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「コーチング」×「武士道」①コーチングを学んだら武士道を感じた

3ヵ月前から、コーチングを学んでいます。

https://mindset.co.jp/

今回のnoteは、当スクールでの「コーチング」と後述する「北辰一刀流」で学んだこと実践してみて感じていること、変化、体験など自分自身の備忘録として、書いていきたいと思います。

自己紹介がてら、私自身のタグ付けは下記です。

・急成長ベンチャーのCOOで営業や組織づくりに強みを持つ
・日本の歴史、特に近現代がめちゃくちゃ好き

今回の記事では、ちょうど1年前からコーチングを受け3ヶ月前から学んでおり、そこでの気づきを発信出来ればと思います。

==そもそものきっかけ==


そもそものコーチング受けるきっかけは、学生時代の友人である井崎さんがコーチングのモニターセッションをフェイスブックで募集されているのを拝見したことです。
学生時代に日本と中国の学生を交流する機会をつくる「日中学生会議」という学生団体に所属しており、そこで井崎さんとお会いしました。
6ヵ月ほど彼と一緒に過ごしていく中でとても信頼できる方だなーと思っておりましたが、そこから10年くらい連絡も取っていませんでした。コーチングモニターセッションの投稿を見て、「面白そう!」を思って連絡をしました。

この出来事が、私がコーチングの世界に入っていくきっかけでした。

==最初のコーチングの印象==


セッションを受ける前の最初の私の「コーチング」の印象は、「マネジメントツール」です。

「自分の部下に対して、コーチングを通して成長のきっかけを作り、業績を最大化させる」

ベンチャーでCOO(当時は主に育成教育などの人事周り)をやっていたこともあり、そして最近のマネジメント手法としてコーチングというワードも多いので、所属している会社にも良いインパクトがあるな、と思っていました。

でも、それは全然違いました!違ったというより、

「仕事に留まらず人生そのものに通底するもの」

だと強く感じています。

==コーチングでまず最初に何をやったか==


最初にやったことは、
・自分自身の「want to」を棚卸する、です。

このwant toを特定していくためにも、「過去、権威者(両親や上司など)から言われたことを無視してまで、やってしまったこと」の行為をとにかく洗い出しました。

ここから、その行為に対して観察をし、どのような「意味意義」があるのか、を言語化していきました。

ちなみに私は何個か出てきましたが
・自分が中心になってコントロールしたい
・他人の認知をポジティブに変えたい
・権威者にマウントをとりたい(負けを認めたくない)
・未知なものをやりたい、その環境下でインプットして結果をだしたい
・早く結果を出したい

等が出てきました。
他の方が見られると、「え、大丈夫?」と思われるwant toもあるかもしれませんが、自分自身の本質的な欲求なので、ここでは「セルフィッシュ(自己中心的)」で良いです。
逆にこの「want to」に、「他人のために〇〇をしたい」のようなとりとめもない他人や社会からみた「正解」のようなものだと、自分自身の根源的欲求ではないので、ズレたものになりやすいとのことです。

このwant toを抽出し、ゴールを設定する時に、「アンセルフィッシュ」であればよい、むしろあるべきであって、それが「現状の外」だと理解しています。ベクトルが自分に向くことこそ、「現状の中」です。

上記をプロコーチと話していく中で、want to自体は、他人から見て、「この人大丈夫?」と思われるくらいでちょうどよい、という言葉にとてもホッとしたというか、「あ、これでいいんだ」と強く安心したことを覚えています。

というのも、当時の私は、周りからの抑圧つまり、マネージャーとして、ビジネスマンとして、企業の幹部として「〇〇あるべき、〇〇のように見られないとダメだ」というのが、とても強くなっていたからです。
その自分自身の本質的な欲求、人間的欲求と、「〇〇あるべき」という認知不協和というか、ギャップというか、その辺りのモヤモヤが一気に晴れた気がしました。

確かに、これまでにお会いした、この人尊敬できるなー魅力的だなっていう方は、そういう抑圧に合わせることなく「本音」で生きているな、と感じていました。当時の自分と、そういう尊敬できる人達の本質的な差が、見えてきてとてもワクワクしてきていました。

==want to抽出の体験に対する気づき==


この体験経て思ったのは、
「本音で生きるを前提に、自分自身を偽ることなく、本音で生きた先に人格を昇華させる経験を経て、立派な人物になる」ことが大事だと思いました。
周りを気にして表面的な、立派な人物になる(立派な人物だとみせる)必要はないということです。

つまり、流れとしては
本音で生きる→その本音の中でアンセルフィッシュな現状の外のゴールを掲げ行動する→その中で絶望する→そこから這い上がる→を繰り返した先に立派な人物になる

が、正しいのであって、

周りを気にして等身大以上の自分を見繕う(本音ではない)→セルフィッシュでかつ自己保身的な現状の中のゴール→やりたい事も出来ていない→でも〇〇あるべきという周りの抑圧は気にしてしまう

大事なのは周りから非難もされるかもしれませんが、「本音で、正々堂々と生きる」「自分を超えたゴールに挑み続ける」ことではないかなと思っています。

==なぜ「武士道」とコーチングに近しいものを感じたのか==


実はコーチングを始めて、「剣術」(剣道ではない)を始めました。そこでも「剣」を通して「生き方」を学んでいます。
とにかくやりたいなと思ったことはやろうと決めたので、昔先生が怖すぎてやめてしまった剣道なんですけど、やっぱりもう一回チャレンジしたいということで始めました。

そこで教わっているのは、剣道のスキルではなく、剣術を通し武士道をはぐくむ人格形成です。北辰一刀流の宗家のもとで学んでいるので、本当に素晴らしい体験が出来ているなと思っています。興味があればお声がけください。

そこで学んでいる一つは

「物理的にも精神的にも自分の中心を確立すること」です。

剣術では「型」をまず練習しますが、一人でできるようになっても「相手」が存在すると、自分の中心がブレて、型が崩れていきます。
相手がいたとしてもブレない自分の物理的な中心と精神的な中心を剣術を通して、作り上げるか、を毎週鍛錬しています。

これって私が学んでいる「コーチング」とめっちゃ近しい!と思いました。

コーチング文脈でいうと、want toという自分の中心を見定めて、相手・他人に関係なくそれをオールライフで通底させる、ということです。

幕末時代に活躍した山岡鉄舟は次のような句を詠んでいます。
ちなみに山岡鉄舟は「幕末の三舟」と呼ばれ、その有能さから幕臣でありながら、明治天皇の臣下になりました。

「晴れてよし曇りてもよし富士の山 もとの姿は変らざりけり」


訳としては
「他人からは、富士山は晴れてる姿も曇っている姿も良いな、と言われているが、そのような他人の評価は関係なくそのような他人に踊らされることなく、富士山は常に同じ姿をしている、そのような心でありたいな」です。

コーチングでは、自分のwant toとアンセルフィッシュな考えを「軸」にゴール設定をし、そこに対して結果論他人から賞賛されるかもしれないし、されないかもしれない、ただそれはあくまで結果論、と教わっています。

まさに、コーチングには、日本古来のメンタリティーと、現代に生きる我々に最も必要な教えがあると、強く感じています。


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