見出し画像

ルビースパークス(Ruby Sparks)を観た

昨日ルビースパークス(Ruby Sparks)を観た。映画を観たいという気持ちが先行し、どの作品を観るかは決まっていなかったから、僕の好きなシューゲイザーバンドのルビースパークス(Luby Sparks)と名前が同じ作品にした。
もちろん理由はそれだけではないけれど、数ある映画の中で見る作品を決める時はそれくらいのラフさと思い切りが必要だ。(タイトルや広告写真に惹かれて触れた映画で、観終わった後首を傾げてとりあえずラーメン屋に行き店を出る頃には忘れていることもよくあるのだけれど…前に広告ポスターに惹かれて観たフランス映画は、字幕の日本語が古すぎる&文節が滅茶苦茶で2時間訳の分からない言葉を浴びせられて終了した。)それはさておき…

作品のプロットはWikiから引用。
小説家のカルヴィンは、19歳の時に世間から「天才」と称されてデビューしたのも束の間、今では極度のスランプに陥ってしまい、何も書くことができずにいた。そんなある日、彼は通っている精神科医の勧めで、夢に現れた女性をヒロインにした小説を書き始める。すると、突如その小説のヒロイン「ルビー・スパークス」が現実世界に現れる。これに最初は戸惑うばかりのカルヴィンだったが、自分が書いたとおりになっていく彼女と過ごすうちに、次第に惹かれていく。そしてルビーとの関係を壊したくないカルヴィンは小説の執筆をやめる。ところが、明るく陽気なルビーはカルヴィンの兄夫婦や母親、母親の再婚相手ともすぐに打ち解けるが、社交性の乏しいカルヴィンとの間に距離を感じるようになる。そんなルビーに捨てられると思ったカルヴィンは、小説を再び書き始め、ルビーを自分の都合のいいように書き換える。こうして2人の関係は次第に不自然なものとなる。ある夜、ベテラン作家ラングドンの出版パーティに連れて来られたルビーは孤独感を抱き、ラングドンに誘惑されるままにプールで下着姿になってしまう。そんなルビーをカルヴィンが咎めると、自分を理想の型にはめようとするカルヴィンに嫌気の差したルビーは家を出て行こうとする。この事態にカルヴィンは彼女が自分の想像の産物であることを告白する。ショックを受けるルビーに対し、カルヴィンは高ぶった感情のままにタイプライターに言葉を打ち込み、彼女を意のままに操る。自己嫌悪に陥ったカルヴィンは小説の最後のページに彼女を自由にすることを書き加え、彼女が逃げ込んだ部屋の前に置く。翌朝、ルビーの姿は跡形もなく消えていた。傷心のカルヴィンは、ルビーの正体を唯一知っていた兄ハリーの励ましで、ルビーとの出来事を小説にしたためることにする。その小説「The Girlfriend」は大ヒットし、カルヴィンは作家として再び高く評価される。そんなある日、カルヴィンはルビーと瓜二つの女性と出会う。彼女は「The Girlfriend」を読んでいるところだった。2人は互いに惹かれ合うものを感じる。

第一印象というか、作品を観ていて思うのが、「ルビーと長く交際するのはかなり心配になるし、良い意味でも悪い意味でも心を使うだろうな〜」だった。可愛い(本当に一挙一動足が可愛い)上に社交的で警戒心がまるでない。(カルヴィンが心配になるよう意図的にそう描かれているが)家族だったから良いけど、異性と楽しそうにしている姿はあまり見ていられない部分があるね、そんな女性と交際したら小説なんて書けないだろうよ…僕やカルヴィンのような属性の人でなければ或いは上手くいくだろうけれど。

それはそうとこの作品、第一印象をそう感じた僕に強烈な一撃をお見舞い。
『心配だからって束縛やめろよ〜!』
…ふう、恋人との距離について考えさせられますね、、、

恋人を自由にさせるって、お互いが「これすると恋人が嫌がるな」のラインを侵さないことが前提条件だと思う。主人公のカルヴィンは創作でルビーを出現させてしまったが故、夢想的で幻惑的な彼女像と交際することになる。そんな恋愛が長く続くことはあるのだろうか。
実際、小説(ルビーの感情と行動)を上書きするのを止めると、ルビーはどこまでも自然にカルヴィンの元から去ってしまう。現実平面で、ふたりは恋人として相性が良くないのだ。僕の見解だとあのままだと自然消滅するだろうし、繋ぎ止める手段は無い気がする。奔放な女性って魅力的だけれど、僕は(恐らくカルヴィンも)そんな彼女らと長い時を寄り添う術を知らない。
とはいえ、「ルビーはカルヴィン無しでは生きていけない」を書き足してしまった時にルビーの言動にカルヴィンが引いているあたり、「恋人しか見えない!」もダメ。不健康だし最悪の場合自殺に至る。
当たり前のことだけど、気分転換に息継ぎのできる自分独自の社交界を持ちつつ、恋人が嫌がることはしない。これが最善な気がするな〜。恋愛なんて凄く好きか、そうで無いかだと思うけれど、仮にお互い好きなのに方法的に不全で上手くいかなくなるなんて勿体無いじゃないか。相思相愛なんて奇跡なんだから。

後から調べて知ったのだけれど、この作品は、どうやらそんな奇跡を共有するふたりが主演みたい。素敵だね。羨ましいね。
カルヴィン役のポールと、ルビー役のゾーイは長年付き添うカップルで2018年(ルビースパークスから6年後)に子供を授かっているらしい。
それに脚本はゾーイ。(才色兼備にも程がある…)
ゾーイのインタビューで、恋人のポールのために書いたって言葉を聞いて余計この作品が好きになった。恋人に向けて、ふたりの距離や恋の落とし穴についての作品を書くのって、「これからも私を大事にして一緒にいてね」の暗示に思えて本当に愛おしい。そして監督も夫婦監督だそう。(これはポールの提案)いいね。いいね。

最後にルビーを自由にしたカルヴィン、それに主演のポールとゾーイも幸せになって欲しい。僕も恋人と作品創ったりしたいな。なんて。

余談だけれど家族の中にいる時のカルヴィンの気持ち痛いほどわかるな〜幸あれ!


この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?