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おひな様巡りで出会ったお茶屋さん

私は姉との二人姉妹である。

農家本家だった我が家には
私が物心ついた時に空き部屋(普段あまり使わない部屋)がいくつかあり
3月3日が近づくと、その部屋にひな人形を飾っていた。

 
王道な七段飾りだけでなく
ガラスケースに入った巨大な和風のお人形も5つくらいある。

敷地内倉庫二階から祖父や父が段ボールやそのガラスケースを
自宅まで運んだ後
七段飾りの骨組みを組み立て
赤い布をかけてくれる。

 
そこまで準備が終わったら
説明書に従って、母や私や姉で人形を並べていく。
毎年並べていても 
五人囃子の並び順や右大臣と左大臣の違いは紛らわしかったり
六段目や七段目あたりの小物配置も戸惑った。

 
七段飾りの左右には
ガラスケースの和風人形がいくつも飾られ
母は近くにピンク色の花を飾り、ひなあられを置いた。
夜には灯りを灯したりもした。
 

3月3日は家族でちらし寿司とケーキとひなあられを食べ
ひな祭りが過ぎたら、嫁に行き遅れないようにと早めに片付けた。
  

私にとっては、ひな祭りとはそういうものだった。

 

遠方の幼稚園に通っていた私は
友達の誰かとひな祭りの時期に遊んだことがなく
小学生になってから、お互いの家のひな人形を見せ合った。

 
七段飾りが当たり前だった私は
こじんまりとした三段飾り等を見た時に大変驚いた。
 
非農家の子の家は三段飾りやおひな様やお内裏様がいる小さな飾りもあり
農家の子の家は七段飾りが主流だった。

 
小学生の頃は専業農家や兼業農家の友達が多く
8割以上の子が二階建ての持ち家に住んでいた。
我が家より大きい家の子もゴロゴロいた。

それでも、ひな人形の規模や数は、クラス内で私が圧勝だった。

 
「ともかちゃんちのひな人形、すごーい!」

 
ひな祭りの時期になると、友達がよく遊びに来た。
私は鼻が高かった。
地味で目立たない私が誇れる数少ないことが
豪華なひな人形があることだった。

 
ひな人形は8畳の部屋に飾られ
その隣部屋は客間であり、普段ほとんど使われない部屋だった。こちらも8畳だった。

襖で仕切られていたので、襖を開ければ16畳の部屋の出来上がりだ。
更にその部屋には縁側もあり、外側の廊下も合わせればかなりかなり広い空間だったので
友達が5、6人来て走り回っても何も支障はない。

 
だが、ひな祭りフィーバーは小学生時代で終わりだ。

 
中学生になれば部活で忙しくなり
高校生になれば受験勉強で忙しくなり
皆はいちいち我が家のひな人形を見に来ることはなくなった。

 
更に、私は中学、高校、大学と仲良くなった子が学校から近くに住んでいた関係で
中学生以降、我が家に友達はほとんど来なくなった。
友達の家で遊ぶことが主流になった。

 
友達とひな祭りを楽しんだのは小学生時代だけで
後の時代はあくまで家族と楽しんだ。

中学生までは給食でもひな祭りを楽しんだろうが
基本的には家で家族と楽しむのがひな祭りだった。

 
当時は携帯電話がないし
あってもカメラ機能がなかったり
Twitter等SNS文化もないから
いちいち写真を撮ってネットにあげることもない。

 
家族で家族のためにひな人形を飾り、愛でて
ひな祭りにちなんだものを食べて
3月3日が過ぎたら早めに片付ける。

それが私のひな祭りだった。

 
 
 
変化が訪れたのは、私が社会人になってからだった。

 
私は学校を卒業してから、障害者福祉施設で働いていた。
私の施設は利用者が作業を行う場所だったが
我が事業部は私が社会人1~3年目くらいまで
作業量が一定ではなく
利用者の仕事がない日や期間も長かった。

