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サンタはいないと思った

日本人は平均して、何歳くらいまでサンタを信じているのだろうか。

 
サンタのいるいない話は
時に純粋な子どもの心を傷つける。
だから下手に話題には出せない。
誰かを傷つけそうで怖いのだ。

 
私がサンタがいないと確信したのは6歳の時だった。
多分早い方だだと思う。
私は周りの友達の夢を壊さないように
サンタの話題を自分からは仕掛けないようにしていた。

 
 
 

 
私が通っていた幼稚園の園長先生は、サンタクロースが好きだった。

サンタは子どもに夢や希望を与える。
私達、幼稚園の先生や保育士は子どもにとっていつでも、そういった存在でありたい。

 
そんな考えがあったらしく、私が卒園してからは、幼稚園の体操着や園内にはサンタモチーフの物があった時期があった。

 
 
 
おそらくその園長先生の考えにより、我が幼稚園は毎年サンタを招いていた。
先生の変装ではなく、外国人のサンタさんだ。
フィンランドかどうかは分からない。

 
園児は部屋に集められ、体育座りをして待っていた。
部屋の照明は落とされ、光に照らされてサンタさんが扉から登場した。
扉は引き戸で、サンタさん両サイドに幼稚園の先生がいて、絶妙なタイミングで、サッと扉を開けた。

それが印象的で、私は今でもその光景が忘れられないのだ。

 
サンタさんはいるんだ!

 
幼稚園の私は思っていた。
どこからどう見てもサンタさんだった。
巨大な白い袋からプレゼントを配ってくれた。
「メリークリスマス!」も発音が良すぎて
「Merry Xmas!」だった。 
青い瞳や長い長い白いヒゲはまごうことなきサンタだと
私は信じていた。

 
 
 
クリスマス前になると、母親が「今年のクリスマスプレゼントは何がいい?サンタさんに頼んでおくよ。」と言って、私や姉にプレゼント希望を聞いてきた。

なるほど、クリスマス当日の朝、枕元にはプレゼントが置いてあった。

 
「サンタさんからクリスマスプレゼントだ~!!」

 
私と姉は疑いもせずにはしゃぎ、パジャマ姿のままプレゼントを夢中で開けた。
クリスマス用の靴下は用意していなかった。
今でこそ、100円ショップで当たり前に巨大な靴下は売っているが
当時は手作りしないと大きな靴下は手に入らない。
オモチャやぬいぐるみが入る靴下はかなり巨大だ。
母親はフルで働いていたし
靴下作りをするまでは考えていなかった。

 
 
私の姉はクリスマスが誕生日だったので
クリスマスパーティーと誕生日会は毎年一緒に行われた。
私と姉の誕生日は一ヶ月も離れていないので
クリスマスパーティー → お正月(ご馳走) → 私の誕生日パーティーと
12~1月はご馳走三昧で太る流れになっていた。

 
更に、私や姉が幼かった頃は
親戚と合同で12月にホテルに泊まるイベントも毎年行っていて
そこでホテル側や親戚からもクリスマスプレゼントをもらっていた。
ご飯はバイキングである。

毎年、冬はイベントが盛り沢山であった。

 
 
 
そんな私が卒園し、小学一年生になった。
世間はスーパーファミコンの発売で、活気ついていた。

「今年のクリスマスプレゼントはスーパーファミコンとマリオのゲームがいい。」

私と姉は声を上げた。

 
 
当時、スーパーファミコンは25000円。
ソフトは8000円。

かなりかなりかなり、高額なオモチャだった。
親には痛い出費だったろう。
いつもならば、私と姉別々にプレゼントを用意されていたが(一人予算は5000円前後くらいだろうか)
今年は姉妹で共有プレゼントとなった。

 
 
 
クリスマスの朝、私は姉に起こされた。

「ともか、起きろ。枕元にプレゼントないぞ。」

私はガバッと起きた。
当時、私と姉は二段ベッドで寝ていた。
姉が梯子を使って上のベッドから降りてきた。

 
私と姉は着替えずに慌てて二階から下に行くと、陽気な母親が「今年はサンタさんが家のどこかにプレゼントを隠しました!さぁ~!どこでしょう?着替えたら、探してご覧♪」とはしゃぐように言う。

