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出発10分後に販売中止になった理由

今から数ヶ月前のことだ。

ある学校の文化祭の販売申し込みの案内が来た。
その学校は有名な学校でとても大きい。
そこで販売できたら売上はかなりいくだろう。

 
申し込みをしたら無事当選し
私の職場は販売に行けることになった。
申し込み多数の場合、抽選となる。

 
普段の販売イベントに比べたら
来客者の年齢層は下がり
多分10~20代の人が多いだろう。

 
だから私達職員と利用者は
若者が好きそうな物を色々作り
この販売イベントを成功させようとした。

ディスプレイを工夫したり
備品を準備したりで慌ただしかった。

 
私達の職場は文化祭二日目のみ販売予定だったので
私は初日に下見に行った。

 
その学校に行くのは20年ぶりで
懐かしい雰囲気だった。
イチョウや紅葉がキレイだ。

 
人がたくさん、お店もたくさんあり
実に活気づいている。

 
天気にも恵まれ
青空が広がっていた。

 
なんでもその学校の文化祭は三年ぶりらしい。
コロナ禍の中、ようやくできた喜びに学校中が包まれていた。

 
色々な物を食べ
展示を見て歩いた。

私は初日に来たアーティストのライブにも行き
すっかり楽しんだ後
家に帰宅した。

 
明日はもっと楽しい日になる予感があった。

 
 
あったのだ。

 
 
 
次の日。
一週間前からの予報通り
販売当日の日は気温がグッと下がり、曇り空だった。
午後から雨が降るらしい。

 
なんとか販売片付けまで天気がもってほしい。

そう思いながらも
考えられる限りの雨対策や寒さ対策をして
「いってきます。」と私は家を出た。

外を出たら晴れ間が見えた。

 
一日曇りだと思いきや
ところどころ晴れ間が見える。

「やったぁ!やったぁ!」

私は子どもみたいにはしゃいだ。

 
その日の販売は私と新施設長、それに利用者が二人参加だ。

新施設長と荷物を車に乗せこんだり
販売の確認をした後
利用者を二人、出迎える。

 
新施設長が運転席へ、利用者Aさんが助手席
私ともう一人の利用者Bさんが後ろに乗り
時間を余裕を持って出発した。
 
 
車内では雑談をしながら和やかな時間が過ぎ
走り出して10分が経った時だった。

 
ドォンッッッ!

 
激しい音が後方から聞こえたと同時に背中を衝撃が走る。

 
後ろを見ると
車が追突してきたと分かった。

 
ハザードをつけて停車し
新施設長が車から降りて
後ろの車の運転手と話す。

相手は初心者マークをつけた若い方だった。

 
車を道の端に停め
新施設長が運転手の方と話したり、警察を呼んだり、イベント出店中止の件を話したり、保険屋に電話をした。

 
私と隣にいたBさんは特に痛みはないが
新施設長とAさんは体の痛みを訴えている。
なんせ、かなりの衝撃だった。

私は追突事故は初めてで少なからず動揺していたが
利用者はもっと動揺しているだろうと
車内ではわざとおどけたり
余裕なふりをした。

 
新施設長の連絡を受けて
すぐにAさんとBさんの保護者が到着した。

 
保護者の方の話によると
Aさんは体を痛めやすいし
Bさんは痛覚が鈍く、ひどい怪我に気づきにくいとのことだった。

せめて利用者が乗っていない時の事故ならばちがかった。

 
私は両親と今日の販売に来そうな人に事故があり、販売が中止になった件を連絡した。
両親からそれぞれ連絡が入り
母にいたっては「今からそっちに行こうか?」とさえ言ってくれた。