 
一番定番な余暇活動は散歩だが
職員体制の都合や天気に左右されがちである。
また、マンネリ化もあるため
事業部の責任者として私は
様々な余暇活動や外出を検討していた時期だった。

 
「おひな様巡りはどうかな?」

 
同僚が私に、おひな様巡りのマップを見せてくれた。
どうやら施設からほど近い場所で毎年おひな様巡りというイベントをやっていて
市内に100箇所くらい様々なおひな様が飾られているらしい。
同僚はプライベートで何回か行っていた。

 
おひな様巡りというイベントがあることを
私は初めて知った。
言われてみれば確かに、毎年ひな祭りの時期にニュースでやっているかもしれないが
私は「へぇ~。」としか思わなかった。

 
つるし雛等は確かにニュースで見事だが
わざわざ外出してひな人形を見に行く必要がなかった。
我が家に立派なひな人形がある為、見に行く興味はなかった。

 
だが、仕事となると話は違う。

 
 
同僚の話だと、100箇所のひな人形はピンキリあったり、段差がある場所もあるらしい。

まずは道の駅に車を停めて、トイレを済ませ(私の事業部は車椅子の方やトイレが近い利用者が多い)
そのまま平坦な場所に飾られたひな人形を見て歩くというプランを
その同僚と計画した。

 
「段差がなきゃ、ここのひな人形が見事なんだよ…。」
「身障トイレや駐車場はここにもあるから、道の駅満車ならこっちのルートを攻めよう。」

 
その同僚は、正職員ではなかったが
私の事業部のナンバー2の方で
土地勘があり、利用者に適した外出先や余暇活動提案に力を貸してくれた。

 
私は自宅から遠くの職場に通っていた為、土地勘がなく
施設から近いおすすめスポットやイベントは詳しくなかった。

 
また、私は20代女性でその職員は60代男性で
着眼点等も大きく異なり
その違いは新しい発展へと繋がった。
私は彼と協力しながら、行事や日々の過ごし方を検討していた。
「利用者に喜んでもらいたい!」という気持ちが強かったからだ。

 
その熱意が裏目に出て
やがて事なかれ主義のやる気のない直属上司に
私達二人が辞めるように仕向けられたのは
この数年後である。

 
 
 
同僚の話によると、小回りがききやすいように少人数でおひな様巡りをした方がいいらしく
私は利用者を4チームに分けた。
公用車や施設の外せない用事の都合、また天気予報と相談し
日程を調整した。

1チームに職員、利用者合わせて10人未満にした。

 
おひな様巡りの提案に利用者は目を輝かせ
行く日を非常に楽しみにしていた。

 
 
まず、私はその同僚と共に初日におひな様巡りに参加した。

同僚にトイレの場所やひな人形の場所を教わり
利用者の歩くペースなどをチェックした。
謂わば、下見も兼ねていた。

 
そして、同僚と共に初日に感じたことや反省点を言い合い
他のチーム時に行く職員に情報を提供した。
私やその同僚は
初日以外はばらけてチームに入った。

 
 
私はその同僚がいない時に施設を守り
その同僚は私が外出時に施設を守った。

私達事業部の上には直属上司がいたし
事業部責任者の私の上には直属上司がいたが
事業部と上司の間に信頼関係はまるでなかった。

私はその同僚と仲間達と共に事業計画を立て
上司に「~してもいいですか?」と言うだけだ。

 
 
上司は何もやらない。行事を何も提案しない。

定時に上がるし、事なかれ主義だし、書類はためるし、時間や仕事にルーズだし、利用者の支援に関わらず、日中はパソコンしかしない。
上司の頭には定時で上がることや自分が楽することしかない。

 
「利用者の笑顔のために!」と、作業や余暇活動を頑張る現場やサービス残業を厭わない私達と
そんな直属上司では
足並みが揃うはずはなかった。

 
だが、職員の中で一番の古株が、その仕事をやらない直属上司であり
我が施設はやればやるほど上から叩かれる職場であり
年功序列である。

 
利用者や保護者ウケがいいのは施設の為に頑張る職員だが
施設や組織からやがて辞めるように仕向けられる職員は、そういった職員だった。

出る杭は打たれるのである。

 
 
