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なぜ、「ネット世代の若者」は「ネット」で【やらかし】てしまうのか?[前編] ー「バイトテロ」‘‘自爆‘‘する《デジタル世代》の謎 ー

最近、世間を騒がしている、くら寿司、すき家、ビッグエコー、コンビニなどのアルバイトの不適切動画投稿、いわゆる「バイトテロ」などの不祥事などを見て、ちょっと考えたことがあるので書いてきたい。

今の若者は、

なぜ、ネットで【やらかし】てしまうのか?

ということである。

■ ネットで``自爆``する「デジタルネイティブ」の謎 ■

【やらかし】の主役となっている、彼らの世代は、今の10代後半から20歳前後である。

インターネット文化が大きく普及した、1990年代後半から2000年代以降に生まれ「ネオ・デジタルネイティブ世代」などと、呼ばれている。

年代や環境によって、若干の違いはあるが、生まれた時には、すでに「インターネット」があり、物心がつかないような幼児のうちから、「YouTube」に親しんでいる

小学校高学年から中高生となれば、世界と繋がることのできる「SNS」が日常の中にある。

いわば、現在の20代前半くらいまでの人たちは、``デジタルカルチャーのエキスパート‘‘であると言える。

全般的に見れば、生きている世代の中で、最も、インターネット」が得意で、近しい世代と言える。

ネット文化においては、生まれながらにして、英才教育を受けた、‘‘スーパーエリート‘‘である。

一方で、

インターネットで【やらかしてしまう】のも、この世代が多く見受けられる。

いじめ動画や、未成年の飲酒や喫煙、不法行為の投稿、プラバシーの侵害、差別発言、自身の個人情報や、プライベートを晒してトラブルに発展など、挙げればキリがない。

極めつけは、アルバイト先での悪ふざけを全世界に投稿するなど、企業の看板を背負い、自身の立場を明かしながら、問題行為を起こすという「バイトテロ」

こういった、完全な‘‘自爆‘‘すらも、しばしば、大きな話題となる。

確かに、インターネットや、SNSだけに限らず、若さゆえの過ちというのもあるだろう。

自分の身にも、覚えがないわけではない。

しかし、それらを差し引いても、
《不法行為や、度の過ぎた悪ふざけを、顔を晒して、それも、自ら世界中に発信する》など、‘‘狂気の沙汰‘‘としか言いようがない。

まして、彼らは、‘‘インターネット文化のエリート‘‘であり、よく分からないうちに、《大人になってから、インターネットが始まってしまった》世代ではない。

例えば、英語、ピアノ、ゴルフなどを幼児期からはじめた人と、ある程度、成長してから始めた人では、明確な差が出るのは、無意識な感覚的な部分を埋められないからだという。

知識や実力がついても、その「感覚の部分」が大きいのだ。

例えば、近年、スマートフォンも持つようになった高齢者にトラブルや、詐欺事件が多く見られるのは、知識がないだけでなく、‘‘デジタル感覚に乏しい‘‘からだ。

こういった世代の多くは、人生の大部分において、インターネットや、デジタルという文化に触れたことがない。

そのため、その基本的な仕組みが理解できず、自然な感覚として入って来ないから、リスクも感じることができない。

こういう時は、このボタンを押す、この四角に文字を入れて調べるというような、場当たり的で、断片的なことしか理解できない場合が多い。

知識がなけでなく、仕組みや、本質が分からず、感覚的に、怪しいものと、有意義なものの判別が難しい。

イレギュラーなことがあると何もできなくなってしまうので、「端末が破損しています。このバナーをクリックして修復して下さい。」というような、詐欺広告なども見抜けず、そこにつけまれるのだ。

一方で、「ネオ・デジタルネイティブ世代(今の若者)」であれば、インターネットのカルチャーを、無意識に理解しており、効果的な利用方法や、怪しいもの、胡散臭いものの判別も、自然と身についているはずである。

