見出し画像

ホンネで生きるってことは自分を守ることだ。~ドラマ「転職の魔王様」第一話感想~【エセ・エッセイ013】

界隈で話題のドラマ「転職の魔王様」を遅ればせながら視聴して、前回書いた記事を思い出し、1話の後半でだくだく涙が出たので記事にしてみようと思う。しかし最近、ほんとうに涙腺が弱くなっていて困る。
※この記事はドラマのネタバレを含みます


前回書いた記事↓

だくだく涙ポイント1:わかるよォ~!(涙)

主人公のヒツジタニさんが働いていた会社で上司からパワハラを受けている回想シーン。自分の企画が通って周りから祝われ、尊敬する上司からも「期待してるぞ」って言われたらそりゃ嬉しいよなって思うし、出来る限り期待に応えたいし、上司が無茶を言ってきてもそういうものなんだ、自分よりデキる上司がそう言ってるんだから間違いない、もっと頑張らなきゃって、もうホントにホントに分かりすぎてしんどくて涙が出た。

だって、自分もそうだったから。

明らかに体が壊れていっても、めまいがしても倒れてしまっても、身体が動く限りまた仕事に戻ってしまう。それは自分がやらなきゃいけないと思っているから。

でも運良く体がもったとしても、行き着く先は「燃え尽き症候群」かその後も思考停止して上司のいうことを聞くだけの「お人形さん」なのだ。
そしてこういう思考をしてる限り、結局ずっと同じことをくり返してしまう。まさにキャリアアドバイザーの魔王様の仰る通り、なんだよなあと思う。

私の場合は一度目は体が壊れた。二度目は外部環境が変わって救われたけど、結局変わった先で適応できなかった。三度目は燃え尽きそうになっている自分に気づいてやむなく手放した。

でも二度目と三度目の間に、とても大きな変化を挟んでいる。
だからこそ、体が壊れてやむなくでも、適応できなくてやむなくでもない。
自分で手放せている、ということ。

この主体的な選択こそが、二度目と三度目の間に私が私のホンネと向き合って手に入れた自分を守るための力なのだ。

だくだく涙ポイント2:良かったよォ~!(涙)

親の期待、上司の期待、そういうものに応えようとしすぎて、自分の体の異常すらひた隠しているうちに自分のホンネが全く見えなくなってしまっていた主人公。でも、自分がどうしたいのかわからないまま、新しい会社の面接に行きたくないという自分のホンネがついに言えた。

先方や魔王様に迷惑をかけることは分かってる。でももう自分に嘘はつきたくない。今までのまんまじゃ嫌だ、変わりたい…!ってこの切実な想い。

こんなもん泣くやろ、ですよ・・・!

ここで良かったなあと思ったのは、やっと自分自身に気づいてもらえた主人公自身のホンネに対して。ここに気づいてあげられない限り、自分自身を守ってあげることは出来ない。だってどこからのダメージなのかわからないんだから。何に傷つけられているのか。どっちに逃げればいいのかも。

体内のどっかがずっと傷つき血を流してるんだけど、傷がついてる場所がわからなかったらどんどん血は失われていって、最後には命が危うくなるよね。それと一緒ですよ。

でも逆にいうと、自分自身が自分に関心を向け、丁寧にホンネを見つめてあげられれば守れるということだし、それは自分にしかできないんだってこと。だって他人からは自分の傷口や痛んでる箇所は見えないんよ。

魔王様も言ってたけど、”それがどんなに滑稽なことでも自分のホンネならそれがあなたの正解なんです”って心の底から同意。私なんてクソ真面目に「働きたくないでござるから働かないで生きていくためには」ってずっと考えてたよ。そしたら辿り着けたわ答えに。この記事ね。

言いたいことまとめ

それで何が言いたいかっていうと、もうほんとうに一刻も早く自分のホンネと向き合ってくれだし、パワハラ上司からは逃げる一択だし根絶されて欲しいし、もうこれ以上、働くことで苦しむ人を見たくないってこと。

そもそも働くというか仕事をするって私の定義ではシンプルに「自分の能力を活かして誰かの役に立ち報酬を得ること」であって「自分の能力を活かせる」+「役に立つ」+「報酬を得る」のプラス要素しかないはずなのに、なにがどうして死にそうなことになるのさってほんと思う。健全に働けなきゃあ、これが全部成り立たないよね。

そういうわけで、ドラマ「転職の魔王様」第一話は、まあまあ誇張表現とかアリエナイ展開もあったけど(会社の企画が表彰されてるところに部外者入れないだろコンプラどうなってんだ、とか)概ね共感できる内容で面白かったんでした。

今後も視聴して思うところがあった話なんかは取り上げていくかも。

☆☆☆

Twitter(@Da_yama_Da33) でもいろいろ日々の気づきとか仕事についてとか語ってます。フォロー大歓迎!

☆☆☆



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?