現在のジャーナリストは、「丸見えの状態で隠されている記事ネタ」に対し、どのように対峙しているのだろうか―『ヒロシマを暴いた男』(レスリー・M・M・ブルーム/集英社)

1945年8月、アメリカは広島と長崎に原爆を投下した。当初は、戦争を早期に集結させ、アメリカ人兵士の命を救うためには必要だったなどという考えを背景に投下は正当化され、被爆による後遺症などについては過小評価され、場合によっては被害そのものを隠蔽するように報道規制も行われていた。取材を試みたジャーナリストがいたものの、様々な圧力をかけられ、アメリカも含め世界中に、その被害状況が正確に知らされていたわけではなかった。

本書は、当時のアメリカで報道された被害状況に疑問を抱き、原爆で被災した人たちを取材するために1946年に広島市を訪れ、その取材をもとにした記事を、同年8月の雑誌「ニューヨーカー」(正式には「ザ・ニューヨーカー」だが本文表記に従う)に一挙掲載(後に『Hiroshima』[ヒロシマ]として書籍化)したジョン・ハーシー、さらにはその取材を後押しし、異例とも言える掲載方法に踏み切った同誌編集部のハロルド・ロストとウィリアム・ショーン、その3人の心情や葛藤を描いている。

興味深いのは、ハーシーが戦時中は必ずしも日本人に対し好感情を抱いていたわけではなかったこと、「ニューヨーカー」の従来の路線とハーシーの記事がピタリと合致するものではなかったことなどである。また、連載小説やエッセイなどを全て休載し、ハーシーの記事を一括掲載した英断が素晴らしい。編集部内でも極秘事項で、知る人は少なかったとのこと。そして、マンハッタン計画を指揮したレズリー・R・グローヴス中将に事前に許可を取っていたのも不思議だ。そして、この編集過程は、かなり緊迫したドキュメントとなっている。
この記事が掲載された「ニューヨーカー」の売れ行きと反響、政府や軍人の反発と思惑、嫉妬も含めたライバル誌やジャーナリストの反応、ハーシーのその後(85年の再訪)なども丁寧に辿られている(この再訪も含まれた増補版が法政大学出版局から刊行されている)。

本書を通じて著者が最も伝えたかったのは、原爆のもつ残忍さに加え、3人が真実とどう向き合ったのか、ジャーナリストとして何を伝えようとしたのか、ではないだろうか。

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