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入院17日目:転院初日の娘と二日目の母

朝起きてから、スマホの充電を忘れ、ナプキンを交換しないで寝てしまったと気づく。
疲れていたのだろう。

母が入院前はたまに寝落ちしていて、母が電気を消してくれたが
最近は寝落ちしていない。
というのも、寝落ちはベッドでぐだぐだしながらスマホをいじったり、読書をしていたためで
今はスマホをいじったり、読書をゆっくりベッドでしていないからだ。

父は20:30くらいに寝るし、もう母は二階には上がれないだろうし、私が寝落ちしても電気を消してくれる人はいないだろう。

30代になっても娘は娘で、母にどれだけ甘え、すねをかじっていたことだろうか。

 
 
出勤して早々、仕事で嫌な思いをした。
もう朝から早く帰りたくて仕方なかった。

朝から苛つくが、今日は通院で早退なのでグッと我慢した。

 
ご飯を食べた後、私は荷物をそそくさとまとめて早退した。
職場を出てすぐに水筒を忘れたと気づいたが
わざわざ戻るのも癪なので無視した。
水筒は予備があるし、もう早く休みを満喫したい。

 
病院までまだ時間があったので、私は花見をした。
今週来週と天気が悪いが、今日は晴れ間が見えていた。
桜はまだ満開ではないが、花見は天気がいい時にするに限る。
母が入院した以上、もう例年のように好きなように花見に行けるかは分からない。

 
天気がいいため、近隣の方も花見を楽しんでいた。
前々から狙っていた大判焼きを買う。
チョコバナナも気になったが、給食を食べた後のため、大判焼きのみで我慢した。

見知らぬお店の方や近隣の方と話したり、桜を見たり、撮って、一人の時間を少し楽しんだ。
ホッとした。こんな風にゆったりとした時間が久々だ。

 
大判焼きを食べながら、病院へと向かった。
母が転院した次の日、私は転院初日だった。

私の転院が決まった頃はまさかお母さんが入院になるとは思いもしなかった。

 
今頃リハビリに励んでいるのだろうか。
リハビリは厳しいのだろうか。

母から連絡がないと、そんな風に思う。

 
 
そんなとき、久々に前の職場から連絡があった。 

尊敬していた主任からで、今度施設を見学したいという内容だった。

このタイミングで主任から電話とは。
今、戻ってきてほしいと言われたら揺らいでしまいそうだ。

 
昨日、前職の元保護者と今の職場の保護者が知り合いだと知り、私の話になったと利用者から聞いた。
その時も軽く動揺したが、まさか昨日の今日で主任から電話とはな。

 
「元気?」と言われ、「いやぁ色々ありますね。」と返したくらいには、私は元気がない。

 
 
 
病院が早く終わったので、食材や生活用品を買いに行き、料理はゆとりを持ってできた。
ただ、父親が遅番だったため、洗濯たたみやその他諸々していたら、結局時間はいつも通りだった。

 
夕飯後、母親からLINEがきた。

リハビリで、4歩も歩けたり、膝曲げができたらしくてビックリした。

このままいい方向にいくといい。

 
願うは、自力でトイレに行ける、だ。

父は「おむつはけばいい。」と言っているが、母のように意識はしっかりしている人がおむつはなかなかにハードルが高い。
人はなるべくならトイレで排泄をしたいのだ。

 
トイレに一人で行けるようになるまで、回復するといいな。


 
 

 

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