初めてのひな祭り巡りは大成功だった。

想像以上にひな人形はたくさん飾ってあったし、とてもキレイだった。
天気にも恵まれ、利用者はとても喜んでくれた。

 
企画してよかった、と仲間と喜びを分かち合った。

 
 
そのひな祭り巡り後、その同僚が仕事を探してくれたお陰で作業量は安定し
次の年にひな祭り巡りはやらなかった。

私はその職場に11年いたが
結局その内2年しか、ひな祭り巡りはできなかった。

 
利用者や保護者は作業希望なので
作業量が増えたことは非常に喜んだ。
ただ、納期に間に合わせるべく
職員のサービス残業時間は増えた。

嬉しい悲鳴ではあるが
障害者がたくさん作業をすることは、すなわち職員のサービス残業がセットである。

サービス残業は仕方ないが
直属上司がそれを見て見ぬふりをしたり
労わないことで
関係はどんどん冷えていく。

 
私達が残業している中
上司は我関せずで毎日定時で上がったり、先に帰った。

 
 
 
利用者とのひな祭り巡りで味をしめた私は
休日、友達にひな祭り巡りを誘った。

段差があって行けなかった場所や
施設の日課や利用者のトイレ事情の関係で行けなかった場所に
私は行きたかったのである。

 
友達もひな祭り巡りは行ったことがなく
私の提案に賛成し、楽しみにしてくれた。

 
 
同じ場所でも、プライベートで行くのと仕事で行くのは全然違う。

私と友達はアイスを食べ歩きしたり
お互いの写真やツーショットを撮ったり
おひな様の美しさに見とれた。

 
おひな様はキレイだった。

一つ一つ違うものであり
表情や雰囲気が全く違う。

 
七段飾りだけでなく、つるし雛やお内裏様・お雛様セット、三人官女単体、五人囃子単体、ガラスでできたもの、折り紙でできたもの等
本当に様々なおひな様がひたすらにひたすらに飾られた。

最近作られたものから昭和初期の作品など
様々な時代のおひな様が無料で楽しめた。

 
 

 

 


 



同僚が言っていた、車椅子の方が行けない場所は日本庭園も美しく
部屋中に飾られたひな人形やつるし雛の数々に圧倒された。
そこにいた方が丁寧に解説をしてくれた。優しかった。

記帳を見ると、県内外からたくさんの人が訪れていた。
ひな祭り巡りがここまでメジャーだとは思わず
私と友達はビックリした。

 
利用者と行った平日も混んでいたが
土日はもっと混んでいた。

 
 
たくさんのひな人形を見た後、最後にお茶屋さんに飾られた神殿作りのおひな様を見た。
その名の通り、朱色の神殿の中におひな様が飾られていて、私は非常にうっとりした。

神殿作りというジャンルがあることを
私はこの時まで知らなかった。

 
ひな祭り巡りで今まで見たおひな様の中で、一番好みだった。

 
 
お茶屋さんには神殿作り以外のおひな様もたくさん飾ってあって
キレイだなぁと見とれていると
お茶屋さんがお菓子とお茶を出してくれた。

 
私と友達は椅子に座らせていただき
お菓子やお茶を食べたり、飲んだりしながら
お店の方としばし会話を楽しんだ。

品のいい優しい方で
私と友達はお店を出る時に少しだけ茶菓子を購入した。

 
お茶屋さんのお茶を飲みながら
馴染みのないお店の方と話し
たくさんのひな人形を見て過ごす時間は
非日常的だった。

 
あたたかな日の散歩をかねたひな祭り巡りに私はすっかりハマり
それからは毎年そこのひな祭り巡りを楽しむようになった。

 
 
