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コロナ禍と日本の政治

 2020年5月4日、日本政府はコロナウイルス感染拡大を防ぐための緊急事態宣言を5月末まで延長すると発表しました。その一方で、出口の見えないこれ以上の自粛は経済的なデメリットが大きすぎるという意見も目立ち始めています。日本の現状と今後を他国の状況を参考にして考えてみましょう。人名は敬省略します。すみません。

 さて、横に⇔を書きます。左端に経済最優先のブラジル大統領ボルソナーロ、右端に強権的に抑え込んだ中国最高指導者、習近平を置きます。その他は、〈ボルソナーロ‐習近平〉の間に位置づけられます。トランプは真ん中より左寄り、安倍は右寄りでしょう。両極に具体としてボルソナーロと習近平を配したこの図式に則って、さしあたりブラジルと中国の対応について見ていきます。

 ブラジルにおいて積極的なウイルス対応の指揮を執るのは専ら各州の知事で、3月22日から都市封鎖が漸次施行されました。ところが、3月24日、ブラジルの大統領ボルソナーロは「コロナウイルスはちょっとした風邪」と発言し物議をかもします。ボルソナーロは外出禁止や交通の制限を進める各州の政策を批判し続け、ついに4月16日にはウイルス対策措置に積極的だったマンデッタ保健相を大統領権限で更迭しました。新たに任命されたタイシ新保健相は就任演説で「これまでは、自宅待機措置による情報がほとんどないため広範囲な自宅待機措置が重要であるかのように扱われていたがそうではない。直近の正確な情報に基づき最善の行動を実行する。情報が少ないほど感情的な議論になる」と従前の保健相の対応を批判、自分の考えは大統領と完全に一致しているとし「できるだけ速やかに通常生活を再開できるよう取り組む」と結びました。このようにボルソナーロは、コロナウイルスの脅威はあれどできることには限界があるのだから割り切ってなるべく通常運転をする、というスタンスを取っています。失業者が増加し借金苦による自殺や殺人が増えれば元も子もありませんから、ボルソナーロにも一理あります。

 中国の対応を見てみましょう。1月23日、湖北省は、省内旅行各社に営業を停止し、新たにツアーを企画しないこと、すでに企画した場合は中止あるいは延期すること。省内の大学、専門学校、小中学校、幼稚園の始業日程を延期すること。武漢市における全公共交通機関は運休すること、などを通告しました。24日にはタクシーの営業停止、26日には市中心部の車両走行が禁止されました。1月26日時点での国内累計感染者数は2,000人余りであることを考えてみると、対応の尋常ではないスピードが良く解ります。このような封じ込め措置は漸次他省でも施行され、あらゆるグループの会食の禁止や公共の場でのマスク着用義務化が施行されたりもしました。企業の操業再開に際しては全省が、消毒、検温、隔離をマニュアル化して企業に課し、責任者を立てない場合には操業を禁じました。感染の中心地だった湖北省が段階的な封鎖解除を発表したのは3月26日で、3月29日には「中国本土において、新型コロナウイルスはほぼ遮断された」と発表、5月3日の新規感染者数はたったの2人です。

 ここで各国が感染拡大をどの程度抑えることができたか、数字で見てみましょう。下のグラフをご覧ください。紺が中国、黄土がブラジル、薄紫がアメリカで、茶が日本です。

※グラフの見方
 感染症評価に際してはどのような表現を採るのが適当か、判断が難しいですが、今回は両対数スケールを採用し、縦軸で「人口100万人あたりの新規感染者数(7日間)」、横軸で「人口100万人あたりの感染者数」を示しました。両軸とも100万人あたりで評価したのは、大国の感染者が多くなるのは当たり前で人口の違う国の絶対数を比較してもあまり意味が無いからです。縦軸の新規感染者数が大きければ大きいほど、現在進行形で感染が拡大していることを意味し、感染ペースが落ちればグラフの下落が見られます。横軸は国内での感染の広がりを表します。グラフが横ばいになっていれば一定のペースで拡大しており、直線的に上昇していれば感染者が指数関数的に増加していることになります。