私と姉は再び二階に上がって服を着替えた後
朝ご飯どころじゃないと
あちこち探しまくった。

 
ない、ない、ないぞ、プレゼント。

 
「ともか。スーパーファミコンは大きいから、箱はかなり大きいはずだ。ベッドの下とかにはない。分かりやすい場所にあるはずだ。」

小学校三年生の姉は、二歳年下の私に知恵を授けた。そりゃそうだ。
私は足下や隙間ばかりをしゃがんで覗いて探していた。

 
しかし、見つからない。
当時は空き部屋もたくさんある広い家に住んでいた。
隠し場所はいくらでもあった。

あと、探していないとしたら…………

 
「あった!これだ!」

 
姉が叫びながら、ピラッとコタツ布団をめくった。
私は姉と同じようにしゃがんで、コタツの中を見た。
そうして、それを見つけた。

 
 
プレゼントは予想より大きな箱だった。
なるほど、これは枕元には置けない。
でもまさかクリスマスプレゼントが

 
掘りコタツの中に隠されている

 
と、誰が思うだろう。

 
 
 
…姉はポツリと呟いた。

姉「薄々思ってはいたけどさ………サンタはお母さんだよな。」

 
私「………本物のサンタさんは、コタツの中になんか隠さないよね。」

 
姉「コタツの中に隠すのは、お母さんのセンスだよ。朝起きてノリノリで“宝探しだ~♪さぁ、頑張って探すのよ♪”なんて一番はしゃいで騒がしかったし。絶対犯人。」

 
私「そっか、サンタさんはお母さんかぁ………。」

 
 
 
念願のスーパーファミコンとスーパーマリオワールドを手に入れた我ら姉妹は大はしゃぎもしたが
サンタの正体が分かり、少し寂しさも知った。
そうして私は少し大人になったのである。

 
「サンタはお母さんでしょ!あんなふざけた場所にクリスマスプレゼント隠して!!」

 
と、姉妹で抗議しつつも
朝ご飯を食べた後に早速プレイしたスーパーマリオワールドはそれはもうそれはもう

 
楽しかった!!!

 
最高のクリスマスプレゼントだった。
「お父さん、お母さん、ありがとう。」と思ったり、言いつつ
姉妹で夢中になってゲームをやった。
もはやサンタの正体などどうでもいい。
念願のスーファミとソフトが手に入ったのだから。

ただし、あまりにも私や姉にとってスーファミは楽しすぎた。
ゲームをなかなかやめることができず
「ゲームやりすぎ!目が悪くなるから今日はもうおしまい。」と父親から言われる始末であった。

 
我が家に始めてやってきた家庭用ゲーム機がスーファミである。
この日から、毎日スーファミをやるために早く宿題を終わすようになり
両親が出掛けている隙に二時間以上ゲームをするようになったのである。

我が家は、一日ゲーム時間は二時間と決められていた。

 
 
 
その後、我が家のクリスマスプレゼントは非常に現実的で、オモチャのチラシを親から渡されたり
自分らでオモチャのチラシを見つけては
欲しいものに赤い丸をつけて渡した。

もうサンタがいる設定はいらなくなった。

 
予算は決まっており、確かクリスマスプレゼントと誕生日プレゼントを合わせて最大15000円設定だった。
私と姉はクリスマスプレゼント会議をよくやった。
なんせ、誕生日の関係で
プレゼント時期がかぶっている。

姉はクリスマスにクリスマスプレゼントと誕生日プレゼントをもらうし
私は12月にクリスマスプレゼントをもらった後、1月に誕生日プレゼントをもらう。

 
二人で、う~ん、と悩んだ。
本来ならば、夏と冬とか、一年間の内、ばらけた季節にプレゼントをもらえたらいい。
だが、我らは12月と1月にプレゼントが集中した。
春~秋発売のオモチャを冬まで我慢するのが辛かった。

 
1月はよりによってお年玉の時期でもある。
我が家ルールで、お年玉は一万円のみ子どもに渡され、それ以上は全額貯金システムだったが
スーファミ登場により、非常に悩ましい問題になった。

