見出し画像

退職後も捨てられない仕事用ダウン

私が一番最初に思い入れがあったジャンパーは、ライムグリーンの色をしていた。

年上の従姉妹から譲り受けたもので
小学校四年生から六年生にかけて着ていた。

 
それまでも色々なジャンパーをその時その時で着ていたはずなのに
何故か一番古いジャンパーの記憶はライムグリーンのジャンパーなのだ。

 
おそらく私は、そのジャンパーをかなり気に入っていたのだろう。
小学生時代に乗っていた自転車もライムグリーンだし
今運転している自車もライムグリーンだ。

 
「ともかちゃんは緑色のイメージ。」

 
友達にそう言われたことがあるが
確かに私自身もそんな気がしている。
決して主役ではない色。
だけど、癒やしや安らぎや補佐の色。

 
 
他にも好きな色はたくさんあるけれど
私にとって緑色は特別な色の一つである。

 
 
 
 
その緑色のジャンパーは小学校卒業を機に
捨てたか誰かに譲り渡し
私は灰色のダッフルコートを着るようになった。
中学校への通学でも着たし
プライベートでも着ていた。

運動部に所属していたので
ウィンドブレーカーもよく着ていた。
人生初のウィンドブレーカーだった。
色は何種類かで選べたが
私は無難な黒にした。

 
私はウィンドブレーカーに馴染みがなくて
ウィンドブレーカーは高くていいものだったのに
部活を引退して着る機会がないからと
引退後に早々に親戚に譲ってしまった。
後悔したのは、この10年後である。

 
 
 
中学校卒業後は街中の高校に通っていたので
寄り道して様々な洋服屋さんを覗いた。
今までは主に母親や姉と洋服を買いにいっていたが
友達との出会いや環境、女子高生という立場により
お洒落への関心がグッと高まった。

ちょうどミリタリーファッションが流行した時期で
私は灰色のちょっとごつめなジャンパーと
ガーリーな白のジャンパーを購入した。

 
もう、ダッフルコートは着なかった。
中学時代の通学用のイメージがつきまとったからだ。
その印象のせいか、中学校卒業を機に
私はダッフルコートを全く着なくなってしまった。

 
 
 
高校時代はジャンパーを着ていたのに
女子大生になったらコートがほしくなった。
物欲とは限りないものだ。

大学の図書館でブラックジャックに出会った私は
まんまと影響を受け
黒のロングコートを買った。
高いものだ。

 
私は身長が165cmあるので
黒のロングコートやブーツを履く姿は
ある程度様になっていた。

高校時代まではメガネ黒髪の野暮ったさがあったが
大学デビューし
メイクやコンタクトをしたり、髪を染めたりしていた。

 
 
このように私は

小学校時代
中学校時代
高校時代
大学時代で

メインのジャンパーやコートが次々に変わった。
大学時代になると、みんな何着もジャンパーやコートを持っていたし
年齢に合わせて着たい服は変わるし
成長や嗜好の変化がよく分かる。

 
こんな調子であるから
もちろん社会人になったら、また着るものは変わった。

 
 
 
 
私は障害者福祉施設に入職したのだが
Tシャツにジーパンが仕事着だった。 
ユニフォームがない職場だったのである。

 
私の私服はスカートやワンピース率が高く
Tシャツやジーパンはむしろあまり持っていなくて
仕事はじめの頃はしまむらやユニクロで買い足した。
パーカーも私はあまり持っていなかった。
私はジャケット派だったからだ。
だから秋冬にまたユニクロに駆け込んだ。
ユニクロは安く無地のパーカーが手に入ったのでありがたかった。

考えることはみんな同じで
チラシが入った後は、同僚や利用者みんなが同じユニクロパーカーを着ていた。
同僚三人で同じ日に同じ色のユニクロパーカーを着ていた時は思わず笑ってしまった。
サイズまでかぶっていたからだ。

 
本当にユニクロさんには
毎年毎年仕事着で大変お世話になっていました。
ユニクロさん、ありがとう。

 
 