「これはOK、これはアウト」というように、《やって良いことと悪いこと》《これをやったら何が起こるか》《どういったアプリケーションやサービスをどのような手法で使うべきか》、判別も容易なはずだ。

しかし、どういうわけか、自ら、【やらかして】しまうのだ。

爆破予告のように、注目を集めたくて、意図して行ったのではなく、

「こんなに大事なるとは思いませんでした。すいませんでした。」というような、
そんなつもりはなかったのに【炎上】してしまったという例も多く見られる。

いつの時代にも、どのような場所にも、一部、一定数の馬鹿はいるものだが、どうも、それだけで片付られない話となってきている。

確かに、「バイトテロ」まで、やってしまうのは、一部の馬鹿中の馬鹿であり、同じ世代の若者からも「恥さらし」だと揶揄されているだろう。

しかし、そこまでしなくても、「インターネット」や「SNS」で問題を起こしたり、トラブルに巻き込まれるのは、《ネットに詳しいはずの若者たち》が大半なのである。

■ 今の若者よりも、‘‘もっとヤバイ世代‘‘があった ■

こういった問題を起こす多くは、現在の10代や、20代前半の若者である。

しかし、彼らよりも、もっと‘‘危ない世代‘‘があった。

よく考えてみれば、
実は、【やらかし】てしまう可能性が、最も高かったのは、今の20歳前後の世代でなく、少し前の世代

「インターネット第一世代」

であったと言える。


この「インターネット第一世代(元祖デジタルネイティブ世代)」は、「ネオ・デジタルネイティブ世代(今の20前後)」の、少し、歳上の世代にあたる。

概ね、昭和の後期から、平成の初期に生まれた世代、2018年現在の20代半ば~30代半ばくらい、広く言えばアラサー世代がそれにあたる。

自分は年齢を公開していないので、あれだが、だいたいこの世代である。

しかし、

「インターネット第一世代」こそ、最もネットで【やらかす】リスクが高いとされながら、
意外にも【やらかさなかった】世代でもある。


自分の経験からしても、客観的視点から見ても、この世代が学生の頃の時代は、社会全体が、未知で、手探りで、カオスな時代であった。

地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災、911、リーマンショックなど、今まで経験したことがないような、事件や災害があったでけでなく、世紀末、2000年問題など、社会が浮き足立っていたような世相があった。

