孤独の克服について。寂しさや喪失を越えて生きていく。
※後半に特典つけたので、このnoteはさいごまで読んでね!!
たった数週間の間に、どうしようもない、たくさんの不幸ごとがじぶんに降りかかってきたことがある。
日常が不安定に傾いて、形のない不安が膨らんでいった。
そんな状態のなか、じぶんの将来や夢と、彼女と関係を天秤にかけなきゃいけないタイミングがきたり、ここでは話せない悩みや痛みもたくさん抱えた。
解決しなきゃいけないことが数えられなくなってきたとき、最後に残ったのは、
頭が割れるような、息ができないほどの孤独だった。
そんな意識があるだけでツラいうつ状態だった僕が、どうやってそれをたった4日で乗り越えたのか。実体験をふまえて当時考えていたことを順番に話していこうと思う。
これを読んだ後には、あなたがどうやって『孤独や寂しさに向き合っていけばいいのか』が見えているはず。
twitterでもnoteの感想頂いてるので、一部掲載👇
全体の流れは「3部構成+まとめ&特典&あとがき」になってるよ~
孤独を作っていたのは…
まずいったん確認させてほしいんだけど、
……友達、いる?
「もちろんいるよ!びっぐらぶ!」というひとは読み飛ばしてもらって全然いいんだけど、
…というひとは、ちょっと立ち止まって聞いてみてほしい。
こういうタイプは『そもそも孤独になる関わり方をしている』から、考え方をちょっと変える、みたいな話ではサクッと解決できないのよね。
….と、言いたくなるところだけど、
じゃあその「あなたのことこれだけ想ってるよ」ってことを、いままでどれだけ”言葉と行動”で伝えてこれたんだろう?
きっとそれを伝えようとすると、
って不安になるんじゃないかな。
こういう不安を抱えがちなひとは、普段のコミュニケーションのあらゆる場面で、似たような不安が発生してるはず。
たとえば、
なにか頼みごとをしたいときでも、
「迷惑じゃないかな…」と思うし、
じぶんの意見に自信もてなくて「これでいいよね?」っていわれたら
「あ、うん…私は大丈夫。」ってなっちゃうとか。
多少ツラくても我慢や自己犠牲をえらび続ける。
そうするといつのまにか『相手が思い描く理想のじぶん』を演じようと、必死になってない?
じぶんじゃない”別人のフリ”ばっかりうまくなって、人に会うときすら『人に会う用の私』を作ってからお出かけする。
こんな状態だと、せっかくひとに愛されていても
「でもあなたはこうやって明るくて、大人な私が好きなんでしょ?」ってなる。あぁこれもう、どう見てもめんどくさい女じゃん!
こうやって「○○な私だから好かれてるだけ」「○○だから愛されている」という受け取り方しかできなくなると、
いつからか「ありのままじゃ愛されない私」という認識に変わってしまう。
この認識が完成すると、仮にありのまま愛されていたって気づけないんだよね。
「ありのままじゃ愛されない私」がじぶんのなかで強すぎて、
「こんな私が愛されるはずがない!」と脳が拒絶してしまう。
嫌われるのがこわくて、
人の期待に応えようとじぶんを演じることに必死になって、
ホントのじぶんは愛されてないと思うようになって、
ありのままじゃ愛されない私になった。
もう、たとえ今のあなたが愛されていたとしても、気づくことはできない。
それはいいかえれば、
「ひとがじぶんを想ってくれている気持ちを、無自覚に無下にしてしまっている」ということ。
なのに「もっと愛してよ!ありのままの私を愛してよ!」
って思ってるよね?
「愛されてない!」「寂しい!」って苦しくなってるよね?
それは、
あなたがホントウには人を愛していないからです!!!
どういうことかって?
