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問題演習いらずの革新的歴史勉強法!? 一夜漬けで学年一位の勉強法とは ①

 今回の記事では歴史の勉強法を紹介します。世界史日本史は僕が高校時代に一番得意だった教科です。受験で使ったのは世界史(と地理)で、世界史では学校の定期テストと実力テストで約1年間、連続で学年1位でした。学年で20人くらいは東大に受かる高校だったので、ずっと学年1位だったのは結構すごかったんじゃないかと思います。しかも、定期テストは毎回一夜漬けでした(どういう勉強法だったのかは後述)。

 僕の勉強法は、やや特殊なところがあります。タイトルにも書いたように問題演習はほぼしません。いろいろな勉強法を試しましたが、今も一周回って問題演習はほぼしないやり方に落ち着いています。
 そのちょっと異端な勉強法を紹介します。


歴史科目の特徴

負荷を上げよう

 その前に、社会という教科の特徴を考えてみましょう。
 僕は、勉強をするときは負荷を適切に調節することが大事だと思っています。負荷が高すぎると、何も分からなくて何も考えていないのと一緒になってしまいます。一方で、負荷が低すぎると、ただ作業をしているだけになって成長しないです。この考え方を歴史の勉強に当てはめると、歴史は負荷が低くなりやすい教科であると言えるでしょう。ただ教科書を読んでマーカーを引くだけ、繰り返し一問一答を解くだけといった勉強になりがちです。一応理解はできるけど、定着していく感じがしない。心当たりがありませんか?だから、歴史を勉強するときは上手に負荷を上げる必要があります(具体的な方法は後述)。

「覚えている」と「解ける」の関係

 もう一つの特徴は、「覚えている」と「解ける」が一致することです。覚えていることであれば、それをどういう形で問われても基本的に解答することができます。一方で、数学のような教科では、公式や解法を覚えていても問題を解くことができないということは頻繁に起こります。歴史は覚えていればほぼ解ける教科なので、問題演習はいらないと考えています。解けないことの原因は、演習不足ではなくて知識不足、理解不足、知識の定着度の不足といったところにあります。なので、問題演習を繰り返すよりも、これらの原因を直接潰す方が効果的だと考えます。

問題演習はいらない

人に説明できるレベルにする

 すでに書いてきたように問題演習はいらないと思っています。その理由を詳しく説明しますね。
 まず一つ目に、問題演習をして正解すると「できているつもり」になりがちだからです。僕は知識のレベルは知っている/知らないに二分できるようなものではなくて、もっと細かい段階があるものだと思っています。全く知らない→聞いたことはある→問題は解けないけど解説見れば分かる・言われれば思い出す→一応問題は解ける→人に説明できるといった段階を踏んでレベルアップしていくものです。問題演習を繰り返しているだけだと、「一応解ける」のレベルにとどまってしまって、次のレベルに行けない恐れがあります。そうすると、しばらく勉強しないと忘れてしまい、また問題演習を繰り返し、またしばらくして忘れてというループから抜け出せなくなります。受験勉強の初期は、まだループにはまっていることに気付かないので、実力がついているように錯覚もするのですが、受験が近くなってくると、結局実力が伸びていないことに気付くことになります。では、どうすればいいか。具体的な方法は後で書きますが、知識を人に説明できるレベルにまで上げてしまえばいいんです(一方で、受験生は「言われれば思い出す」くらいのレベルで足踏みしがちです。ある程度勉強していれば誰でもなんとなく用語は覚えているというレベルには達するものです)。

論述も空所補充も解き方は変わらない

 そうすれば自然と問題は解けるようになります。社会は覚えていれば解けるんですから。でも、国公立志望なら論述問題があってそれの対策が必要なのでは?と思う人もいるでしょう。僕の考えでは空所補充も論述も同じものです。頭の中に、人に説明できるようなレベルの知識があるとします。教科書の文章、問題のリード文、学校や予備校の授業内容がそのまま頭に入っているような状態を想像してください。空所補充は、その文章の一部が抜け落ちていてそれを答える問題です。論述は逆に一部の語句だけが与えられていて残りの文章を復元する問題です。結局どちらも頭の中にある知識をそのまま引っ張り出すだけです。しかし、小手先の勉強をしている人は「空所補充より論述が難しい」と感じてしまいます。
 唯一、対応しきれない部分があるのは東大などで出題される論述です。東大の論述は、切り口が教科書の記述そのものとは違うので、頭の中にある知識の流れをそのまま書くのではなく、その場で再構成して解くような感じになります。その「切り口」を知るために問題演習をする必要はある程度あります。でも、いい学習をしていれば普通の受験生よりは少ない量に抑えて他のところに勉強時間を充てられると思います。

一問一答形式の問題集との付き合い方

 僕は一問一答形式の演習には特に弊害があると感じています。それは、流れがぶつ切りになってしまうことです。これも後で詳しく説明しますが、歴史の勉強は知識をバラバラにせずにつなげてまとめて覚えることが大事です。一問一答はその覚え方との乖離が大きいので好きではないです。ただし、一問一答にも活用法はあります。まず、どのくらいの知識を頭に入れればいいかの目安になります(教科書や用語集でもこの役割は果たせます)。次に、知識の定着度の確認ができます。知識をつけるためではなく、ついているかどうかの確認に使うのです。最後に、知識が抜けるスピードを減速させる復習に使えます。一問一答を高速で解けば、短時間で復習ができるので便利です。これらの使い方はありますが、僕の中ではあくまでも補助的な位置付けです。


合格点を取るための考え方

 どの教科でも言えることですが、受験では合格者最低点を狙うことが大事になります。(https://note.com/daikatsumata_54/n/n7958440cbbca
だから、難問奇問は捨てることが大事になります。そういう考えで入試問題を見てみると、基本的な知識が高いレベルで定着してさえいれば、どこの大学でも合格点は取れるものです。細かい知識問題にまで対応しようとすると、覚えるべき知識が指数関数的に増えてしまいます。だから、少ない範囲に絞って精度を上げた方がいい点が取れます。精度を上げるというのは、ただ単に用語を覚えているのではなく、その内容や他の事項とのつながりまで正確に覚えていることです。例えば、「リキニウス・セクスティウス法」という用語だけ覚えていても意味がありません。「執政官の一人は平民から選ぶ」ことや「次にホルテンシウス法が出る」ことや「グラックス兄弟の改革」との関係など様々な内容を正確に覚えていることで、得点につながるのです。多くの受験生はここが曖昧になっています。用語は知っているけど、その覚え方があやふやなのです。重要な語句を高い精度で覚えることで、ほとんどの大学で合格点を取ることができるようになります。また、「固有名詞ではないけれど重要な内容」を正確に覚えることも大事です。上の例で言えば、「執政官の一人は平民から選ぶ」を正確に覚えることです。他の教科にも言えることですが、知識量≠知っている単語の量だと考えた方がいいです。ある単語に関してどれだけその内容を豊かに知っているかも重要です。マニアックな語句を覚える前に、重要な語句の内容をしっかり把握しておきましょう。

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