また、大学、高校受験のシステムが変わるといったことも大きかった。

社会全体の感覚や、システムが変化し、デジタルとアナログ、古い感覚と新しい感覚が混在し、様々な転換期が訪れていた。

この大きな社会のうねりを生み出した要因であり、その新時代の代表的な出来事こそがか、【インターネットの登場・普及】である。

先ほど、述べた通り、今のアラサー世代が、中高生だった頃の時代は、社会の様々なものが転換期を迎えており、新しく未知なものがたくさん生まれた。

新しく未知なものとは、どうすれば正解なのか、何をしてはならないのか、その行動をすると何が起こるのか、誰も分からないし、誰も教えてくれないということだ。

しかし、だからと言って、眺めていたり、悠長に観察したり、学んでいるわけにはいかない。

社会は、常に動いているからだ。
新しく未知ものと、その都度、対峙し、走りながら考えなければならない。

今まで、印刷して、直接届けていた重要な書類を、メールで送るといういうな、現代では、当たり前のことも、当時は、冒険たっただろう。

その、《未知との遭遇》の最たるものが、「インターネット」だったのだ。

我々の世代は、生まれた時には、「インターネット」が存在ぜず、小学校高学年から、中高生時代にインターネットが登場し、普及した世代である。

携帯電話に関しても、もちろん、スマートフォンなどは存在せず、中高生の時に、やっと「ガラケー(当時は最新機種)」を買ってもらえたような時代だ。

もう少し、前の世代になると、携帯電話にカメラが搭載されたと大きな話題になるような、そんな時代であったのだ。

このように、僕らの世代は、国策としてインターネットの普及が進められ、公立学校においても、デジタル文化への教育が積極的に行われた

一方で、教える側の先生自体が、インターネット未経験で、知識がないという場合が大半で、まだ、教えられる人が少ないというような環境でもあった。

それだけ、当時の「インターネット」は未知なものであり、マニアックなものであったのだ。

インターネットの利用を熱心に促進されながら、教えてくれる人もいない。

調べるためのツールである、その「インターネット自体」が、よく分からず、そういった、デジタル感覚や、体制も整っていないので、自ら、正しい知識を得るのも難しい

このように、利用を促進されながら、教えてもらうことが難しく、手探りで未知な時代であった。

しかも、ある程度、インターネットが普及し、体制が整えらてからも、次々と新しいサービスや、システムが生まれ、変化し、様々なネット文化が生まれては消えていった。

この「インターネット第一世代」は、次々と迫り来る、今までなかった、未知のデジタルカルチャーに常に対峙し、有効かつ、安全に利用することが求められた。

国策で「インターネットの促進・教育」が行われ、《これからの未来は、仕事も生活もインターネットが必要不可欠》と喧伝されたこの世代は、当時の中高年世代のように、「よく分からんインターネットっちゅうものを使わん」という選択肢は与えられなかった。

極端に言えば、よくわからなくとも、未知のものであっても、怖かろとも、やるしかなかった。

今のようなSNSも存在しない中、限られた手法で情報交換をしながら、その都度、手探りで試していく必要があったのだ。

■ 意外に【やらかさ】なかった「ネット第一世代」■

こう考えれば、

この「インターネット第一世代」こそ、様々なことをやらかしてしまう可能性が高い

と考えれるのが自然だ。

「若者のインターネット利用」に対しては、いつの時代も、様々なリスクの指摘や、提言が行われるが、それが、はじめて行われたのが、《インターネット第一世代》である。

実際に、当時、僕らも「インターネットは、リスクが高い。見えない危険が大きい。」と口を酸っぱくして言われ、メディアも喧伝していた。

《積極的に利用することが求められる》

一方で、

《知識や感覚に乏しく、正しく有用な知識を教えてくれる人も少ない》

【未知で手探りな環境】

にあったからだ。

一方で、
【やらかす】人間は、そう多くはなかった気がする。

確かに、「SNS」のような《誰もが、気軽に発信できるツール》が、まだ、なかったということもある。

しかし、それでも、「2ちゃんねる」のような巨大掲示板などは存在したし、『スマイリーキクチさんの事件』などが起こるなど、《ネットリテラシー》の低い時代でもあった。

また、新たなトラブルや犯罪が起こったり、18歳未満の援助交際(売春)の温床になるなどの指摘はあり、2005年頃は、その事案のピークだったらしい。

一方で、そういった、明確な不法行為ではなく、

【ちょっとした悪ふざけ】が、【大事になる】

というようなことは、あまり見られなかった。

こういった環境であれば、当時の多くの中高生が、もっと色々とやらかしてしまっていても不思議ではない。
しかし、実際はそうでもなかったのだ。

馬鹿な同級生であっても、社会に出る前から、人生を潰すような醜態を晒す奴は、周りには、見たことも聞いたこともいなかったし、そういったニュースも、あまり見た記憶はない。

では、

なぜ、

【やらかし】そうのない「デジタルネイティブ世代」がやらかして、

【やらかす】条件が揃っている「インターネット第一世代」がやらかさないのか?


なぜ、このような‘‘不可思議なこと‘‘が起こるのか?

僕は、その原因こそ、

【生まれた時からインターネットがあったこと】

ではないかと思う。

これこそが、《デジタルネイティブ世代の【致命的な弱さ】》なのである。

なぜ、《デジタルネイティブ》という、本来は‘‘強み‘‘になるはずの部分が、【弱さ】になるのか?

後編で書いていきたい。

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