毎年行くから分かるが
同じ物を飾る場所もあるが
毎年レイアウトやひな人形の種類が変わるのだ。だから飽きが来ない。 

 
私は毎年、たくさんのひな祭り巡りをした後
最後にしめで、お茶屋さんの神殿作りのおひな様を見た。

そして毎年お茶を飲みながらお菓子を食べながら
お店の方と話し
最後に私はお茶菓子を買い
お店を出た。

 
 
 
毎年そのお茶屋さんにたくさんの方がおひな様巡りに来るし
毎年たくさんの方にお茶を出しているのだろう。

 
お店の方は、私の顔を覚えていなかった。

 
だから毎年初めましてのような扱いを受けた。
お店の方が話す話は毎年同じで
私は毎年、「この神殿作りのおひな様が一番好きです。」と伝えて
毎年お店の方は嬉しそうに微笑んだ。

 
私は変わらないことが嬉しかった。

 
毎年そのお店でその方と同じ会話をする一時が幸せだった。
様々なものが変わる世の中で
毎年お店には神殿作りのおひな様が飾られて(レイアウトは例年変わるが)
お店の方が毎年変わらずに優しくしてくれて
お茶やお菓子をくれることが嬉しかった。

お茶菓子を買うと
「おひな様巡りをしながら、これでも食べてね。」と、お店の方は更に私にお菓子をくれた。

 
アラサーだったのに
私はそこに行くと孫のような気分になった。

 
 
 

 
倉庫二階から自宅まで、七段飾りやガラスケースを運ぶのは段々しんどくなり
祖父が倒れてからは
ひな祭りに全てを飾らないようになった。 

 
七段飾りだけだったり
ガラスケースだけだったりと
我が家のひな祭りは簡略化していた。
 
それが原因かは分からないが
おひな様を早めに片付けていたにも関わらず
私はアラサー時代に婚約破棄をした。

 
婚約破棄後、私は引っ越し
七段飾りを飾るスペースがない家に住んでいる。
だから、引っ越しをしてから
私はディズニーランドで買ったミッキー&ミニーのひな人形しか飾っていない。

 
ちらし寿司やケーキは食べたが
ひなあられもわざわざ買わなくなった。

 
 
 
 
おひな様は結婚や幸せの象徴だ。

私はおひな様を見てはウットリしたり、癒されたり、憧れた。

30歳を過ぎてから
もう結婚は難しいだろうし、仮に結婚しても入籍だけで、結婚式はしないだろうと思ったが
その予感は的中し
今のところ結婚の予定は特にない。

 
 
 
このままこうして、友達と、もしくは一人で
毎年おひな様巡りをして過ごすのだろうと漠然と思っていた。

 
コロナウィルスが流行するまでは。

 
 
おひな様巡りはコロナにより、中止になった。

おひな様巡りができないことも寂しいが
お茶屋さんと毎年恒例のやり取りができないことも
残念だった。

 
 
 
今年はミッキー&ミニーのひな人形を見て
ちらし寿司やケーキを食べてひな祭りは終わりだと思っていたが
昨日出掛けた先に、いくつかのひな人形が飾ってあった。

見事な七段飾りに、ウットリした。

 
 

 
 

 
 
 
今は核家族化が進み
自宅も小さめになり
七段飾りは売れない時代になった。

ガラスケースのひな人形やお内裏様・お雛様だけのものが主流で売られるようになり
時代を感じる。

 
もはや七段飾りは、観光地で見るものになりつつあるのかもしれない。

 
 
 
最近は耽美系なひな人形もあったり
作りやデザインは今風になり
非常に洒落ている。 

昔ながらのひな人形もいいが、最近のひな人形もかわいらしい。

 
私の大好きなさくらももこ先生がシングルマザーの時
ひな人形が大好きでたくさん買って父ヒロシに咎められたエピソードがあるが
私も独り身だが、ひな人形は飾るスペースとお金さえあれば買い集めたい気持ちは分からないでもない。

 
結婚は来世に期待し
今世はひな人形を見ながら、ささやかな幸せを噛みしめたい。


 









 
 








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