 国ごとに人口密度や年齢構成など様々な違いがありますから、感染の拡大の原因をすべて政治に帰してしまうのは乱暴です。また、政府が発表する情報をどの程度信じてよいかは慎重に考える必要がありますし、検査数が違う以上、単純な感染者数で比較することの妥当性には疑問の余地が残ります。しかしそれにしてもアメリカとブラジルの感染拡大はしばらく続きそうです。中国の成功には見るべきものがあります。日本も悪くないようです。しかしこういったデータを基に、すべての国は中国の対応を真似るべきだとは結論できません。その理由は二つです。

 一つ目は、他国が中国の真似をしようとしても不可能、あるいは政治のシステムを大幅に変更する必要があるからです。日本でも早期の緊急事態宣言を求める声が早い段階で上がっていましたが、それは実際のところ現行の政治体制では難しいものがあります。中国における、素早い意思決定、強力な国民の統率、手厚い保障は、中国の独特な政治体制が可能にしました。鍵概念は「国家資本主義」と「デジタルレーニン主義」です。

 国家資本主義とは、表向きは市場原理を取り入れてはいるものの、国家が経済主体として支配的な役割を果たすような体制方針です。中国が国家資本主義的である根拠として三浦は、米中経済安全保障委員会「中国における国有企業と国家資本主義の分析」の報告書の推計を示しています。この報告書によると中国経済に占める国有セクターの割合は5割超と推計されています。つまり中国の企業の多くは、国家に経営をある程度保障されているわけです。中国は以前から国内企業の保護と育成を徹底して進めています。Amazon, Google, facebook など名だたる世界企業を排除し、自国の産業を育ててきました。中国政府が有無を言わさぬ指示を下せたのは、国家が企業の後ろ盾、ないし影響力として、家父長的に君臨しているからです。日本なら調整や根回しに時間がかかるのは、間違いありません。

 中国におけるデジタルレーニン主義が成立した背景として、ハイルマンは、社会全体に蔓延した腐敗を問題視した習近平政権が、急速な社会発展とグローバル化への対応という課題に対応するために、党の市場に対する優位と指導力を回復しようとした旨を述べています。中国では貸したものが確実に返済されるか、債務が支払われるかについての社会的な信頼が成立しておらず、不利益が生じていると指摘されていました。中国政府はこの問題を、膨大なデータベースを基に国民の信用度を可視化することによって解決しようと考えました。その実態を大屋は次のように報告しています。

“その代表例としてしばしば言及される中国の「芝麻信用」(Zhima Credit)の場合には、スマートフォンで利用可能なアプリなどを通じて、350~950点の範囲で示される最終的なスコアと、「身分特質」(学歴や収入など個人の属性)、「履約能力」(契約などの履行実績)、「行為偏好」(消費に示されている特徴)、「人脈関係」(他者との交友関係)、「信用歴史」(クレジットヒストリー)の5分野に分けたレーダーチャートが示され、どの分野で自分がどの程度の評価を得ているかが図示されるようになっている。それだけではない。アプリの別の画面からは、これまでのスコアの変動だけでなく、今後に向けてスコアを上昇されるために必要となる行動のヒント――たとえば「水道や電気など公共料金の支払いを遅れずにしよう」「電子マネーやオンラインバンキングで経済活動を記録しよう」「他人を支援することで公益を実現しよう」といったものが示され、個々人を「道徳的」な行為へと動機付けるようになっている。”

 こういった国家主導での個人信用スコアの管理とその利用を、ハイルマンはデジタルレーニン主義として批判しています。その是非はさておき、こうした中央集権的な管理体制が、ウイルスの強権的な抑え込みに一役も二役も買ったことは想像に難くありません。以上のような中国政治の実体を考えると、マイナンバー制度すら満足に運用できない日本が、そのやりかたをすぐに真似ようというのは、かなり無理があることが分かります。