たとえば、じぶんで人を叱ったことがないと、人から叱られたときに「なんでこんなこと言ってくるんだ!」と思いがち。
やったことがないから、人を叱るということがどれだけの愛かわかんないのよ。
「これ言ったら嫌われるかもしれないけど、たとえじぶんが嫌われてでも、この人のために言っておかないと、この人が痛い目みちゃうんだよな…」
という人を叱るときの葛藤もしらないし、ふだんからその人がどれだけの時間、あなたのことを想って生活しているか想像もできない。
だから叱られたら「叱ってくれてありがとうございます」とは言えずに「愛されてない!ひどい」とか「なんでこんなに私はダメなんだろう…」と思っちゃう。
「嫌われて孤独にならないように…」とあなたが臆病なままでいるから、相手がそうやって深く関わってくれたとき、それが愛だと気付けないんだよね。
じぶんが気遣いができないと、ひとの気遣いに気づけない。みたいな話ね。
それって、「あなたが人のこと愛してないから、愛されていないだけ」なのが分かるかな?
あなたはきっと人に親切ではあるから、ひとの親切くらいの愛には気づけるけど、腹を切るような優しさは自覚できない。だってじぶんがやったことないから。
じぶんがやったことがない愛し方は認識できないのよ。
そういうじぶんが知っているカタチの愛を渡されるはずなんてないのに「なんでもっとこうしてくれないの!」とずっと文句ばっかり。
じぶんが知ってるカタチで愛が渡されるのをずっと待ってる。じぶんは人に渡さないけど。
そうこうしてるうちに、ほんとに人は離れていく。
むむむ…?
これって、
「嫌われて孤独になりたくない」から「孤独になってる」よね。。?
そう、
孤独を恐れすぎるとひとは孤独になります!!!
ビビりは孤独になります!!!
人を愛して傷つくことがあまりにこわいので、こうなるともう「この子は○○だから一緒にいよう」と、ひとを損得勘定で見るしかなくなっていく。
「人間関係でとにかく人に与えて損をする」ということができなくなっていく。
「これ私にメリットあるかな?」とか考え始める。
損得勘定でひとと関わるようになると「先に与える」ってことがマジでできなくなるんだよね。
「与えたぶんだけが返ってくる」というのが世界の絶対法則なので、損をせず出し惜しみしていると、どんどん返ってこなくなる。
鯉のように口をパクパクさせて与えられることをずっと待つしかなくなる。
「愛されたら愛します」という姿勢が基本。
え、そんなことない?
「嫌われたかな…」と怖くなってじぶんから避けちゃうのも、
「愛されないかもしれないので、愛しません。私が安心して愛せるように、あなたから先に愛してください」じゃん。
「これくらいしてもらって当たり前」と、人間関係で傷つくリスクをぜんぶ他人に押し付けてるんだから、そりゃ孤独になるわな。
じぶんの傲慢さに無自覚で、たくさん人からもらいすぎて、もらうことが当たり前になって、「もっとこうしてよ!」「なんでこうしてくれないの!」と内心ずっとイライラしてる。
もしくは「どうせ誰もわかってくれない...」と”孤独で可哀そうな私”に浸ってる。
どうおもう?そんなひとと仲良くなりたくないよね、、?
でも、孤独にビビり過ぎてると、必ずこの状態になる。
さて、では「孤独を恐れすぎない」ためにはどうしていけばいいのか?
次の章で一緒に考えていこう。
孤独をあっていいものにする
孤独を恐れすぎると孤独になる。
だから、孤独をあっていいものにしていく必要がある。
孤独を”ただ嫌なコト”のまま考えるのではなく「その苦痛のなかから得られる何かがあるとしたら、それはなんだろう?」とじっくり考えてみよう。
たとえば、”孤独があるから培われる能力”を考えてみよう。
常識や一般感覚と離れることで、オリジナリティ溢れる魅力的な思想が持てるかもしれない。
それによって美しい言葉を扱えるようになるかもしれないし、芸術の美しさに魅せられるようになるかもしれない。
または、孤独というエネルギーが、ひとと繋がろうとする強い動機や才能になるかもしれない。
あなたはどうだろう?
もしその孤独が、くるしさがなければ、人と関わろうと思うだろうか?
人と上手にコミュニケーションしようとするだろうか?
美しい文章を書こうとするだろうか?
音楽を愛せるだろうか?
絵を描くだろうか?
