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【短編】ピッチ・ドロップ

「では、これから撮影の方を始めさせていただきます」

 ディレクターはせわしなく動くスタッフたちを横目に据えながら、これまで何度も繰り返してきた言葉を述べた。

「映像はこちらで後に編集しますから、ゆっくり思いつくままにお話しいただければと思います。雑談をするつもりで」
「はいはい。雑談のつもりで、ね」

 車椅子の老人は力なく繰り返し、それを見たディレクターは撮影のスタートを命じた。



 老人の下に「岩永亮介さん(74)」というテロップが表示される。

「あの日からもう、週に一度は欠かさずここに来ています」
「欠かさず」

 若い女性インタビュアーは神妙な顔で繰り返した。

「それは42年間、欠かさずということでしょうか」
「ええ。最近は体が言うことをきかんもんで。具合が悪い時は行けないことも増えてきたけども、でも、できる限りはね」
「やはり、ご家族に会いたいからでしょうか」
「そりゃ、もちろん。ここに来れば、裕子と愛美に、会えるんだから」

 老人の背後にそびえる、黄色い筒状の建造物にカメラがフォーカスし、ナレーション付きの映像に切り替わる。

「今から約42年前の1990年5月13日。静岡県にあったアミューズメントパーク、新梶浜マリン遊園で、そのあまりにも不可解な事件は起こりました。そして、事件は今もなお解決の見通しが立っていません」

 1990年当時の古びた資料映像が流れる。親子連れで賑わう遊園地の映像。

「異変が起こったのは『ピッチドロップタワー』と名付けられた人気アトラクションです。これは全高60メートルの落下式絶叫マシンで、垂直に伸びる軸を囲む円状のゴンドラが上昇と自由落下を繰り返すというものでした」

 楽しげな悲鳴をあげて上下移動する観客の映像。

「ピッチドロップタワーは遊園の目玉アトラクションで、一時間待ち以上の行列を作ることもざらでした。決定的な異変は、5月13日、午後2時8分に起こります」

 過去に撮影された取材映像が流れる。事件当時、マシンの操作を担当していた係員が戸惑いを隠せないといった調子で質問に答えている。

「あの時は私は制御室にいまして、お客さんたちが座席についたのを確認して、安全確認が終わったのも確認して。それで運転開始のボタンを押したんです。本来なら音楽が流れてモーターが動き出すはずなんですが……その時は、全く動き出さない」

 ナレーションが続きを話す。

「係員は機械系統の故障かと思い、運転を停止して乗客たちを下ろそうとしました。しかし、待ち受けていたのは信じられない状況でした」

 再び、係員による語り。

「乗ってる人たちが誰も動こうとしないんです。動かないというか……マネキンみたいに、全く動かないんです。誰ひとりとして……まばたきひとつせず……」

 話しながら、係員は袖で額の汗を拭う。

「異様な状況を目の当たりにした係員は、安全バーを上げて乗客を座席から降ろそうと試みます。しかしそれも不可能でした。なぜか、安全バーを上げることはおろか、固定用のジョイント部すら動かせなくなっていたのです」

 事件当時のニュース映像や新聞記事が次々と映し出されていく。ある新聞の見出しには「時が止まったタワー」と書かれている。

「災害救助用の切断機による救出の試みも失敗しました。驚くべきことに、ピッチドロップタワーは、乗り込んだ乗客も含め、いかなる外的な作用も受け付けなくなっていました」

「これは、物理的にはあり得ないことです」 

 事件から数日後に取材を受けた物理学者の映像が流れる。

「力学には『剛体』という用語があり、これは絶対に変形しない物体のことを言うのですが、あくまで思考実験用のモデルであって現実には存在しません。しかし、あのタワーの性質は、まさに剛体そのものです。一体どういうことなのか……」

「乗客救出と原因解明のために世界中から科学者が集結し、本格的な調査が始まりました。しかし、誰一人として、解決の糸口すら掴めてはいません」

 新聞記事や雑誌に躍る「現代科学の敗北!」「乗客は止まった時間の中に」といった文言。

「2週間後、新梶浜マリン遊園は無期限営業停止を発表。動かなくなったピッチドロップタワーを中心にした研究施設が建設されました。ここに立ち入ることができるのは研究者と、タワーに取り残された乗客15名の家族だけです」

