『Slowdown 減速する素晴らしき世界』を読んで考えたこと二つ―読書月記43

(敬称略)

『Slowdown 減速する素晴らしき世界』を読んだ。興味深い指摘が多い本だった。ただ、中身の全体についての話ではなく、同書を読むことで思いついた二つのことについて書いてみたい。ちなみに、私はkindleで読んだが、紙の書籍だと540ページ、それなりの厚みだ。寝転んで読むには少し分厚いだろう。

まずは、第4章「データ-新しいものがどんどん減っていく」のなかでオランダの出版に関する部分だ。ここでは、オランダの16世紀後半以降の出版点数などのことに触れられている。当時のオランダでは出版は盛んだった。それは、オランダがプロテスタントの国であったことと無関係ではあるまい。
ここで重要なのは、「ヨーロッパで、17世紀、18世紀に本の生産と消費が最も増加したのが、いまはオランダと呼ばれている国」だったことだ(ネーデルランド連邦共和国と呼ばれ、現在のベルギーなども含まれている)。17世紀の終わり近くには、100万人当たりの1年間の新刊点数が、395点になっている。当時の他の国のデータは知らないので比較はできないが、上に引用した記述を読む限り、スペインやポルトガルよりもオランダで出版が盛んだったことは間違いないだろう。
遠く離れた時代の遠く離れた国の出版事情などになぜ、と思う人がいるだろう。しかし、17世紀の初め、日本が、正確に言えば、江戸幕府が、外国、こちらも正確に言えば、西洋の国との交易を1か国に絞ったことに思い至れば、どうでもいい話ではないことに気づくはずだ。
歴史にもしは禁物だが、もし江戸幕府がオランダではなくスペインやポルトガルを選択していたとすれば、と考えてみると面白い。18世紀後半になると『ターヘルアナトミア』(『解体新書』)を皮切りに、医学の知識がオランダ語の本を経由して日本に流入してくる。それは、天文学、地理学、兵学に広がっていく。幕末になるにしたがって、英語の影響力が大きくなっていくが、それでも幕末から明治初期に活躍した人材の多くの知識のバックボーンは蘭学である(こちらも正確に言えば、漢学も無視できない。西洋知識を漢文に翻訳された文献から得ていた者も少なくないからだ。ただ、あくまで西洋諸国での比較の話であるので、そこには立ちいらない)。そういった知識が、はたしてスペイン語やポルトガル語の文献でスムーズに入ってきたのだろうか。裏付けもなければ、確証があるわけでもないが、オランダ語とは違っていたと思うのだ。それは「本の生産と消費が最も増加した」のがオランダだったからだ。印刷による出版史を見ると、最初に宗教関係(日本の版木印刷でも、最初は宗教関係が主流だった)が増え、その後で科学書や文学書などが増えていく。これは考えてみれば当然のことだ。知識の広がり、それに伴う識字率が高い層が、そうなっていたからだ。西洋の場合はラテン語、日本の場合は漢文だが、それらを自由に読みこなせるのは、宗教関係者であり、そのあとは科学、なかでも医学に関わった人たちだった。そして、出版点数が多いほど、様々な知識に関わる本の出版が増加していく。江戸時代の日本では、キリスト教が禁止されていたから、宗教書は入ってこないが、医学などを含む実用書(といっても、天文学や地理学、兵学などで、今時の「実用書」「ハウツー本」ではない)が入ってくる。ただ、そういった洋書の輸入は簡単ではないし、非常に高価だった。だから、シーボルト事件の高橋景保は、地理学関連の洋書や地図のために、最高機密であった日本地図を渡している。
日蘭交流史については、詳しくないので分からないけど、オランダの出版事情が日本への蘭学移入に間接的な影響を与えたという視点で書かれたものがあるのだろうか?

さて、もう一つは、電子書籍のことである。以前にも書いたことと重複する部分があるけど。
1980年代、私はある情報誌の編集部にいた。そこで知ったのは、編集の世界ではコンピュータがどんどん使われているようになっていることだ。また、編集部の先輩に薦められて読んだのが杉山隆男の『メディアの興亡』。新聞の紙面編集にコンピュータが導入された経緯が描かれている。さらに、あくまで伝聞だが「ぴあ」の編集にコンピュータが以前から導入されていることも知った。だから、1990年に入るころには、いわゆる電子出版という未来が見えていた。
私は別に自分の慧眼を誇りたいわけではない。当時、現場で多少なりともコンピュータについて考えていた人なら、同じような未来を思い描くことができたはずだ。1990年代に入り、別の会社に移ったが、電子出版に対する考えは変わらなかった。ただ、私の場合、細かいテクニカルな問題を理解してわけではないので、実現までの時間が意外にかかるものだというのが実感だった。また、電子書籍に対する出版社の対応の遅さ、反応の鈍さには辟易した。ハードではなくコンテンツだと言っている出版社は多く、自分で先頭を切って開発に乗り出すところはなかった(大手ですら手をこまねいていた)。その結果が、Amazonのkindleの席巻である。現在、出版社とAmazonがどのような取引になっているかは知らないが、出版社にとって満足のできるものではないだろうと推測ができる。
現在公表されているデータを見る限り、電子出版に関しては、コミック部門で圧倒的になりつつある。また、雑誌も全体の売り上げが落ちるなか、電子雑誌へ移行しているところもある(私が現在定期購読している二つの雑誌「月刊みすず」は8月号、「SYORYBOX」が9月号で紙の雑誌が終了となる。それぞれWEBサイトへの移行を発表している)。
書籍の方は、まだまだという感じだが、今後はどうなるだろうか。私の場合で言えば、分厚い本に関しては、電子書籍の良さを実感している。寝て読む習慣があること、持ち歩く場合にも嵩張らないことなどが、電子書籍の利点だ。『資本主義と闘った男 宇沢弘文』『ブルース・チャトウィン』、さらに上に上げた『Slowdown~』などはその典型だ。また、『大菩薩峠』『柳田邦全集』『折口信夫全集』などは、文庫で持っていたものの、すべてkindle版にしたし、コミックだが紙の方を手放した山岸凉子の『テレプシコーラ』は全巻kindle版で揃えた。場所ふさぎという理由で、本を買わない、文庫しか買わないという知人がそれぞれ一人ずついる。だから、電子書籍という訳ではないようだが、教科書をタブレットで読んだ世代の電子書籍へのハードルは下がっていくだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?