孤独は無自覚に、なんらかの能力を生んでいる。
少なくとも僕は、孤独がなければわざわざ人と関わろうとはしなかっただろうし、きっとこうやってコミュニケーション能力が磨かれることもなかったはずだ。
さらに言えば、孤独は僕の自分軸を強くした。
当時の僕は、周りの意見や社会常識に沿って生きてきたぶん、「みんなとおなじ」という安全な道に慣れていた。
「じぶんがやりたいこと」をやりたかったけど、みんなと違う選択をすると、
人間関係の大半を失い、だれも助けてくれない「じぶんがやりたいこと」をじぶんひとりの責任でやらなきゃいけない。
そうやっていままでとは違う生き方をする必要があったとき、孤独のなかで「じぶんはどうしたいんだろう」という声を聴かざるを得ない。
安全な「みんなとおなじ」ではなく、じぶんはどうしたいのか、分からないなりに考え続けた。
その過程で、SNSで散々見た”なんちゃって自分軸”ではなく、ホントウの自分軸を強くして、じぶんの人生を生きられるようになったように思う。
いままで他人に合わせてじぶんの意見を押し殺してきたひとや、当時の僕と似た状況のひとは、今の生き方に限界がきたとき、必ずココを経由する。
そのときに、
「この痛みのなかでも培われるものがあるな」
「孤独もそこまでわるいものじゃないな」
…そう思えるまで、解釈を広げてみよう。
喪失したものを再現できるじぶんへ
すべての孤独は喪失によってのみ、作られる。
「寂しい」という感情をじっくり観察してみてほしい。
それはきっと、ナニカを喪失したときの感覚がずっと反響しているような、そんな状態なんじゃないかな?
そう。孤独、つまり寂しさというのは、”失った”から発生するんだよね。
たとえば僕の場合、
僕らが「孤独には勝てない…」と思うのは、この「失った!」って感覚が、脳内では「死」として処理されるというバグがあるから。
生物である限り、「死」という処理は、脳へもっとも大きなダメージを与える。
だからこそ「失った」という解釈を変えるために、「得てきたモノ」に目を向けなきゃいけない。
失ったということは、それまで得てきたナニカがある。
”ないもの”を失うことなんてできないでしょ。
失った痛みの大きさだけ、得てきたモノの大きさも必ずイーブンになっている。
見るべきはそっちだ。
今日までなにを得てきた?
たとえばそれはなんらかの大切な体験かもしれないし、思い出や感性、価値観、信念のようなものかもしれない。
それらがあったから出会えたひとも必ずいるだろう。
ここで大切なのが、
そのじぶんのなかに積みあがっているモノは、じぶんの実力で獲得したものじゃない…ということ。
それはたいてい、生まれながらにして与えられた人間関係や、ひとや環境に恵まれてたまたま手に入ったモノ。
言っちゃえば「ラッキー」で手に入ったものなのよ。
最悪の喩えだけど、最初のポケモンみたいなもん。ひとのお膳立て。
それに執着して苦しくなるのは「もう二度とそれは手に入らない…!!」と思っているからなんじゃないかな。
次はラッキーではなく、実力で。
当たり前にそれを得られるじぶんになること。
大丈夫。一度できたことは、必ずまたできるよ。
そのためには人に与えはじめることだね。
なにをすればいいのか分からないって?
