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貝殻の中には海が入っているのだと思っていた

生まれてこの方、海というものにあまり縁が無い。
生まれ育ったのは海の無い栃木県だし、大学も海の無い山梨県だった。その後住んだ場所も、現在住んでいる場所も内陸だ。例えばこれから海に行くとすれば車で峠道を1時間ほど走らなければならない。

僕にとって海はずっと遠い存在で、未だに海には非日常的な特別感がある。

今でもそんな感じなのだから、世界を知らない幼い頃なんて海は異世界と言っていいぐらいの存在だった。

どこまでも続く大海原。あの向こうに「外国」というよくわからないけどすごい場所があるらしい。ヤドカリとかイソギンチャクとかヒトデとか見たことの無い不思議な生き物もたくさんいる。まるで夢で見るような素敵な場所。ここが異世界で無くて何だと言うのか?

そんな僕は年に1回か2回の家族での海水浴をいつも楽しみにしていた。

ある時、何かの土産で父が綺麗な貝殻を買ってきた。当時の僕の手のひらぐらいの大きさのある真っ白な巻き貝で、内側が銀色の光沢でてらてら光っていた。

近くの川では絶対に見つからないような大きな巻き貝。これは海から来たらしい、やっぱり海ってすごい!そんなことを思いながら僕はそれを子供部屋の机の上に置いて、時々眺めては遠くの海に思いを馳せていた。

「貝殻に耳をあてると海の音が聞こえるんだよ。」
そんなことを誰かが教えてくれた。

試しに耳にあててみると、コォー……という僅かな音が聞こえる。そんなはずは無いのだが、幼い僕はそれが海の音だと信じた。

それからは眺める代わりに、貝殻を海にあてるようになった。コォー……という音。それは波の音のように、海の代名詞として僕の中に記憶された。

そのうち、貝殻の中に海があるんじゃないか?と思うようになった。だって貝殻から海の音がするのだから中に海が入っていないとおかしい。そうに違いない。
僕は短い指を貝殻の中に入れてかき出すようにして、しょっぱい水や砂浜の砂が出てこないか試みたが何も出てくることは無かった。

そんなある日、僕は無性に海に行きたくなった。多分テレビで海の映像が流れたのだろう。ただとても海水浴シーズンでは無く、海に行けるタイミングではないことは幼心にもわかっていた。

そうだ。
貝殻を割れば中から海が出てくるんじゃないか?
僕はそう思った。あの白い貝殻を、庭のコンクリートに思いっきりたたきつければ中から広い砂浜と大海原が飛び出てくるはずだ。そうすればこれからはいつでも海に行けるんだ。

僕は意気揚々と自分の机へ向い、机の上の貝殻を取り上げた。耳をあてると今日もコォー……という音がする。きっとこの音も貝殻を割ればもっとはっきり聞こえる。

僕は勢いよく外に出ると、庭のコンクリートに向かって貝殻を投げつけた。

がしゃん。

貝殻はあっけなく割れた。
灰色のコンクリートの上に白い破片が小さく広がる。

僕は海が出てこないか貝殻をじっと眺めた。でも中からは何も出てこない。割れた貝殻を拾って、観察してみるが何も無い。もうどこからもコォー……という音も聞こえない。

僕はその場に立ちつくしたまま貝殻の破片を眺めていた。そのうちに祖母がやってきた。
「おめ、何やってんだぁ。」
「ばあちゃん、貝殻割ったのに海が出てこない。」
「海?海ならもっとずっと遠くだぁ。海さ行きてぇんか?」
「違うよ。貝殻の中から海が出てくると思ったんだよ。」
「海なんてそっから出てこねぇべ。」 
呆れたような顔の祖母がほうきで貝殻を片付けてしまった。多分そのまま捨てられてしまったのだろう。

僕は今でも貝殻を見るとそっと耳にあてて、あの音を確かめたくなる。


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