正しさとはなんだろうか。
僕らにはきっと”正しい”がある。
法律があったり、ルールがあったり。守るべきものがある。守るべきものを守っていれば正しくなって、その正しさがあるおかげで”普通”でいられる。大勢の中のひとりでいられる。
でもみんな大勢の中のひとりにありながら、特別でありたいという欲求を持ちあわせて生きているから、なんだか生きづらい世の中だなと思うこともある。
そこから逸脱した人は、異端者として扱われる。普通ではない人間。病気、変態、変質者。頭のおかしいやつ。天才ももしかしたらそれに近いのかもしれない。逸脱してる。普通の社会では生きられない人間として認識されることがある。
ときにそれは、仲間はずれにされたり、避けられたり、なにかを噂されたり。あからさまな避難や暴言、暴力、いじめにつながっていったりもする。
僕らは生きている。生まれれば、生きていくことになる。生まれた瞬間から生きることを余儀なくされる。
なにが与えられていようとも、どんな状況、環境にいようとも。僕たちは生きようとする中でいろんなことを感じて、考えて、選んで、決めて、捨てて、生きていくことになる。
正しさが、正しくて。普通に生きることが、普通だと社会が言う。そんな気がする。
きっと僕も”普通”に毒されているんだ。
※
多様性が叫ばれている。多様な社会をめざしていっている。いろんな人がいることを受け入れようとだれかが言っている。
多様性、とはなんだ。
僕は以前、バイセクシャルの女性とデートした。素敵な女性だった。いろんな世界を見ていて、いろんな葛藤と戦ってきて、心の広い人だった。しっかりと自分を持っていた。もし出会うタイミングが違っていたら、僕は彼女に恋していたかもしれない。
でも別の人にバイセクシャルの人との恋について話をすると、「私は嫌だ。だってライバルが単純に倍になる。というか全員になっちゃうじゃん!」と言っていた。確かに。そんなふうに考えたことはなかった。面白かった。
サウナで男性に性的興奮されたことがある。そういう人もいるなと思った。正直自分自身がそういう人と対峙したとき、気持ち悪いと思うだろうなと思っていたが、けっしてそんなことはなかった。本当に「そういう人もいるよな」と思って、おじさんと話すことができた。「僕はそういう気はないけど、そういう人もいますよね」って。「ごめんね、ありがとう。」と言われた。
正しさとはなんなんだろうか。
僕らにとって本当に必要なことはなんだろうか。
多様性を受け入れることなのか?
多様なものを知っていくことなのか?
シンプルなはずなのに、自分がどう感じるかは出会ってみないとわからないから、きっと難しいんだ。
ただ、いつだって多様性は、正しさから見た”異端”を受け入れることになってしまってはいないだろうかと僕は思う。
違和感を感じることは、仕方のないことなのかもしれない。マジョリティ(多数派)があって、”普通”が存在してしまっていて、異端を実感した自分自身でさえも隠してしまっているはずだ。普通ではないんだと気がついて、隠して、我慢して、普通を装って、どこかで行き場のない思いを解消している。それがバレた瞬間、見られ方が変わってしまう怖さと戦っている。
正しさなんて、本当は自分の中にしかない。わかりあうことはできないし、わかりきろうとするには無理がある。
だからせめて正しさを押し付けない社会であってほしい。それも押しつけになってしまうのかもしれないけれど。だれの感情も、だれもコントロールすることはできないのだけれど。
多様性が多数派からの視点だけであってほしくないと思う。どこまでもフラットに、あらゆる人間が存在することに。多数派も、少数派もいることに。普通は人それぞれであるように。
人それぞれの正しさに、”繋がり”があってほしいと願う。
すべての生きる人へ
自分の正しいを生きる物書きより
※
続きはこちら
※
今回読んだ本
※
公式LINEにて、なんでも相談受付中。
「代筆をお願いしたい!」「文通してみたい!」「ちょっと悩みがある…」「恋愛相談に乗ってほしい」など、なんでもご相談ください!
チャットでも、無料電話でもいつでも対応可能です。
ご連絡楽しみにお待ちしております!
※
代筆屋による”自分を知るパーソナルセッション”を提供しています。「自分のことをもっと知りたい!」「やりたいことを見つけたい!」「数秘術占いを受けてみたい!」という方からのお申し込みをお待ちしております。
※
代筆の依頼の話
執筆した小説
代筆屋をやる理由
※
ご相談はメールか電話でも可能です。
Mail→ daihituyakensei@gmail.com
Tel→ 080-5010-5175
あとんす!きっとうまくいく