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入院1日目:母が検査入院になった日

やがて再び車椅子に乗った母が看護師と共に来て、入院病棟に案内された。

母は悪化し、更に足が動かなくなっていた。

 
母が医師から診察を受けている間、私や姉や父で入院書類を書いた。
私は入院したことがないため、見るのも書くのも初めてだった。

姉はさすが姉だった。
テキパキと看護師や医師に質問をしたり、話を確認したりしていた。
親戚二人(しかも一人は看護師)が来てくれたのもありがたかった。
大人が集まり、話したり、力を合わせれば、不安が確かに薄らいだ。

 
病院側は退院後どう過ごすかを確認し、自宅の様子を何度も確認した。
手すりや段差の有無だ。
おばあちゃんが車椅子だったため、我が家は手すりやスロープがある。
玄関に段差があるくらいだ。

 
ただ…

 
何度もバリアフリーについて聞かれるということは多分
もうお母さんは
歩けないのは一時的ではなくて
退院しても、リハビリしても、今までのように走るどころか歩くことはできないのだろう。

 
病院側の話では、脊髄梗塞ではないか、とのことだった。

脳梗塞なら聞いたことがあるが
脊髄梗塞は初めて聞いた。

 
調べて見ると、脊髄梗塞は背中に痛みかあるらしい。
確かに母は先週、「背中から心臓にかけて痛む。」と言っていた。

 
  
医師に呼ばれ、姉と病室に移動した。
病室には二人までしか入れないからだ。面会時間は30分。
私と姉が母と話している間
父は更に入院手続きをした。

病室は大部屋の角部屋だった。

 
医師に言われ、母は足を上げたり逸らしたりしていたが
やはり右足の反応が悪い。

しかし、脊髄梗塞ならば、他の症状もあらわれるはずで
断言はまだできないようだった。
とりあえず脊髄について検査するようだった。

 
姉は子どもを迎えに行く時間なので帰ることになり
私は入院準備をするために一旦帰ることにした。

この時点で15:00過ぎていた。

姉には渡し損ねたバームクーヘンやせんべいを渡し
姉と別れた後は職場に、母が入院になったが、明日は出勤する旨をLINEした。
それから真っ直ぐ家に帰って入院準備をした。

 
持ち物には全て名前を書くように言われた。
母の部屋から物を探し、名前を書くのはなかなかに時間がかかり
自宅を出発するのは17:00を過ぎた。

 
その後いくつかのお店に寄り
足りないものを買い
大荷物で病院正面口を向かうと
今からの時間では正面口からは入れないと近くの人に言われ
私は広い病院内や駐車場を移動し

母の病室に着く頃には、汗だくになっていた。

 
母はグダッと寝ながらスマホをいじっていた。
私の記憶では母が寝ながらスマホをいじるということはなく
相当調子が悪いのだと感じた。

面会時間は30分しかない上
20時までなので
私は持ってきた荷物を棚に入れたり、手元に置いた。

 
テレビカードを入れるとテレビがついた。
母も少しは気が紛れるだろう。

朝に具合が悪くなり、救急車搬送されたため
母は一日何も食べていなかった。
私が来た時にちょうど夕飯も抜きと言われていて
母は医師や看護師に何か食べたいと訴えていた。
まぁ夕飯はいいか、となり
結局夕飯は出されることになったらしい。

「たまにやけにイライラする。」

空腹か不調のせいか
だるそうな顔で母がそう言う。

 
 
母は太陽だ。
明るく元気な人でサザエさんのような人だ。
愚痴等はほとんど言わない。

そんな母が、イライラ、なんて。

相当調子が悪いのだろう。

 
 
帰宅したのは20時を過ぎていた。
新施設長から、疲れているだろうし明日は半休をとってもよいとLINEが来たが
長期戦になるし、明日休みをとるわけにはいかない。

帰宅後も姉や周りからLINEが来ていたので返したら時間はあっという間に過ぎていった。

 
私は疲れがたまったり、空腹すぎると食べられない人だし
食べたい気持ちはなかったが
昼食で食べるはずだったうどんを無理矢理食べた。
長期戦だ。
無理矢理でも食べるしかない。

 
疲れてグッタリしていたが
洗濯をして、お風呂に入り、お風呂掃除をした。
冷蔵庫の残りものをざっくりチェックし、明日から何を作るか考えた。

今まで母に甘えていたことを痛感しながら。

 
 
今日から母がやっていたことはやらなければいけない。

それは私にとってはプレッシャーで使命感で
泣いている場合ではなかった。

 
一刻も早く寝て、明日に備えなければ。

そう思いつつ、夜はよく眠れなかった。

 
 
体重は一日で1kg減っていた。










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