「寂しい」って言ってないで、じぶんから人に連絡すること。適当に理由つけて「電話しよ」ってLINEしてみること。会う約束をとりつけること。
「寂しい」って言っとけば、被害者意識を持てて行動しなくて済むからラクだけど、それって与えられるの待ってるだけだからね。もうラッキーは降ってこねぇゾ。
「アイツ元気にしてるかな、最近話してないけど、いまなにしてんのかな。」っておもったタイミングで、用がなくてもLINEしようよ。
人の好きな食べ物とか趣味とかメモっといてたくさん覚えて「これ好きでしょ?」って言えるようになろう。じぶんの好きなもの覚えてくれてたとき嬉しいから。
そうやって関わるのがこわいなら「じぶんが人を想っているように、じぶんも想われている」ということを思い出そう。
ぼーっとしてるとき、「あのときのアイツの反応おもろかったな」とか「アイツ今は引っ越して東京住んでるんだっけ」とか思うことあるでしょ。
けどそれってわざわざ本人には言わないじゃん。
「俺…昨日○○チャンのこと考えてたヨ😀!!」
とか言葉にするとちょっとキモいからさ。
みんなそんなもんなのよ。お互いわざわざ伝えないけど『じぶんが人のこと想っているように、その人もじぶんのことを想ってくれてる』ということを忘れないこと。
じぶんが人に与えてきた影響を思い出すこと。
そうやってひとに想われているんだ、という感覚を取り戻していこう。
これはもう訓練。寂しさや怠惰で苦しくなったらとりあえずやってみてほしい。
大切な人達との写真を現像しておいてもいいし、もらった手紙やプレゼントと一緒に、写真フォルダにまとめておいてもいいね。
孤独が消えるまで、この人と繋がっている感覚を磨き続けよう。
え?私はそんなプレゼントとかもらったことないって?
じぶんが人にあげてないだけだろ。
最初から読み直してきなさい。笑
ここまで「いいな」っておもった内容があったら「スキ!」しといてね。あなたの「スキ!」が、このnoteを必要としてくれる人の元に届けてくれるよ。
まとめ
さて、今日の復習です。
孤独を作っていたのは…
孤独をあっていいものする
喪失したものを再現できるじぶんへ
だいたいこんなかんじだったよね。
もしこれでわかんないこととか「私の場合はどうなの?」って気になることがあったら、無料カウンセリングで聞きにきて↓
ひとこと「無料カウンセリング」って公式LINEに送っておいてくれたら、順番に返信していくよ。
① ↑の「LINE Add Friend」を押して
② 画面が変わるから5秒くらい待って
③ 真ん中の赤丸のとこ2回押して
④ 無料カウンセリングって送るだけ
僕のtwitterもフォローしてくれてるひとは、ついでにアカウントIDも送っといてくれるとうれしい(例:@tsuyoi_cocoro)
いちおう直近でいただいた感想をひとつだけ載せときます(ほんとはマジで無限にある)
特典
ここまで付き合ってくれたあなたに特典のご案内!
以前に開催したこちらのスペース。
テーマは「一度うまくいってもまた精神状態が戻ってしまう理由」について。
「せっかく孤独感を克服してきたのに、また戻ってしまう….」などの仕組みについて40分くらいで解説したやつ。
このときのアーカイブは一晩ですぐに消したんだけど、あの短時間で50名以上の方が聞いてくれて、意外と好評だったんだよね。
聞き逃したという声もチラホラ頂いていたので、削除しちゃったアーカイブを、なんやかんやでダウンロードしてきた(すごい!)。
引用リツイートでこのnoteの感想を書いてくれたひと限定で、スペース音声を配ろうとおもうので、「このnoteよかったな~」と思った人は気軽に受け取ってみて。
引用してほしいのはこのツイート👇
引用くれたひとには僕からDMして配りにいくよ🐾
さいごに
「じぶんはどう生きたっていい。」ということをじぶんに許せたとき、覚悟をもちながらも安心するひとと、選択肢がうまれて不安になるひとがいます。
不安になるひとは「その選択肢に見合うような私じゃない」と思っているんですよね。
未来のじぶんが背負うであろう責任を重く感じていたり、
じぶんだけまだあの頃のガキンチョのままなのに、大人であることを要求されるんじゃないか、
…って怯えているのかもしれません。
気休めかもですが、僕らはどんな選択をしたところで、なんやかんやで結局バランスを取って生きていきます。
まわりに似た道を行くひとがいないと、似たガキンチョ達がいないと、孤独感が強かった当時の僕のように、きっとしぬほど怖いように思うはずです。
そのときは「失敗したら骨も残らないんじゃないか…?」っていう気分になりますけどね。マジで。
だけど孤独と向き合って、じぶんを支えてくれているひとたちの顔が浮かぶようになると
「人生はどこからでもやり直せるから、やれるとこまでやってみよう」と、本気で思えるようになります。
おじいちゃんのお墓の前で、あのとき、そんなことを考えていたように思います。
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