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〆はタコス『TACO BELL』のハードタコスがウマい理由

アメリカに住んでいた頃、深夜にお腹が減ると『TACO BELL』の一択だった。マクドナルドやKFCなどのファストフード店が閉まっている時間帯でも営業していて幾度となく通った。

勝手な推測だけど深夜まで働いているメキシコ人の需要を考えて遅くまで営業していたのだと思う。(違うか…⁉︎)

飲みに行った帰り(もちろん飲酒運転です)ドライブスルーで1つ39セントのタコス2つとメキシカンピザを頼む。会計をすませて家へ帰る途中、ホカホカの袋を覗き込み「〆はやっぱりタコスでしょ!」と心が踊った。

タコスをジャンクフードという人もいるけれど、メキシコでは代表的な料理である。日本食でいえば何だろ?手軽にサクッと食べられるから、のり巻きみたいな物かな?いやコロッケみたいな物かな?まぁなんでもいい。ジャンクフードではないのは確かだ。(確かか?)

具を包むシェルはソフトとハードの2種類ある。ソフト派、ハード派どちらが好まれるかのデータを調べたことはないけれど、私は断然にハードシェル派だ。ソフトシェルが不味いとかじゃなくて、ちゃんとした理由がある。小さい頃に食べた衝撃的な料理のひとつがタコスだったのだ。しかもハードシェルのやつだ。

小学校低学年の頃、近くの大きな運動場で祭りが開催された。祭りといっても神輿などはなく、こじんまり地域の人が集まって行われるバザーのようなイベントだったと思う。そこで、どういうわけだか親父が屋台を出店することになったのだが、これまた、どういうわけだかタコスを販売することになった。

40年以上も前のことだから、祭りの屋台といえば、焼きそば、たこ焼き、お好み焼きなどの鉄板焼系の料理や、焼き鳥、焼きトウモロコシなどの炭火焼系の料理。わたあめ、りんご飴、ベビーカステラをはじめとしたスィーツ系が定番だった。そこをあえて、当時の人がほとんど知らないであろうタコスを出すというのだから、今振り返ると大胆な親父である。

当日は母や姉に加え、親父の会社の人達も手伝いにきていて、台車で荷物を運んだり、テントを設営したり、凄く楽しかった。なんといってもテントの奥でみどり色のド派手なトンガリ帽子をかぶり、プリングルスのマークみたいな嘘ヒゲを付けた親父が大きな鍋で仕込みをしていたのにはウケた。

この時出したのがハードシェルのタコス。祭りがスタートする前に試食したのだが、その味は衝撃的だった。スパイスの効いたひき肉炒めをハードシェルの間に入れ、その上に新鮮なレタス、トマト、チーズをのせる。今まで見たこともない食べたことのない、味と食感。

「ウマい!!」

口の中でカリッカリのハードシェルの食感と中に詰めた具材が、音を奏でた。

「ボリボリ♫ ジュ~♬ スパイシ~♪ フレッシュ♫」

「世界にはこんなにウマい料理があるのか!!」

「絶対に売れるぞ、これ!!」

そして、祭りがスタートするとリアルお店やさんごっこがはじまった。

「いらっしゃいませ~!!」

「タコスいかがですか~!!」

大きな声を出してお客さんを呼び込むも、ほとんどの人はタコスを知らないので素通りしていく…。

「これは何処の食べ物なんですか?」

1時間ぐらいしてからようやく60歳ぐらいのおばさんが訪ねてきた。

「はい!!メキシコ料理です。タコスって言います!!凄く美味しいです!!」

「じゃあ、ひとついただこうかしら」

「はい、タコス1個ですね、200円になります」

それを聞いた似非えせメキシコ人が売り場の後ろでハードシェルに具材を詰めて私に手渡す。

「はいどうぞ!! ありがとうございました!!」

その後、ちょいちょい売れていくと、どうしたことか30分後にはお店の前に長蛇の列ができていた。他の店舗の人も驚いた顔で覗きにやってくる。人数はわからないけれど行列は30メートルぐらい先まで続いていた。たぶん、他の人が珍しい物を食べているのを見て『なんだろアレ?』『ウマいのかなアレ?』と噂が広がりお店に集まってきたのだと思う。

一気にタコスは完売。子どもながらに嬉しかったし、地元人に初めてタコスを食べさせた親父をなんだか誇らしげに感じた。ただ、この日以降『お前のお父さん、メキシコ人なのか?』という噂がクラス中に広がったのだった…。

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