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2ちゃんねる先生

回転寿司での悪質なイタズラとか、ネット上の誹謗中傷とか、インターネット老人会の会員にとっては、もう何度も見てきた風景に違いない。
過去との違いは、小さなコミュニティやウェブサイトレベルの影響度合いで済んでいたのか、それともいきなり世間に大公開のレベルなのか、そんなところだろう。

若者のネットリテラシーが問題視される昨今ではあるが、そもそもこういう行動をとってしまうのは、ネットに限定されるリテラシーではないと思う。
さらに、悪質なイタズラを行う人間が昔はいなかったのかというと、そういうわけでもないだろう。
おそらく昔からこの手のイタズラは散発的に発生していたのだと思う。
それが当時は大っぴらになってなかっただけで、さらには周りに注意をする人間がいたのかもしれない。

注意する人間といえば、現代のSNS社会においては、実社会と同じくらいネット上で注意してくれる人間が存在しない。
例えばTwitter上で変な投稿をしたら、注意されて思いとどまるというフェーズを飛び越え、一気に大火災である。

インターネット老人会の会員にとって、時たまネット上に現れる古びたネット死語は、2ちゃんねるの存在を思い出される。
思えば、2ちゃんねるには独特の文化や雰囲気があって、初心者はベテラン勢やスレの住人に“教育”されたものだ。
変な投稿をすれば叩かれドヤされ晒される。
でも、どぎついものではなくて、独特の言葉によって教育され、そうやってインターネットに慣れていった。
2ちゃんねるでなくとも、例えば個人でサイトを運用すれば、田代報を打たれて掲示板が荒らされる、一昔前のインターネットはこういう世界だった。
そういった修羅場を経験し見ながら、インターネットの海に慣れていった。

今となっては、SNS上で「半年ROMれ」とか「ググレカス」とか、そういった独特の注意をしてくれる人はいない。
大袈裟な表現を使えば、注意を受けず教育もされないままにインターネットの世界に飛び込んでいくのは、自動車教習所に行かないで公道を運転するようなものである。
教育されないネットユーザーが、いきなり燃料をばら撒いてしまう。
小さな火種に枯れ草を投げていたのが少し前のインターネット時代だとすれば、今は松明にガソリンをぶっかけるようなものである。

そういえば、2ちゃんねる時代からも特定個人に対する誹謗中傷は問題視されていた。
当時は2ちゃんねるというプラットフォームそのものが誹謗中傷の温床だとみなされ、管理人のひろゆき氏はその管理責任を問われ訴えられた。
ひろゆき氏が管理をやめ、2ちゃんねるが5ちゃんねるに生まれ変わっている今、誹謗中傷がネット上から消え去ったかというと、残念ながらそうではない。
それどころか、SNSから個人のブログに至るまで、さまざまな場所で見られる風物詩になってしまっている。
もしかしたら、皮肉なことに「2ちゃんねる」という場を失ったことで、まるで巣を潰されたネズミがあたりに拡散するかの如く、ヘイトが撒かれてしまった。
そして、誹謗中傷をする人間は、老いも若きも、あらゆる場所で匿名性を陰に暗躍することになった。

当のひろゆき氏は、Youtubeのライブ配信機能とスーパーチャットをうまく活用し、視聴者からの質問に答えるという、先生みたいなことをやっている。
思えば、ひろゆき氏は「ウソをウソと見抜けない人にインターネットは難しい」という名言を残している。
このころから、先生的ポジションだったのかもしれない。

そしてその先生が生み出した2ちゃんねるは、古のネットユーザーに、ネットの怖さを叩き込んだ。

今こそ敬意を込めて「2ちゃんねる先生」というべきだろう。

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