私はやがて、社会人になって初めて冬を迎えた。

私は野外でリサイクル業務を行っており
あたたかいジャンパーを欲していた。
高校時代に買ったジャンパーは秋から冬はじめ用であり
野外仕事に不向きだった。

 
中学時代のウィンドブレーカーをとっておけばよかった。

 
私は悔いた。
あれは上下で一万円以上だったし、非常にあたたかかった。
中学時代から福祉職になりたかったが
あの頃は、福祉職がリサイクル業務を野外で行うことは知らなかった。
中学時代は、特養に就職し、高齢者の食事介助や、ヘルパーとして各家庭に家事をしにいくことを思い描いていたのだ。

 
 
野外仕事は寒く、しかも汚れやすい。
汚れが目立たない黒い服で防寒に優れたものが望ましい。

私はユニクロのチラシを持って再びお店に入った。
ユニクロでは黒いジャンパーが安売りしていたのでそれを買い
更に私は、ピンク色のダウンジャケットを購入した。
人生初のダウンジャケットは、このピンク色のものだった。

  
 
黒のジャンパーは秋から冬はじめ用に購入した。
黒はオーソドックスで合わせやすい。
仕事柄、ジャンパーは雑に扱われやすかった。 

利用者と外に行った際
ぶん投げたり、その辺に置いておくことが普通だ。
送迎車内も特別きれいでもないし
仕事柄、ジャンパーは利用者からベタベタ触られやすかった。

 
仕事用の靴、ジャンパー、バッグは安物でいい

 
と、働き出して早々に学び
私は黒のジャンパーを手にした。
灰色のジャンパーはあくまでプライベート用であり、仕事に着ていくたびに洗うようでは極めて面倒くさい。

 
 
ピンク色のダウンジャケットは、憧れだった。

主任が去年、別の型のユニクロのピンク色のダウンジャケットを買ったらしく、職場で着ていた。
また、同じ事業部の同僚がユニクロのムラサキ色のダウンジャケットを着ていた。

 
今までピンク色の派手なジャンパーは着たことがなかったが
仕事ができる主任と同じようなテイストのダウンジャケットを着ることで
自分を奮い立たせたかった。
仕事ができるなりたかった。

 
また、実質よく一緒に仕事をするのは同じ事業部の方だから
同僚がムラサキ色なので、私は色を変えてピンク色にしよう、と思った経緯もある。

 
 
ダウンジャケットは高級品だったが、ユニクロにはチラシが入った日に行った為
確か5000円はしなかったと思った。
ダウンジャケットにしては破格の値段である。

 
ダウンジャケットは高級品だが、とてもあたたかいと聞いていた。
だが、ブランドもののダウンジャケットでは、仕事着にしてしまうとすぐ汚してしまいそうで極めて恐ろしい。

ユニクロのダウンジャケットなら気楽に気軽に着られそうな気がしていた。
汚したり、ダメにしてもまぁ5000円もしなかったし
ピンク色のダウンジャケットなんてプライベートでは派手すぎて着られないし
仕事着として愛用しようと思った。

 
そんな風に気軽に手にしたピンク色のダウンジャケットと
まさか10年以上の付き合いになるとは全く思っていなかった。

 
 
 
ピンク色のダウンジャケットは非常にあたたかく、しかも動きやすかった。
派手な色なのでダウンジャケットを着た初日は恥ずかしさもあったが

「ともかさんは肌が白いからピンク色が似合うね!」

とか

「若いのだから、そんな風にもっと派手な色を着た方がいいよ!」

とか

 
同僚からの評判は上々であった。

  
 
私の職場は仕事着が動きやすければ基本なんでもOKで
他の施設に比べたらゆるかったが
だからこそモラルを問われていた。

私には同期がいなかったし
職場に20代さえほとんどいなくて
周りには年上のベテラン職員がズラリといた。

 
「若いから、あなたは服装がチャラチャラしているのね。仕事をなんだと思っているの?」

 
と言われるのが恐くて
私は社会人一年目は非常に地味な格好をしていた。
髪ゴムも黒や茶のみ使用した。

 
「もっと明るい服を着てもいいのよ?」

 
と言われても、私は恐かった。
女性職員が他の女性職員の服装や髪型について陰口を叩いていたからだ。
それならば地味な若い職員と思われていた方がマシだ………と
私は職場でのファッションや髪ゴムには気を使った。

