顔が利くと同時に、ある意味で注目度が高い特殊なクラスです……突然現れて、一方的な上からの物言いをした挙句、前時代的な連帯責任での罰走の強要など、もしも外部に漏れたりしたら……」
「あ~分かった、みなまで言うな」
凡田が少し慌てる様子を見せる。海が列に戻る。真帆が小声で尋ねる。
「海ちゃん、なんて言ったの?」
「いえ、別に大したことではありません」
「え~ま、まあ確かに、せっかくの機会だ、全員罰走というのは取り消す。Cクラスも訓練に参加したまえ。では、各自厩舎からドラゴンを連れてきなさい」
「はい!」
全員が厩舎に向かう。訓練が始まってしばらくした後、凡田が並川に尋ねる。
「並川教官、Bクラスで芝コースがもっとも得意な二人は誰ですかな?」
「え? ……ああ、あそこの二人です」
「そうですか。そこの君たち! 少し良いか? ……よし、全員集合!」
「……?」
凡田の呼びかけに全員が各自の訓練を中断して凡田の下に集まる。
「今からレースを行う! Bクラスのこの二人と、私と並川教官、そして、Cクラスの天ノ川君、クラス長と副クラス長の男女二人、計八人が参加だ」
「!」
突然のことに皆がざわざわとする。
「あ~静かに、呼ばれたものはあそこのゲートに。残りの者は見学していたまえ」
皆がゲート前に集う。並川が凡田に尋ねる。
「凡田教官、これは……?」
「ははっ、半分余興ですのでお気楽に、並川教官は逃げてくださいますかな? ペースメーカーをお願いしたいのです。さあ、先にゲートにどうぞ」
「はあ……」
「Bクラスの二人! ちょっと来たまえ」
凡田がBクラスの二人を呼びよせ、何やら告げる。
「ええっ⁉」
「そ、それは……」
「これも訓練の一種だ……プロになっても、オーナーや調教師の指示通りにドラゴンを走らせられないというのならお話にならないぞ」
「は、はあ……」
「わ、分かりました」
「結構、ゲートに入りたまえ。さて……」
凡田がCクラスの四人に近づく。海が尋ねる。
「なにか? 奇数番号の方から先にゲートに入って頂かないと……」
「先ほどは皆の手前、ああ言ったが……天ノ川君」
「はい?」
「やはり君の授業態度や生活態度は目に余るものがある。そうだな……このレースで一着にならないと、君には月末に一人で厩舎の掃除をしてもらおうか」
「!」
「げ、月末って、東京レース場の模擬レースと日程が重なるじゃないですか⁉」
炎仁が驚きの声を上げる。
「それがなにか? 結果を出してくれればそれで構わない」
「……分かりました」
翔が返事をする。凡田が笑いながらゲートに向かう。
「はっはっは! それでは、良いレースにしようじゃないか」
「大丈夫かよ……」
「まあ、やるしかないんじゃない?」
「……ゲートに入りましょう」
青空の問いに翔は飄々と答える。海が促してCクラスの四人がゲートインする。しばらく間を置いて、レースがスタートする。並川のドラゴンがハナを切る。
「⁉」
翔騎乗のステラヴィオラの後方と右側をBクラスの学生が騎乗するドラゴンが、そして前方を凡田のドラゴンが塞ぐようにして走る。左のラチギリギリに追い込まれている為、翔は四方を塞がれている状態になってしまう。凡田が笑う。
(ふふっ、どんなに優れていようが、こんな状態を打破することなど出来まい!)
「くっ……」
流石の翔も苦しそうな顔を見せる。
「ちっ、汚ねえ真似を! 待ってろ! 今助ける!」
「ははっ、助ける? どうやって? やれるものならやってみろ!」
青空の叫びを凡田は笑い飛ばす。
「ふん!」
「「⁉」」
「なっ⁉」
後方から迫る青空とサンシャインノヴァが発する気合いに圧され、Bクラスの二頭がやや列を乱し、ステラヴィオラの包囲が少し緩む。青空が舌打ちする。
(凄んでみたが、関西のなんちゃらフレイムの奴みたいには上手くいかねえか!)
「良いぞ、青空! 包囲が緩んだ! 天ノ川君! 抜け出せないか⁉」
「む、無茶を言うね! これだけの隙間ではまだ不十分だ!」
炎仁の言葉に翔が戸惑う。
「ならば名前の如く翔けてみせろ!」
「⁉ やってみるか!」
炎仁の檄を受け、翔が不敵な笑みを浮かべる。凡田が戸惑う。
「な、なにをするつもりだ⁉」
「はっ!」
「なんだと⁉」
翔がステラヴィオラを羽ばたかせ、右斜め前方に華麗に着地させる。炎仁が叫ぶ。
「よし、見事だ!」
「君の騎乗を参考にさせてもらったよ!」
「ぐっ……しかし、時間は稼いだ! 今更抜け出しても先頭には届かん! なっ⁉」
前を見た凡田が驚く。並川のドラゴンのポジションが下がっていたからである。
「三日月さんが上手く競り掛けて、ペースをかき乱してくれた! 天ノ川君!」
「ああ、これなら届く!」
「くっ、舐めるな、青二才が! 追い比べならまだ負けん!」
直線に入り、ステラヴィオラを交わし、凡田騎乗のドラゴンが先頭に躍り出る。
「……」
「ははっ! どうした、スタミナ切れか⁉ 包囲網を抜け出すのに力を使ったな!」
「……もう少し痩せた方が良いですよ、ドラゴンがしんどそうだ」
「なに⁉」
「はっ!」
翔が鞭を入れると、ステラヴィオラは一気に加速し、凡田のドラゴンをあっという間に置き去りにして先頭でゴール板を駆け抜けた。
「くっ……このままでは済まさんぞ!」
「いえ、ここまでですよ……スタンドをご覧下さい」
「並川、どういう意味だ⁉ ……あ、あれは主任と仏坂⁉ しゅ、出張では……?」
「色々と悪巧みをしているようでしたので、出張の振りをされていたのです。まんまと引っかかりましたね。すぐではないでしょうが、何らかの処分が下るでしょう」
「そ、そんな……」
凡田は力なくうなだれる。
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