 中国の真似をするべきと言えない二つ目の理由は、感染症対応は長期的な問題であり、どの対応が適切かを判断するには今は時期尚早であるからです。コロナウイルスがどのような挙動を示すかについては、まだ十分なデータがありません。仮に今後コロナウイルスが毎年波状的に流行したらどうなるでしょうか。そのたびに国境を封鎖し、経済を止め、家に引きこもる余力が、どの国にあるでしょうか。ウイルスによる感染症はコロナ以外にも常に流行する潜在性があるわけで、そのたびにいちいちまともにつき合うのは現実的ではありません。そうなればどの国も、漸次ブラジル式のやり方に移行していくでしょうし、そのような展開になれば、早くに見切りをつけて免疫の獲得以外に手立てはないと割り切ったブラジルが、結果的に正しかったということになるでしょう。フランスでは感染者数の増加が止まったとは言い切れませんが5月11日から都市封鎖を緩和する方針で、スウェーデンでは高齢者を中心に高い死亡率が記録されていますが、当初から学校の封鎖すらしませんでした。こうした方策に切り替える国は今後増えていくと思われます。失業者は3,000万人にのぼり(王丹アナリスト調べ)、農民工を中心に大規模なデモが起こっている中国とて例外ではありません。もちろん死者を最小限にするというのが、国家としては考え方の基本線になりますから、中国の対応にも正当性はあります。要するにここで言いたいのは、現時点でどの国の対応が正しいか断定することはできないということです。

 以上のように各国の対応を整理しそのメリットとデメリットを天秤にかければ、日本がとるべき道が明らかになるでしょうか? どうもそうではありません。以上に見たいずれの国の対応にも一理ありました。経済をとるか、早期決着を図るか、医療崩壊を避けるか、感染者数の最小化を狙うか、国の維持を優先するか。なにを取りなにを捨てるか明確な方針を定めたときに、始めてとるべき道を模索する可能性が生まれます。まず戦略を定めること、そして戦略を運用する者はスペシャリストではなくジェネラリストであるべきでしょう。この点は3.11の反省を活かせませんでした。再びトップをすげ替えただけで満足するような過ちを犯すのは避けたいところです(別に総理を代えるなと言いたい訳ではないですが)。

 もし中国政府のような意志決定スピードやリーダーシップを志向するなら、それと引き換えに失うものも忘れてはならないことは、ここまで読んで下さった方なら分かるかと思います。しかし実際のところ、日本でデジタルレーニン主義のような体制が実現するのは、仮に実現するとしてもかなり先のことで、日本には日本の喫緊に考えるべき独自の問題があります。中国でデジタルレーニン主義が施行された背景を思い出してみましょう。習近平は蔓延した腐敗と商取引における国民相互の信用度を問題視した結果として、デジタルレーニン主義を導入するに至りました。今の日本でその役割を担っているのは、いわゆる自粛警察と、ポピュリズムに走った政治およびマスメディアです。感染者に向けられたバッシングが引き起こした自殺が何件か観測されていますが、これは法治国家にあるまじき事案です。先日も山梨に帰省した感染女性が、そのプライベートを暴かれましたが、それを記者団に公表する必要性はまったくありませんでした。小池百合子が発信した「stay home」は自粛の合言葉になり、ガクト、ヒカキン、本田翼、星野源などのいわゆるインフルエンサーと呼ばれる人々によって拡散されましたが、その結果、空席が目立つ飲食店やレストランはとは対照的に、スーパーマーケットは自炊用の食材を求める客で混雑を極めています。自粛したり潰れたりしている飲食店が多いにもかかわらずです。自粛するかしないかの二択で考えるのはナンセンスで、今求められているのは、必要な対策を個々人が判断し、長期的に無理なく暮らせるようなライフスタイルを確立することです。それは普遍的なものではなく、人それぞれ違うのが当たり前で、国家が一律に布告するようなものではありません。人間の正しい在り方を客観的に定めることができるとし、それを全国民に強要するような全体主義は、なんとしても退けなければなりません。それは私にはウイルスよりも、ずっとたちの悪い代物であるように思えます。

〈グラフの制作はこちら〉
新型コロナウイルス感染者数・死者数のトラジェクトリー解析【国別】
札幌医科大学医学部 附属フロンティア医学研究所 ゲノム医科学部門
https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/trajectory.html

Data Source: COVID-19 dashboard in ECDC, Coronavirus Source Data in Our World in Data, WHO situation reports, UN population data

〈主な参考文献、サイト〉
高屋和子『中国の「国進民退」と「国家資本主義」』
http://ritsumeikeizai.koj.jp/koj_pdfs/64611.pdf

大屋雄裕『個人信用スコアの社会的意義』
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jicp/2/2/2_15/_article/-char/ja/

日本貿易振興機構
https://www.jetro.go.jp/world/covid-19/archive.html

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