 
スーファミのソフトは8000円ぐらいだったからだ。
当時の他のオモチャに比べると、群を抜いて高額だった。

 
 
スーファミを手に入れた私達には、ほしいソフトが増えた。
今とは異なり、ブックオフがない時代だ。
中古で安上がりにすませる選択肢はない。

 
だが、欲しいのはソフトだけではない。
リカちゃん人形もほしいし、セーラームーンや中華なイパネマ等アニメや実写もののグッズやアイテムもほしい。
コイン落としやジャンケンゲーム等そういったオモチャだってほしい。
ほしいものはたくさんあった。

 
一人予算がクリスマスプレゼントと誕生日プレゼント合わせて最大15000円
お年玉で10000円の収入。
お小遣い残金が○○円で、おばあちゃんからこっそりお小遣いもらえる金額が大体○○円。
 
 
姉「だから私が●●をクリスマスプレゼントで、○○を誕生日プレゼントで買ってもらって、ともかは××をクリスマスプレゼントでねだれ。そうすれば残り予算は▲▲円だから、お年玉と合わせ技で■■が買える。
●●と××は姉妹で冬休み中に遊べる。■■は冬休みにこだわることはない。」

 
私「なるほど!いい手だ。そうしよう。」

 
 
私と姉は非常に仲がよく、かつ、ずる賢く打算的だった。
予算内にどのように買い物をするかは、姉妹によるかわいげのない会話の先に決まった。
二人で通っていたそろばん塾の計算能力は、ここでいかんなく発揮された。
なんせ私は小学生にして、すでにルート計算さえ習っていた。

 
 
 
私が高校生になると、一人一台携帯電話時代に突入し
クリスマスプレゼントや誕生日プレゼント候補に、最新携帯電話も加わった。
お洒落もしたい年頃で、冬場はコートやブーツも欲しかった。

相も変わらず、ゲーム業界は絶好調で
次々と新しいハードを発売し
魅力的なソフトを世に送り出した。

 
高校時代は本や音楽にもハマり
友達とも遊びたい盛りで
とにかく欲しいものがたくさんあった。

 
好きなものがたくさんあると
お金はそれだけかかる。

 
 

 
中学時代から、友達に誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントを渡すようになり
やがて恋人ができたら
恋人同士で誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントを贈り合うようにもなった。

 
成長と共に
誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントの概念は変わり
親からもらうオモチャではなくなっていった。

 
 
 
 
 

 
そうしてやがて私は社会人になり、障害福祉施設に入職した。
利用者は18歳以上だが、知的障がいを伴う方もいた。
利用者によっては、サンタを信じていた。

利用者A「サンタさんから今年は何をもらえるかな?」

 
利用者B「サンタなんかいるわけないじゃん。」

 
利用者C「サンタさんはお父さんとお母さん。」

 
私「サンタさんはいるよ~。」

 
利用者C「ともかちゃんの嘘つき。」

 
私「本当、本当。フィンランドにいるんだよ。トナカイもいるし。」

 
利用者D「私の家にはいつ来ますかね?」

 
私「サンタさんもたくさんいてね、手分けしてプレゼントを配っているんだよ。だから、Dさんちにいつ来るか、Dさんちにも来るかは分からないなぁ。
もうみんな大人だからね。サンタさんは、子ども優先でプレゼント配るんだよ。」

 
利用者D「私もプレゼントほしいなぁ。」

 
 
 
そんな会話を毎年12月になるとしていた。
私は成長と共に、フィンランドに公的なサンタがいることを知った。
だからサンタがいることは決して嘘ではないのだ。

 
 
大人になると、園長先生がかつてサンタが好きだと言っていた気持ちが分かり
私もやたらとサンタグッズを集めるようになった。
赤と白の衣装はキュートだし
分け隔てなくプレゼントを配る設定がよかった。

生まれ変わったらサンタになりたいし
私は利用者にとってのサンタになりたかった。

 
 