 
警察による現場検証が終わったら
きっと利用者は保護者と共に通院し
私と新施設長で販売に行くのだと
私はまだ呑気にかまえていた。

 
運転手が謝罪に来た時
私や保護者は「誰でも事故はありますから。」とか「今、動揺しているでしょうから、帰り道は気をつけてくださいね。」とか
そんな風に伝えた。

 
そう、私だって自滅事故や人が乗っている車に当ててしまったことはある。
誰しも可能性はあるのだ。
責められない。

 
現場検証は一時間程で終わったが
難航したのは病院探しだった。

不運なことに日曜日だったため
事故後の診察はことごとく断られたり、やっていなかった。 
ついていない。

 
結局受け入れ先の病院が見つかったのは更に一時間後で
結局、私達は事故現場に二時間も滞在していたことになる。

 
最初は話していた私も
徐々に無口になり
車内で待っていた私達は
まるで我慢大会をしているかのように 
ひたすらに時が過ぎるのを待った。

 
トイレ休憩などで一旦近くのコンビニに寄ると
そこには事務長の姿があった。
どうやら新施設長が呼んだらしい。

 
「大丈夫だった?怪我はない?」

事務長はわざわざ心配して駆けつけてくれた。
それが嬉しくてありがたかった。

保護者の方から飲み物の差し入れがあった。
それもありがたかった。

 
もしもこの事故が平日なら
私は正職員のグループLINEにて連絡したが
私はあえて今日は連絡しなかった。

 
もしも休日の午前中なんかにこんなことを知ったら
みんなは休日を十分に楽しめなくなる。
リーダーは優しいから駆けつけるかもしれない。

今日はみんなは休みだ。
休みまで仕事を考えさせてはいけない。
どうせ出勤したら様子は分かるのだから。

 
事務長がわざわざ来てくれただけで十分だ。

 
「せっかく用意したのに残念ね。」

事務長が言う。
更に保護者に対して

「真咲はいつもイベントの下見に行ったり、よく準備をしてくれるんですよ。」

と、言ってくれた。
それが嬉しかった。

 
保険屋の方が病院に連絡をし
それから病院に向かった。
私はその病院は初めてだった。
評判はあまりよくないが
そこの病院以外は受け入れてもらえなかったのだから仕方ない。

 
病院は混んでいた。
休日診療をするような場所なのだから仕方ない。

予診票を書き
診察をされ
私はレントゲンを撮る必要はないと言われた。
Bさんもだ。

だが
新施設長とAさんは念の為レントゲンをとることになった。

 
とりあえずは
全員は骨に異常はなかった。

また一週間後に全員通院と言われた。

 
病院で全員診察や検査が終わり
会計が終わった時は
もう13:00近かった。

「販売、行きたかったな。」くらいは利用者は言ったが
お腹がすいた、とも、事故の不満も言わず
AさんもBさんも本当に偉かった。

 
利用者と保護者とはそこで別れを告げ
新施設長と二人、施設に戻る。

 
着いた時にポツリと新施設長は言った。

「…荷物降ろしたら、今日はもう帰りましょうか。」

私達は荷物を降ろした。
空しさが込み上げた。

 
準備をしたものが全て無駄になった。
出発してたった10分でこんなことになるなんて。
人生は何が起きるか分からない。
見込まれた売上代金くらいほしい。

 
来月もイベント販売はあるが小規模のものだし
感染者数が増えている今
来月のイベント開催は不確かだった。

 
仕事は予定より早く終わった。

車内でご飯をようやく食べたが
満たされない気持ちの確認をせざるを得なかった。

 
早く帰りたかったわけじゃない。
イベント販売を頑張って
定時まで頑張って
それから仕事後はプライベートを楽しみたかった。

 
前向きに考えよう、と自分に言い聞かせる。

全員ひとまずは骨に異常はなかった。
車は壊れたけど、修理すればいい。
今週は大きな行事がある。
健康な状態でみんなで出られたらそれでいいじゃないか。
元気ならばまたイベント販売に行ける。
また次に頑張ればいい、と。

 
 
帰り道
気分を上げようとマックフルーリー新作を食べようとしたら
マックフルーリーの機械が不調で販売中止だった。

ついてない時はとことんついてない。

 
明日はいい日だといいな。

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