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定期購読マガジン始めました。

この世には2種類の人間しかいない。
書く人間と、
書かない人間だ。

僕は、今書いていない人間、つまり書かない人間だ。過去には書く人間だった自負はあるものの、今は書いていない。書かない人間になってしまった。

でも、僕は書く人間でいたい。
だから始める。このマガジンを。少しでも書く人間に成っていくために。


書くという行為

ところで、僕は大学教員だ。
大学教員という職業についているにも関わらず書いていないというのは、ほとんど職場放棄に近い。大学教員とは、書く(ことを期待されている)人間である。書く行為は半ばアイデンティティーのようなもので、書かずにいることは、それなりに、いろんな意味で、しんどい。

ただ、「書く」という行為にもいろいろなレイヤーがあって、大学教員としての”書く”とは、もちろん「論文を書く」という意味だ。それは、専門的な知見を厳密なロジックによって織り上げ、研究成果を世に問う行為である。

だから、この「マガジンの記事を書く」という意味での「書く」と「論文を書く」という意味での「書く」ではその内容が大いに異なるわけで、到底一緒くたに扱うことはできない。
マガジンの記事を書くというのは、論文を書くのに比べるともっと曖昧な、自分の脳みその中身や関心事に対する分析・批評などを文章としてダダ漏らしてくイメージである(マガジンタイトルはここに由来する)。基本的には自己PR的要素の強い、端的にいうならただの「発信」だ。

そして、僕が「書きたい」のは論文ではなくマガジンだ、というのだから、それこそ職場放棄ギリギリと言われても仕方ない。

書いてない

実は、直近四年間というもの、僕は論文を書いてない。

四年前に子供が産まれてからというもの、生活は完全に変わった。

色々と変わった部分はあるし、子供が産まれたばかりの頃と今とでは変わった部分も変わっている。とはいえ、全体として共通するのは、一人で考えたり、読んだり、勉強したりする時間が圧倒的に短くなったことだ。

当然だ。日常業務の他に「子供を育てる」という新たなタスクが課されたのだから(そんなふうに、”誰かから押し付けられたもの”とは僕自身捉えていないことには一応の注意を促しておく。Twitterで色々愚痴ったりすることもあるが、基本的に全部僕が望んでやっていることだ)。
またこれは別な話だが、職場も変わったので担当授業も変わり、全て1から準備し直す必要もあったおかげで、「書く」という行為から離れて久しい。もしかしたら、この "四年間" という時間は、大学教員としては致命的かもしれない、と少し思ったりしている。

わかってる。これは言い訳だ。同じ状況でも、書く人は書く。書いていないのは状況のせいじゃなくて、自分の行動のせいだ。書く生活と家庭生活と職場環境の変化をうまいこと鼎立させられなかったのは、単に書く気がなかっただけなのかしれない。

だから書きたい

でも、書くことから離れてみてあらためて知ったのは、自分が書く人間だということ、いや、その手前の「書きたい人間」だということだ。

子供も少し大きくなり、育児に関する物理的・体力的負担は随分減ったと思う。(これからは、精神的負担と金銭的負担が重くなってくる。)また、新しい職場での新しい担当科目も3年目に入り、やり方がだいぶわかってきた。ゼロから作らなければならないものはそれほど多くはなくなった。

そうやって制約が外れていけばいくほど、書きたい欲が頭をもたげてくる。それが「論文の」書きたい欲でないことがなかなか困ったものなのだけれど、論文を書くためには僕の体と頭はあまりにブランクを空けすぎた気がする。もう書けない訳ではないが、論文を書くにはそれなりの勢いと「没頭する」という時間が必要になる。それが、なかなか難しい。現在の生活に論文執筆をするりと滑り込ませられるほど、僕はスマートじゃない。

でも、それでもやはり書きたいものは書きたいのだ。こうして文章を書いているとき、僕は心底楽しいと思える。書く内容について吟味しているとき、なんとも自由な心持ちになれる。だから、生き方として書いていたいのだと思う。

ちゃんと書く

noteにもこれまで何本も記事を書いてきたけれど、正直「ちゃんと書こう」と思って書いたものはあまり多くない。毎日noteチャレンジなどもやってみたけれど、途中から何だかよくわからない義務感みたいなものに背中を押され、これは「生活じゃない」と感じてしまいやめてしまった。

だから、「ちゃんと書こう」と思って改めて媒体を考えてみた。自分が書きたいと思えることで、「発信」ができるもの。かつ、「ちゃんと書こう」と思って書くことができる媒体。読者がつくかどうかは正直わからない。でも、少なくともできる限り「ちゃんと書く」ことに賛意を示してくれた人に誠実に応えることができる媒体。

などと色々と考えたとき、この「定期購読マガジン」が良いのではないかと思い至った。

なぜ定期購読マガジンか

198円/月という値段設定。この時代にあって、「情報はタダになりたがっている」この時代にあって、書くことのプロでもない、作家でもない人間がウェブに載せる半ば自己PRのような文章に値段をつけるのか?と思われやしないかとも思うが、「ちゃんと書く」という行為にはそれなりにコストもかかる。主に「時間」というコストが。週1回ペースの更新を考えているが、更新されるまでの間に内容や構成を考え、一度手書きで文章に起こし、編集して校正してタイプする。そんな時間。実際に購読者がいたとしても、かけた時間が取り戻せる訳じゃないので、実はコストそのものはカバーできない。とはいえ、かけたコストがあるという事実は示しておきたい。というわけで、値段をつけさせてもらうことにした。

定期購読マガジンなら、定期的な更新が必要だし、毎日書くための何かを考えて形にしていくのにちょうどいいと思ったわけで。

始めるのよりも続ける方が難しいし、僕もこれまでいろんなものに手を出しては結局続けていないことの方が多い。だからこのマガジンもいつまで続くものだかわかったものではないのだが、それでも書きたい意欲だけほと走っている状態なので、これをなんとか発散させていく必要があるだろう。

自分が書きたいと思えるものを

書いてなかったから、書きたい。とりあえず自分が書きたいと思えるものを。その場の行き当たりばったりの刹那的な思いつきのものじゃなくて、それなりに準備をして考察したものを。

ある意味で、これはリハビリのようなものだ。四年間使われずに放置されていた能力や道具のようなものを引っ張り出してきて、再び使えるようにしなければならない。

書くという行為を通じて、僕は世界に触れていたいのだ。だから、最近ようやく少し子供の方から戻ってきた自分の時間の中に「書く」という行為を組み込んで、すっかり痩せ衰えた気がする自分の足腰をまたイジめていこうと思う。

この超個人的なリハビリに付き合ってくれる人がいたらとても嬉しい。きっと僕の錆びついた足腰も超回復を見せることだろう。それをハナから期待することもないが、伴走者がいてくれたなら、きっと想定より遠くへ行ける。

特にゴールはない。とりあえず始めてみる。書く人間になるために。

という訳で、どうぞよろしくお願いいたします。

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僕が大学教員として、また家庭の主夫として日々考えていることのまとめです。内容は育児とダイエットと読書感想文が多めで、分野はあまり統一されて…

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