 大粒の涙をぼろぼろと流しながら取材に答える男性。下にテロップで「岩永亮介さん(32)」と書かれている。

「妻と娘がタワーに乗りたいって言うんで、僕はそういうの苦手だから、ここから見てるよって言ったんです。こんなことになるなんて。本当に、もう、僕はどうしたらいいのか……」

「岩永さんの妻、裕子さん。そして11歳の娘、愛美さん。ふたりは今もなお、静止したタワーの座席に隣り合っています。愛美さんは右手を大きく挙げ、柵の向こうの亮介さんに笑顔を見せたまま、長い時間を過ごしているのです」

 黒いバックに「5年後、1995年8月」の文字。

「事件から5年と3ヶ月が経過しました。事象の調査は継続していましたが、依然として原因や救出の方法は見出せないままでした。しかし、定点観測によって大きな事実が明らかになります」

 当時の研究リーダーが映像を比較しながら語る映像。

「こちらが5年前……事件直後の定点観測です。そして……これが最新のもの。この2枚を重ね合わせたものがこちらです。わずかに……1センチほど位置がずれているんです」

「タワーは静止していたのではありませんでした。長い時間をかけて、わずかに動いていたのです。何度も繰り返したタワー切断のための試行は無駄ではなかったかもしれない…… 研究チームは騒然としました。しかし、その期待はすぐに裏切られます。このわずかな動きに、これまでの試行による力は全く反映されていないことがわかったのです」

 図面を広げて語る研究者。

「つまり、このタワーは……非常に……非常にゆっくりとした速度で『本来の動作』を為しているだけだったということです。ピッチドロップタワーは所要時間2分15秒のアトラクションで、20秒かけて60メートルを垂直に上昇し、頂上から自由落下する。この動作を3回繰り返します。5年で1センチ上昇したということは……これは、このペースで続けばという話ですが……なぜかこのタワーと乗客に限って、時間が限りなく引き伸ばされていて……我々はそれに干渉できないということになります」

「具体的にはどの程度引き伸ばされている?」というテロップに、研究者が、ゆっくりと答える。

「暫定ですが……約473億倍と考えられます」

 空撮。浜辺に建つ古びた研究施設が映る。遊園地のアトラクション類はピッチドロップタワーを除いてとうに撤去されている。タワーは全体を研究施設の外壁が覆っているため、外から目視することはできない。

「人類の叡智を全て注ぎ込んだ研究を続けても、未だそれ以上の新たな事実が明らかになっていません。現在でもタワーの観察と調査は続けられていますが、2009年の政権交代以後は研究予算が大幅に縮小されています。それでも、残された家族たちはこの黄色い塔の前に集い、静止した姿を目に焼き付けます。岩永さんもその一人です」

 車椅子の老人が語る映像に戻る。

「もう、どうしようもないですよ。死んだって思った方がまだ諦めがつきます。でも、いるんだからね。ここに。全く同じ顔かたちで、笑ってるんだからね。ある日グワッとあの機械が動き出したらってね、そういう夢を見ない日はないです」

 女性インタビュアーは言葉を注意深く選び、相槌と質問をする。老人はそれに淡々と答える。タワーを覆う研究所の内壁には汚れやシミが付着している。だが、タワーだけは全く劣化せず、鮮やかな黄色の塗料が蛍光灯を反射して輝いている。

「最初の20年くらいは、早くどうにかしてくれって思って苛立ちもしたし、読めない科学雑誌なんて開いてみたりしたけれどね……。今となってはもう、神様の意地悪だと思うようにしとるんです。わかりようがないです、こんなのね。絶えず、祈ってます。頼むからもう勘弁してやってくれってね」

「岩永さんはこの取材から12日後の昼、タワーの前で亡くなっている所を発見されました。死因は、急性心不全。息を引き取った彼の視線の先には、ほとんど変わらない家族の姿がありました」

 そびえるピッチドロップタワーを下から見上げる構図。画面下部をスタッフロールが流れる。

「あまりにも不可解な事件から42年。未だ原因究明の見通しは立たず、事件の経緯を知る人は日ごとに少なくなっています。最新の報告によれば、乗客を載せたゴンドラは当時と比べて約8センチ上昇しているとのことです。しかし、私たちが生きている限り、この大いなる理不尽から目を背けることはできません」


 VTRチェックを終えたディレクターに、編集マンが何気なく尋ねた。

「このペースだと、タワーはいつ止まるんですかねえ」

 ディレクターはモニターを睨みながら呟いた。

「20万年とちょっと」

「はは」

 編集室を乾いた小さな笑いが満たした。


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