 
二年目からは柄物の洋服やシュシュを使うようになったが
一年目はとにかく学ぶ年だった。
どこまで許されるかを試していた。

だから主任と同じピンク色のダウンジャケットにした。
主任が許されるなら
私も許されるはずだと思っていた。
そういった打算も、内心あったのだ。

 
「ともかさん、ピンク色かわいいね!」

 
利用者は無邪気な笑顔で私の周りに集まった。
ピンク色のダウンジャケットは私が働き出してから初めて着た
かなり派手なチャレンジ服でもあった。

ある意味このピンク色のダウンジャケットが許されたからこそ
私は社会人二年目から、段々仕事着が弾けてきたのだと思う。

 
ピンク色のダウンジャケットを買ったのは
私が社会人として働き出してから半年以上が経過した頃だった。

 
 
 
 
毎年、秋や冬になると、ピンク色のダウンジャケットを着て職場に行った。

主任は私が社会人2~3年目でピンク色のダウンジャケットを着なくなったので
ピンク色のダウンジャケット=私のイメージは強かった。

 
他の事業部の正職員は緑色のダウンジャケットを着ていたので
二人で並んで仕事をすると非常に派手だった。

 
それが、よかったとも私は思っていた。

 
 
仕事の関係で、カラオケや映画館、飲食店など
様々な場所に何十人もの利用者と共に出掛けた。

「ともかさんはピンク色着ているからね!迷子になったら、ピンク色を探すんだよ!」

私はよく利用者にそう言っていた。

 
 
外出時に各グループごとに行動しても、私のピンク色のダウンジャケットも、同僚の緑色のダウンジャケットもよく目立った。
外出時、私達は行事責任者や正職員として、リーダー役割を担っていた。
だから、利用者からも職員からもお店の人からも一目で分かりやすいダウンジャケットの色は
仕事をしている時に非常に分かりやすかった。

 
外出先に、こんな派手な色のダウンジャケットを着た人はまずいなかった。
目立つからこそ、より仕事を引き締めて行おうとも思った。

 
 
ユニクロのダウンジャケットは当初クリーニングで出していたが
大人の事情により、途中から引き受けてもらえなくなった。

まぁ安いし、洗濯してダメになっても諦めがつく…
と試しに洗濯機に放り込んだら
特に問題はなかった。
ナイスユニクロだ。

 
クリーニングは高いから、洗濯可なのはむしろありがたい。
仕事柄袖口もよく汚れたし
洗濯可だと分かるや否や
私は遠慮なく洗濯機に放り込んだ。

 
 
ピンク色のダウンジャケットはプライベートでは一切着ない。
だからこれを着るか着ないかで
私はスイッチをオンオフに切り替えた。

私はメガネもプライベートと仕事用で分けていた。

 
明確な仕事着がない為
私はこうしてダウンジャケットやメガネで
モードチェンジをはかっていたのだ。

そうでもしないと
Tシャツにジーパンでは、コンビニに行くスタイルだ。気が緩んでしまう。

 
 
ピンク色のダウンジャケットを着ると、仕事中明るい気分になった。
朝から怒られたり、失敗することもよくあったけど
ピンク色を見たら元気になれたし
そんな私を見て、利用者も笑顔になった。

私のピンク色のダウンジャケットが羨ましくなった利用者の一人は
私を真似て別の年にピンク色のダウンジャケットを買った。ユニクロである。
ユニクロは毎年型を変えるから
同じような色合いでもまた違うダウンジャケットだ。

 
主任を真似てピンク色のダウンジャケットを私が買ったように
私を真似て利用者が買う。
こうして様々なものが繋がっていくのだと思った。

 
「ともかさんと一緒のピンク色のジャンパーだよ!」

 
利用者が笑顔で言う。
年齢としては私と大して離れていないが
身長は私と20cmくらい差があったし
言動から
私の妹というよりは娘に近い雰囲気があった。

 
 
二人でユニクロのピンク色のダウンジャケットを着て並ぶと
職員と利用者というより
まるで家族みたいだった。

外出していても、お互いにすぐに分かった。

 
 
毎年寒くなるとお互いにピンク色のダウンジャケットを着て
「お揃いだね。」と季節が巡るごとに言い合い
私はそんな日々が幸せだった。

 
 
ピンク色のダウンジャケットは段々とくたびれてきた。
毎年数ヶ月間、ほぼ毎日大活躍だ。
落ちない汚れも出てきた。
そろそろ寿命かな、と思った。
元をとる以上の働きだ。

