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階級闘争の作法

 争議も喧嘩も革命も、ただのゲームと割り切ることです。上位の存在と対戦するなら、まずは相手の権力が何によって担保されているかを見定め、その根をハックすることです。ふざけた会社は労基署を、いけ好かない研究室の教授は専攻科長や学生課を、けちな保険会社は日本損害保険協会を、それぞれ召喚して上から叩き潰しましょう。いずれにせよ勝敗を決めるのは殺意の強さです。関心はすべての源泉です。筋力も戦略も経験も、すべては殺意から生まれます。

 マルクスが暴力革命を唱えた意味をよく考えるべきです。ルールを作ったのは誰ですか? ルールを作ったのが対戦相手なら、こちらに勝ち目はありません。それなら盤面を卓袱台ごと引っくり返してケツを捲ることです。慈悲も情けも無用、これが暴力革命です。「で、それのなにが悪い?」これが作法の基本精神です。

 この際ですからはっきり言いますが、投票で世の中は変わりません。打倒したい相手を、自分たちの戦力に組み込まないよう注意する必要があります。ニーチェが怪物や深淵について言っていたのはこのことです。ポピュリズムは常に中途半端な成果しか出せません。民主主義は権力を分散させることで問題に正しく対処しようとしますが、船頭を増やしても船は山に登るだけです。汚職、腐敗、献金は、権力点の数に比例して増えます。マスクや牛肉を配るのは弱いからです。ヒトラーやムッソリーニの政権が失敗したのは、トップに持たせた権力が大きすぎたからではなく、小さすぎたからです。支持を得るためのパフォーマティブな振る舞いが必要だったのは、彼らの権力基盤が人気に依っていたからです。そのせいで彼らはどうでもいい政策を強いられました。

 ヘーゲルは君主が必要だと言いました。それは「やれ」と命を下す絶対的な主体です。君主は完全無欠でなくてもよいのです。「どうしましょうか」とご機嫌伺いをするのは、間違えた判断をするのが怖いからですが、もう間違いを避けるのは諦めるべきです。みんなで侃侃諤諤正しい方策を論じるのは時間の無駄です。とりあえずやれ、駄目そうならやめる、ローマの華を咲かせたのは、皇帝が握る意思決定権の強度とそれが実現する速度です。

 政治は議事堂で起きているのではありません。現場で起きています。目をこらせば、それは生活の至る所にあります。イデオロギーを葬るのは、いつもそのイデオロギーそのものです。ウイルスに対抗するワクチンは、当のウイルスそのものから作られ、熊を倒すには鏡が有効です。もしあなたが、打倒不能な悪に悩まされているなら、それは殺意が足りないからです。敵の打倒不能性は幻想で、それを破るにはルールを、ルールの外側から眺めるだけでこと足ります。おそらくその幻想は自己欺瞞です。ルールの外に出られないのは、あなたがルールに依存しているからで、まずはどうすれば依存を解けるか考えましょう。これが闘争の手順になります。

(文責を問われるのは厭です! 大体はジジェクのせいです!)

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