私の事業部の利用者は比較的家庭に恵まれている方が多く、家族仲がよかったり、経済的に恵まれていた。
だが、Dさんは違う。
他の利用者は家族からクリスマスプレゼントをもらえても
Dさんがサンタをいくら信じていても
クリスマスプレゼントがないことを私は分かりきっていた。
クリスマスパーティーをやらないことさえも。

 
 
 
私の施設では毎年、クリスマス会を行った。
大行事である。

巨大なクリスマスツリーを飾り
ご馳走にショーに歌にと楽しさを散りばめた。
みんなが大好きな行事だった。

 
保護者会からはお菓子の詰め合わせプレゼントを
施設からも様々な物の詰め合わせプレゼントを全員に渡した。
更に、職員以外には抽選会でスペシャルなプレゼントも渡した。 

 
私はほぼ毎年、サンタの格好になった。
サンタから、衣装チェンジをして仮装する年もたくさんあった。

 
 
利用者は一人暮らしの人もたくさんいる。
せめて、施設ではクリスマスパーティーを楽しんでほしかった。
クリスマスプレゼントを渡したかった。

 
利用者が楽しそうに笑う。
それがたまらなく嬉しかった。

大行事であればあるほど、連日サービス残業はザラだし
上から怒られたり、仲間内や段取り等で揉めることも多々多々多々あるが
それでも利用者が笑えばそれでよかった。

 
私はソリに乗って空は飛べないし
立場上、高価なプレゼントを特定の利用者にはあげられないけど
利用者の笑顔や思い出を増やせる
そんなサンタになりたかった。

 
 
 
 
 
私は今年の春、仕事を退職した。

12年施設と関わったこともあり、保護者の方から「クリスマス会は招待客で来てくださいね。」と複数人に言われた。

 
だが、コロナウィルスの影響で、今年は早々にクリスマス会は中止が決定した。
施設立ち上げてから初の中止である。

 
私は今年、利用者にとってのサンタにはなれない。
今年からはもう、立場上サンタにはなれないのだ。

それが悔しかった。

 
 

 
 
昔は大人になれば結婚し、子どもを生むのが自然とできると思っていたが
私にはそれができなかった。
周りがどんどん結婚し、出産していく中、私は取り残された。

 
姉は早々に結婚し、子どもを二人産んだ。
子どもがいない私は姉の子に甘い叔母になり
誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントとお年玉をあげ
一緒に出掛ければ何らかの物を買ったりした。

 
 
 
今から数年前、私は二人にサンタの洋服を買った。
かわいくてかわいくて
みんなで写真を撮りまくった。

母は孫のために張り切り
100均で巨大な靴下を買ってお菓子を大量に詰めて渡した。
それとは別にオモチャのプレゼントも用意したし
ご馳走やケーキもあった。

 
もしも私も結婚できていたら、旦那さんと自分の子どもと
こうしてクリスマスパーティーができたのかもしれない。
そう思うと少し寂しかったが
結婚している自分は想像できなかった。

 
  
恋愛にまつわる男性と関わるほどに
私は男性不信になり、恐怖を感じた。

「刺されるのではないか。」と思ったことは一度ではない。

私を「愛してる。」と言った人が
裏では私以外の女性を抱きしめたことも辛かった。

 
 
私は恋愛に憧れつつも
恋愛込みで男性と関わることには向いていないと
アラサーになるほどに感じた。

私が、私自身が未熟なのだ。
人として未熟で
恋愛に不向きで、結婚に不向きなのだ。

 
疲れた。
恋愛は確かに楽しい。
だが、私は恋愛に振り回れることに、ひどく疲れた。

 
 
 
小学生の頃、サンタはいないと思っていた。

だが、大人になってからは、サンタはいると思っているし
私は利用者にとってのサンタでありたかった。
夢でもいいのだ。
信じる者は救われるのだ。

 
 
昔、「アウターゾーン」という漫画で
サンタは大人にプレゼントを渡した。
新品のオモチャやブランドもののバッグではない。

彼等が小さい頃になくした、大切なものを渡したのだ。

 
今の私を見たら、サンタは私に何をくれるだろう。

 
 
 
大人になるほどに痛感する。

子どもの頃に欲しかったものはお金で買えるものばかりで
今私が欲しいものは、お金では買えないものばかりだよ。








 

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