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いつから人鳥は空を飛べなくなったのか

いでや、この世に生まれては、願はしかるべきことこそ多かめれ。 
ー『徒然草』兼好法師

 私が中学生になったばかりのこと。

 大人になればくだらない悩みなんて綺麗さっぱりなくて、もう少し呼吸をするにも楽な世界に生きているんだろうと漠然と思っていた。20年後はもっと立居振る舞いもそつなくこなせて、相手との間に軋轢が生まれないようにうまくやるに違いないと、そんな淡い幻想を抱いていたのだ。

 それがいざ自分がその歳になると、かつての私自身の理想に指さえも届かない。それどころか、むしろ昔よりも息をすることが苦しいと思うことが増えた。社会に出てから会社で働くようになり、周囲と能力の差を比べられるようになる。少しでも決められた筋道を外れるもんならば、後ろ指さされることもしばしば。

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 かつては不思議な万能感と浮遊感が足元にあった。これから過ごすであろう時間に対して、まだまだ限りない可能性が広がっている。ただただ底と奥の広がりの先が見えない、海のように。

 気がつけば、自分が心の底に秘めていたそういった才能のかけらみたいなものは歳を重ねるたびにどんどんどんどん見えなくなっていった。もしかしたら灯台下暗しというものかもしれない。そういった希望を見出そうにも、いつの間にやらずいぶん自分自身の視力が低下してしまった。

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 先日、フーテンの寅さんこと渥美清さんが主演を務めた『男はつらいよ』シリーズ50作を見終える。さすがギネスに正式に認定されているだけあって、全て見終えるのにはとても骨が折れた。昨年のちょうど緊急事態宣言が始まったあたりから1週間に1作というペースで鑑賞し、だいたい1年あまり。

 50作なんて長い間同じ男の物語が作られ続けていると、当然途中で中弛みみたいなものが発生する。あれ、なんかこのエピソード見たことがあるなと思うエピソードがちらほら。それでも、最後『男はつらいよ』お決まりの終わり方である青い空と白い雲(時々凧が上がる)を見ると、不思議とどうしようもない高揚感が押し寄せてくるのだ。

 本当に子供っぽくて、周りの人には迷惑かけてばかり。あるのは商売道具の茶色くて四角いカバンと、暇な時間だけ。それでも人への思いやりと人情だけは忘れない。

 寅さんの瞳はいかなる時もただひたすら前を見て、どこか人を前向きな気持ちにさせてくれるおおらかさがある。いつも最後、毎回一人は出てくるマドンナに振られてしまうところも、愛嬌といえば愛嬌だ。

 最後まで見終わったとき、なんだかふと夢から覚めた気分になった。

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 大人から子供になるときの境目っていつからなのか、とハタと思う。

 一時期社会との関わり方に疲れてしまったときがあった。人はみんな少なからず自分なりのポリシーを持っていて、歳を取れば取るほどそうした傾向が強くなっていく。みんな見えない姿の正体がわからないまま、何かにせき立てられるようにあくせく働く。その理由も、あまり理解しないまま。

 『男はつらいよ』に出てきた寅さんは、確かに大人だなと思うようなシーンもあったが、一たび自分の家に帰ってくるとやりたい放題。勝手知ったる仲とは言え、本当に大きな子供みたいだ。でも子供と言っても、それが必ずしも悪いことだとは私は思わない。

 ふと周りを見てみると、驚くくらい時々子供っぽい振る舞いをする上司もいる。その姿を見ると、三つ子の魂百までという諺にもあるように結局人の生まれ持った本質は変わらないのかもな、と思えてくる。私自身も振り返ると、ああなぜこんなことしてしまったのかと思い悩むときがあるから人のことは言えない。

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 いくら子供っぽくたって、良いのかもしれない。相手に対する折目正しい気持ちがあれば。ピンと張った布の上に一本の筋がきちんと引かれていて、畳むことで相手のことを正しく認識できるのであれば。多少なりとも傍若無人な振る舞いをしても、許される関係であるならば。

 確かにあの頃感じた万能感や浮遊感みたいなものは綺麗さっぱり消えてしまった。その分以前より、見えている景色が広がったような気がする。結論を言ってしまうと、大人と子供の間にある境目なんてものはあってないものだ。大人になっても間違いは犯すし、いつになっても抱いた夢は壊れてなくならない。

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 ペンギンは残念ながら空を飛ぶことができない。

 二足歩行で歩く姿が印象的で、故に昔の人はペンギンに対して「人鳥」という字を当てたそうだ。飛べない鳥はただの鳥かもしれない。でも夢見ることは自由だ。ずっと思い続けていれば、いつかもしかしたら空を飛べる日が来る、かもしれない。



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