ピンク色のダウンジャケットに出会ってから
プライベートでは新しいジャンパーやコートを更に購入し
用事や外出やコーディネートに合わせて色々なものを着ていた。

だが
仕事ではほぼピンク色のダウンジャケットを、レギュラーで愛用していた。

 

プライベートで着ているジャンパーやコートは高い。
シルエットも美しい。汚れもない。

だが
約10年間、仕事中の私を支え続けてきたのは
ピンク色のダウンジャケットだ。

 
 
2019年、私は唸った。
そろそろピンク色のダウンジャケットは引退かなぁと思った。
20代の頃はまだしも、30代でピンク色のダウンジャケットはイタイかなぁと悩み出した。
周りは「そんなことないよ。」と慰めたが
どこまでが本心か分からないし
現実問題として、くたびれだした。

 
そろそろ、別の仕事用ダウンジャケットを買うべきじゃないか。
そんなことを思いつつ、即座に捨てる気にはなれず
私は保留にして
次の年に託した。

 
 
 
2020年1月を迎えた。

私は相変わらずピンク色のダウンジャケットを着て仕事をしていたし
利用者もピンク色のダウンジャケットを着ていた。

 
買い替えるなら秋かなぁ…

 
そんなことを思っていた2月、私に急展開が起き、仕事を辞めざるを得ない展開になった。
不本意だったが、仕事はやるか辞めるかの二択であり
私は辞めるしかなかった。

 
2020年の3月いっぱいで退職となったので
ピンク色のダウンジャケットは区切りのいいところで洗い
私は一旦タンスにしまった。

 
 
 
 
 
そして、月日は巡り、2020年10月を迎えた。

次の職場はいまだに決まらないままだが
年齢やジャンパーの状態を考慮しても
そろそろお別れをするべきなのだ。

 
仕事を辞めてから、様々なものを断捨離した。
捨てる時、私は容赦がない。
こんまり先生風に言うなら、ときめかないものは
ジャンジャン捨て
ときめくものは手元に置いておくと部屋は片付く。

 
 
ピンク色のダウンジャケットは
しまった時のままの姿だ。

ときめくか、ときめかないかの二択で気持ちがはかれない。
仕事の楽しかったことや辛かったことや色々な重いが10年分詰まっている。

 
転職先で着るかといったら分からない。
かといってプライベート着に変更するかといったら
そんな予定はない。

 
「じゃあいらないじゃん。もう捨てればいいじゃん。」

 
内なる声が囁く。

 
 
「もう元はとったじゃん。いっぱい着たしさ。だいぶくたびれてきたじゃん。」

 
それは分かっている。

 
 
「ときめくかときめかないかで言ったら、どちらかと言えばときめかないでしょ?」

 
そうだね。うん。

 
 
 
【じゃあ捨てればいいじゃん。】

  
 
 
それなのに、その内なる声に対して、私は「嫌だ。」と確かに思っている。
退職したし、もう使い道はないのに。

 
 
 
私はもしかしたら、ピンク色のダウンジャケットに自分を重ねすぎているのかもしれない。
ピンク色のダウンジャケットは、仕事をしていた私の証であり、相棒でもある。

まだ転職先が決まっていないのに捨てたら
私の中にある何かも捨てられた気持ちになってしまうのかもしれない。
もし捨てるなら、転職先が決まってからかもしれない。

 
私はピンク色のダウンジャケットをギュッと抱きしめた。

仕事をしていた私をずっと見守り、あたためてくれた。汚れてくれた。
文句も言わずに、いつもそばにいてくれてありがとう。

このままさよならはできないよね。
できないや。

 
今はまだ、捨てる選択が私にはできない。

 

  
 
 
ユニクロのチラシを見ると、今年も冬用のダウンジャケットやコートやジャンパーがたくさん売られているようだ。
色合いやシルエットは今の流行りを考慮していて
なるほど、素敵なものばかりだ。

それなのに私は、10年前に買ったピンク色のダウンジャケットを
今年は着ることがなく、抱きしめている。

  
チラシを見ても
他のダウンジャケットを買う気は起きなかった。

 
 
 
まだいいよね。
まだこのままでいいよね。

私はピンク色のダウンジャケットを眺める。

 
 
捨てる気持ちや必要性が出てくるまでは
このピンク色のダウンジャケットを
どうしても手放せない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?