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鍾乳洞で考え込んだ話

生まれて初めて、鍾乳洞に入った。小さな頃から図鑑ではよく見てきたし、鍾乳洞ができる原理もなんとなく知ってる。

でも、本物の鍾乳洞に入ったことはなかった。

おおー図鑑で見た通りだ!などと、ありがちなネタバレを確認しながら奥へと進み、上へ下へと視線を走らせ、二段ベッドの上で「科学シリーズ」の写真を見ながらへぇへぇ言っていた幼き頃の自分の姿を思い出しながら興味深く楽しんでいた。

ライトアップなんかもされて、見た目に楽しめるように演出もしてある。

当然だ。ライトをつけなきゃ何も見えない。

と紫色に光る鍾乳洞の壁を眺めて、ふと考え込んでしまった。鍾乳洞の色とはなんなのだろう、と。

この鍾乳洞は沖縄にある。形成されたのは約30万年前のことらしい。

琉球王朝が支配するずっと前から、それどころか、現生人類であるホモ・サピエンスが地球上に現れる前から、この鍾乳洞は地下の世界を作り上げてきた。

アメリカ軍とドンパチやっていた時も、日本に返還された時も、昭和・平成・令和と時代が変わっても、常に地下にはこの鍾乳洞があって、雨水が石灰岩を削り、水に染み込んだ石灰質が滴り落ちて鍾乳石になる。ここの鍾乳石は一年に3ミリほど大きくなるらしい。つまり、今この瞬間も、この地下世界の形は変わり続けている。

人間の思惑などとは全く関係なく。

鍾乳洞の色。あたしは確かに鍾乳洞で色を見た。青くライトアップされた水も見た。

とても神秘的だ。でもこれは、「お前ら、青っぽいライティングは神秘的だろう?」というここを管理しディレクションしている人間の(陳腐なとは言わないが、凡庸な)想像力の路線にまんまと乗っかっているだけに過ぎない。

もしここのライティングがオレンジなら、この場所はオレンジに光る。決して、ここの鍾乳石や水自体が何か光を発しているわけじゃない。

鍾乳洞にそもそも色など無い。なぜなら、それは光がある世界のロジックとは全く異なるロジックで成り立つ世界だからだ。

光の世界に色があろうと無かろうと、鍾乳洞は常にそこにある。しかも、その「色」というのだって、人間の視覚細胞が認識できる範囲の周波数の光の反射に過ぎなくて、極めて人工的で限局的な概念だ。この話を突き詰めようとすると、結局人間がいない世界に果たして色はあるのか?(色という概念を理解する生物が存在しないとしたら、この世界に色はあるのか?という問い)という哲学的な問題に行き着くが、これはとりあえず今は置いておこう。

とにかく、ライトアップされた鍾乳洞の中で、あたしは鍾乳洞の色とは何だろうかと考え込んでしまった。

そして、結論としてそれは「単に人間が他の人間のためにあてがった枠組みに過ぎない」というところに落ち着いた。

鍾乳洞にとって、色などなんの意味もない。そもそも光が無い世界を創り上げているのだから。光も色も、その世界の構成要素ではない。

ここまで思考が至った時、翻って自分の色とは何か、とまた考え込んでしまった。

自分の色。昨今の自己啓発ブームもあってか、いろんなところでこの言葉を耳にする。曰く、自分の色は何か?自分の色を出せ!などなど。

しかし、結局それも、「他人に自分をどう見せたいか」という反射の問題に過ぎないのではないか。しかもそれは、他人から発射された光をいかに反射させるかというとても受動的な営みに思える。相手が見たい自分を見せたい、と自分の姿の写り方をハナから他人の枠組みに合わせて行くような。

見目麗しく、素敵な色に反射するよう光の世界を整えたところで、その内部にどのような世界が広がっているというのだろうか。

光の届かない部分で、誰にも見えないところで、でも常に何かが循環し、二つとない地下世界が形成される契機を自分の中に持つことは、たとえ時代が流れてもきっと大事なことなのだと思う。

鍾乳洞のライトアップが魅力的に見えるのは、ライトアップによる光が魅力的なのではなくて、そこにある世界が魅力的だからだ。多分、紫や青で光らせなくても、鍾乳洞は充分美しい。美しいのは当てられる光の色ではなくて、それを反射している世界そのものの魅力なのだと思う。それは光がなくてもそこにあり、独自のロジックで常に構築と破壊の新陳代謝が起こる堅牢でありつつも柔軟な世界だ。

それと同じように、自分にとっても他者からの目線、他者から当てられる光そのものにはあまり重要な意味はない。多分。外界とは異なるロジックで成り立つ自分だけの堅牢で柔軟な世界ー物理的な話ではないので「世界観」みたいな言い方の方がいいのかもしれないーを構築すること。

それの何がどう大事なのかはわからない。見目麗しいことも同じくらい大事なのかもしれないし、もしかしたら人間の世界ではそれだけが大事なのかもしれない。

でも、人生で初めて入った鍾乳洞の中で、家族が先にスタスタとあたしを放置して歩いて行くのを見ながら、「一度この照明を全部消してしまえば、鍾乳洞のロジックを理解できるのだろうか」などと、とても不穏な想像をしていた自分がいたことは、もちろん家族にも話していないけれど、そういうところがなんとなく自分らしい気もするし、そんなところに自分の地下世界があるのだと思う。

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