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階段から落ちる回数

人は人生で何回くらい階段から落ちたことがあるのだろう。
私は平均より多い気がするが
実際みんなはどのくらい落ちているのだろうか。

 
そんなことを時折考える。

 
 
小学校二年生の頃、私は自宅の階段でスキップをしながら落ちた。

私は洗濯物を入れるかごを左手に持ち
軽快にスキップをしながら階段を降りた。
二階から一階までの階段は
当時らせん状ではなく、ストレートな傾斜である。
落ちたらそのまま真っ逆さまなのに
その時の私は一体何を浮かれていたのだろうか。
かけ算九九はできるのに
階段でスキップをしたら危ないということを
まるで理解していなかった。

 
階段でスキップをしたらスリルを味わえそうで面白そうだなと
当時の私は思いついてしまった。
スリル優先の行動だ。
スリルを満喫したかった私は足を踏み外し
そのまま一気に下に落ちた。
一瞬何が起きたか分からないほど
グルリと目が回った。
階段下はお風呂場で
私は階段から転げてお風呂場入り口まで突っ込んだ。
幸い、ガラス扉は開いていて
そこに私は突っ込んだので事なきを得た。
転げ落ちる瞬間、洗濯物かごは高く打ち上がり
私の頭に直撃して
ガシャンと音を立てた。
頭は痛いが、無事であった。
洗濯かごも無傷だ。
洗濯かごに入ったタオルが高く散らばり、落下する瞬間は
まるでドラマの1シーンのようにスローモーションに見えた。
複数枚のタオルは散らばった。
まだそのタオルは乾いていたのでよかった。

 
その時、家の中にいたのは私だけで
この騒動を目撃した人はいない。
後に一部始終を家族に話すと
「階段でスキップ?落ちるに決まってるじゃん。お前バカだなー。」と姉から言われた。
正論過ぎて返す言葉はない。

人生でたった一度しかしなかった階段でのスキップは
こうしてネタと痛みを私に残した。

 
 
  
次に階段から落ちたのは、小学校五年生の時である。

あれは事故であった。
いや、運動神経の鈍さというか注意力散漫のせいだったのかもしれない。

 
授業が終わり、私はクラスメート三人と階段を降りていた。
二階から一階に降りる途中である。
私は足を滑らせ、階段から落ちた。
不運で不幸なのは、私の前にいたクラスメートである。
私達はランドセルを背負っていた。
私の両手は転んだ拍子でクラスメートのランドセルを押すような形となり
クラスメートは巻き込まれた形となって階段から落ちた挙げ句

私の下敷きとなった。

 
友達が痛みで泣き、「ともかちゃん、ひどいよ。」と私を責めた。
当然である。
私はその子より体が大きく、重い。
落下スピードも加わり
痛みや衝撃は大きかったろう。
もはや謝り続けるしか私に道はない。
ごめんごめんごめんとひたすらに言い
なんとか許してもらえた。
彼女の骨に異常はなかったが、膝小僧をすりむかせてしまった。
もらい事故をさせてしまって申し訳ない。

 
 
 
洗濯かご、友人を巻き込んだ私は
とどまることを知らなかった。

二度あることは三度ある。

 
 
中学校二年生になった私は、卓球部に入部した。
ある日私は試合のため
市の体育館に行った。
確か地区予選だったと思う。
大会に負けた私や部活仲間は
二階の観客席で大会の様子を見ていた。

大会に負けても
最後に片付けが待っているため帰れなかった。
我が中学校は卓球部が強いためか
顧問の関係か分からないが
大会前に行って会場設営をし
大会後は片付ける役割があった。
いつも特定の8校くらいで行っていたし
その8校は県大会常連校だった。

 
部活仲間と話しつつ試合を見て
大会終了を待っていた。 
私は一旦トイレに行くべく席を立ち
トイレから自分の席に戻ろうと思っていた。
座席は傾斜になっており
通路からのびた階段を下り
下の方の席に行く予定だったのだ。

ところが私は階段を踏み外し
一気に転げ落ちた。

 
二階観客席は手前がガラスで仕切られており
その周りが座席となっていた。
転げ落ちた私は体勢を崩し
両手はガラスの上の手すりの位置にたまたま来たので
そこを掴んだ。
その際、私の体制は崩れ
右足は蹴り込むような形になっていた。
手すりを両手でつかまえたが
勢いが止まらない私は動きが止まらず
そのままガラスに突っ込んだ。

右足が反動でガラスを蹴るような形になってしまったのだ。
  
 
ガシャーン!!

 
ガラスは派手な音を立てて割れた。
強化ガラスではなかったらしい。
割れたガラスはそのまま落下し、一階の体育館エリアに散らばった。
通常ならば、ガラスが割れた真下は試合を行っていたが
その時はたまたま準決勝で
真下で試合は行われていなかった。
準決勝や決勝はみんなに見えやすいよう
体育館の中央エリアで行うのだ。
私が割ったガラスは西エリアだった。

 
一瞬にして、現場が大惨事になった瞬間だ。

 
私はたまたま試合ユニフォームの上にジャージを着ていたので事なきを得た。
ガラスが刺さって怪我をしたりしなかった。

だが、二階と一階には各学校先生が集まり
慌てて掃除をすることになった。

  
すみません、すみません、すみません、すみません。

 
私は謝り続けた。
ガラスはわざと割ったわけではないのでガラス代は請求されなかった。
本当に申し訳なかった。

 
 
後日、その体育館に行ったらガラスはすっかり元通りになっていた。
今ではもう、どのガラスを割ってしまったのか分からないほど
何もなかったように元通りになっている。
それでも、「あの辺のガラスをやっちゃったんだよなぁ…。」というのは
もちろん私の心と記憶から消えることはない。

 
 
 
その後は平穏な日々だったが
23歳の時に私はまた階段から落ちた。

専門学校に通っていた頃、体育の授業のために体育館に行った際
私は足を踏み外して派手に落ちたのだ。
足は擦りむき、青アザができ、ズキズキ痛む中
腰痛再発というもので
今までの落下の中で一番体に支障をきたした。

 
これから体育の授業だというのに
体を動かしたくない状態になってしまった。
なんとタイミングの悪い落下だろうか。

しかも腰痛再発のため、この後私は三ヶ月間通院することになってしまった。
踏んだり蹴ったりである。

 
 
 
 
23歳を最後に、私は階段から落ちることはなくなった。
かれこれ10年以上経過した。
ありがたい。非常にありがたい。

どうかこのまま、階段から落ちない人生であってほしい。
私は大人の階段を上る女性でありたいのだ。

 

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