見出し画像

入院5日目:救急搬送以来の再会

怒濤の一週間を乗り越え、ついに土曜日になった。
仕事がない日ならば、お母さんと面会できる。

毎日LINEをしているとはいえ
久々にお母さんに会えると思うと嬉しかった。 

 
お母さんも楽しみにしているらしく
何時くらいに来るのか、とか、差し入れを持ってきてほしい、とか、今日も元気だとかLINEしてきた。
 

 
一度も一人暮らしをしたことがない私は
約40年間母と暮らしているし
母と離れて過ごすのは、どちらかが旅行の時くらいで
それ以外は基本的には一緒に過ごしていた。

 
一週間前の今日はお母さんがハンバーグを食べたいと言い、お母さんの車でお母さんの運転で家族三人で外食に行った。

もう多分お母さんの運転でどこかに行くことは叶わない。

お母さんとパフェをシェアした。
お母さんと夕飯後に甘いものを食べるのが日課だった。

まさかその二日後、病院で食事が制限され、甘いものが食べられない日々になるなんて。
一緒に食事が叶わない日々が来るなんて。

 
その日は朝から季節外れの雪が降り、途中で雨へと変わったが
私が病院に向かう頃には希望を思わせる晴れ間が広がっていた。

 
 
お母さんからは、漫画と長袖とノートとハガキと筆記用具、美容院会員カード、そして看護師さんへの差し入れを持ってくるよう頼まれた。

お母さんは普段漫画を読まないし、アニメに興味はないが
「鬼滅の刃」は映画を見に行っているし
「ダイの大冒険」は私や姉や甥っ子が見ていると見る。
空いた時間にアニメの映画がやっていたら、映画館で見る。
 
家族がアニメを見ていれば一緒に見るし
アニメの映画も時間があれば見る。
積極的に見るのは「鬼滅の刃」くらいかもしれない(こちらは多分全話見ているし、映画館にも行っている)。

 
60代女性で普段あまり漫画やアニメを見ない人向け(入院患者用)漫画、ねぇ…

私は迷った末、こちらをセレクト。
動物や家族ものであまり台詞が多すぎず、クスリと笑えるような本だ。

 
面会時間は13:00から。
土曜日午後一は誰かしら親戚も来そうで不安だったが
私は15:30からカラーの予約があったため
午後一で病室を尋ねた。

ラッキーなことに誰も来ていなかった。

 
 
私「やっほぃ。調子はどう?」

母「待ってたよ。」

 
母はよくしゃべった。顔色もいい。 
右足も入院二日目には棒のような状態だったが
今日は手を使えば曲げられていた。いいことだ。
父から左足の調子も悪いと聞いていたが、左足は大丈夫とのこと。
左足に関しては、ずっとベッドに寝たきりだから疲れていただけのようだ。よかった。

面会時間は30分。
話していると時間が経つのが早い。
料理や家事について確認したり、雑談をした。

  
差し入れの反応。

漫画を見せると、「ドラえもんはないの?」と聞かれた。
まさかの、ドラえもん希望だった…!
あるよ、自宅にあるよ。

日曜日も面会予定だったので、ドラえもんを持参しようと思った。

 
長袖は何を気に入るか分からず5枚持っていったら「1枚でいい」とのことで、残りは持ち帰る。

 
ハガキは親戚に差し入れされた雑誌の懸賞に応募するらしい。

 
ノートと筆記用具は「自分の人生を振り返りたい」とのことで、ポツリと「夜は眠れなかったり、色々考えちゃうから…。」と漏らした。
 
ノートと筆記用具は私がかわいくて買ったりもらったもののまだ使っていない未使用品。
役に立つ日が来てよかった。

  
美容院会員カードは、予約日の変更兼予約したシャンプー引き取りを私に託すためだった。
私と母は同じ場所に行っている。

 
看護師さんへの差し入れは却下された。
なお、看護師さんは母の昔の教え子だったらしく、数十年ぶりの再会となったらしい。

 
私が母と面会している間は親戚は誰も来なかった。お陰でゆっくり話せた。

「また明日来るね。時間はまだ未定。」と伝え、私は病室を出て、美容院へ向かった。

 
美容院の私担当の方は、一週間前くらいに母の担当をした方で、母の入院に驚き、心配していた。
予約日変更も無事にできたし、シャンプーも受け取れた。

シャンプーは私が今使っているシャンプーの二倍以上の値段でビックリした。
なんと5000円だった。
母よ、こんな高級シャンプーやリンスを使っていたのか。
同居していても知らないことは多々ある。

 
 
帰宅後は母に教わった料理を作り、週末だから普段できない掃除をした。
家事をしながらポルノを聴いた。

ライブや出掛けることが大好きな私だが、今はライブ欲や出掛ける欲はあまりない。
しばらくはライブに行けないだろうが、家事をしながら聴くポルノもいいもんだと思った。

 
母に早速教わった料理を作ったよ、掃除もやったよ、とLINEした。
母はLINEで他の料理作り方や掃除用具の場所ややり方を教えてくれた。
 
すると、こんなLINEが来た。

私は涙が止まらなくなった。

 
お母さんは役立たずなんかじゃないよ。
生きててくれたらそれでいいんだよ。

私はちっともお母さんみたいに上手くできないし、まだまだ手探りで
家事や料理に取り組むほどに
母が仕事をしながら家事をこなすのがどんなに大変で立派だったか痛感し、感謝する日々だ。

 
父の話によると、お母さんは病室で泣いていたらしい。

ともかには今まで色んなところに連れて行ってもらってありがたかった。
ともかには申し訳ないことをしている。
負担ばかりかけている、と。

 
大丈夫だよ、お母さん。
私は甘えすぎていた。

結婚していたり、一人暮らしをしていたら、みんな毎日これくらいの家事や仕事をこなしている。
やるべき時が来ただけだ。
むしろもっと早く色々手伝ってあげられくてごめん。

 
役立たず、なんて救急車搬送されてから一回も思っていない。
私が家を守ると、そればかり思っている。
お母さんが帰ってきた時に安心できるように
それまでは私とお父さんで家を守る。

 
お父さんが場合によっては仕事を辞める覚悟ができているように
私も覚悟はできている。

自分のできる範囲で家事や料理を頑張る。
苦手分野だけど、とにかくやってみる。

 
 
お母さんが救急車搬送された日に死ななくてよかった。

私はずっと心配だった。 

お母さんは若い時からフルで働いて家事や育児をこなしていた。
休日は夏も冬も庭いじりや農業をやる人だったから
誰もいない畑で倒れて誰にも発見されず、そのまま死にそうでずっと怖かった。心配だった。

 
だから救急車搬送された日は、自宅で具合が悪くなって、たまたま父が休みの日で
本当によかったと思っている。

 
 
明日も母に会える。
それが嬉しかった。

大好きな人が生きている保証なんかどこにもない。

今一瞬を大切に過ごしたい。













この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?