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「生まれつき耳が聞こえない赤ちゃんが初めてお母さんの声を聞いた瞬間が感動的」を体験してみた

「赤ちゃんが初めて補聴器を付ける動画」を見たことがあるだろうか? 色々な種類があって、初出がどれなのかは定かじゃないけど、2015年にねとらぼが記事にしているので、このあたりで流行り始めたのだろう。

一時期Facebookなどを中心に流行した「感動を誘うバイラル動画」として、それこそ世界中に拡散された。どの動画も95%以上のいいねが押され、第二第三の難聴赤ちゃん感動動画が作られている。Googleで「補聴器 赤ちゃん 感動」で動画検索すると、どれくらい流行っていたのかわかる。もはやアフィリエイトの餌食にもなっていて、勝手にコピーされてアップされているような有様だ。

まあでも、あの日抱いた感動が嘘になるわけじゃないよね。ただし、実際体験してみたらどうだろう? 動画で言えば、母親のポジションに自分がなるということ。この相当にレアな体験、子が難聴で生まれた我々の特権だ。では、実際に体験するとどうなるのか?

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嘘と言ったら語弊があるかもしれない。自分が体験してよくわかったのは、これらの動画には大いなる誤解と、それによって顕在化する問題があるということ。

まず大前提として、「赤ちゃんが喜んでいる」という誤解について。よく考えればわかるんだけど、生まれつき耳が聞こえづらい子にとっては、聞こえないのが当たり前。音声は、彼らのまだ未発達な認知の中でも、特にプライオリティが低い。だから、「お母さんの声を聞けて嬉しい」というのはそもそも起こり得ない。

まあ、世の母親の発する声には乳児を喜ばせる周波数が含まれている、的なことがあるならわからないけど、多くの聴覚障害者が抱える感音性難聴の場合、その周波数帯が聞こえないことも多いし、そもそも補聴器を音が通過して変質しているので考えづらい。

表情が変わるのも当たり前で、いきなり大きい音聞かされたら、そりゃびっくりする。実はうちの子もこんな感じになった。ずーっと眉間にシワを寄せて、なんだなにが起きてるんだ、という顔をしてた。それが今年3月はじめのことだったんだけど、noteのつぶやきにも書いていた。

それでもやっぱり、見たことがない表情を見れたことが嬉しかった。だから当事者であるYouTubeの母親が泣いているのは理解できる。

次に、上のつぶやきにも書いているんだけど、補聴器をつけることはスタートでしかない、という問題。動画を見て、何かが解決されたと思った人もいたのではないだろうか。難聴の問題はそんなたやすくない。これから検査を何度も繰り返し、少しずつ本人に合うように調整していかなければならない。子どもたちもみんな大変だけど、親たちも相当大変だ。健聴の子を育てるのだって大変なのに、病院通い、ろう学校通い、聴覚障害に関する勉強、手話の勉強と、いやー我ながらこの1年よくやってきたな! まだまだ道は長いけど。

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というわけで、「そっかあ、誤解してたなあ」と思っていただけたらありがたいけど、実は本題はここから。本当に読んでほしいのは、その誤解の先にある問題のこと。

たぶん、今これを読んでいる聴覚障害に関わったことがないほとんどの人、1年前の僕を含む多くの人たちは、「聞こえることが幸せ」と思い込んでいないだろうか? 声が聞こえて良かったね、という誤解は、聞こえることが優位でないと出てこない。だから「声が聞こえて良かったね」は「声が聞こえないと悪いこと」となる。ここに無意識の差別性があるのではないか。聞こえないうちの次男は不幸せな子? そんなわけあるか、と思う。

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生まれながらに聞こえない人にとっては、聞こえないことが当たり前。聞こえることが優位で聞こえないことは劣位なんてことにはならない。それは聴者が作ったこの社会の、聴者を基準にした優劣にすぎない。手話を第一言語にする人たちにとっては、聞こえることは重要ではないのだ。

例えば、健聴の人が手話で会話する人たちの中に入れられたらどうだろう。居心地悪い思いをするのではないか。僕も毎週手話講習会で、先生の使う手話のわからないところに、不甲斐ない思いをしている。視点が変われば優劣なんて簡単に変わってしまう。

もちろん、難聴や聾の人の視点に立つのって簡単じゃない。以前、口話教育について書いたけど、ああいうものが最近まで続いてしまったのは、まさしく難聴や聾の人の視点で考えられてこなかったからだ。言われてみればさもありなんだったんだけど、未だにこの口話主義で考えている人たちがたくさんいる。うちの次男も聴覚活用はやるし、僕は人工内耳に反対する立場ではないけど、「口話の呪い」とでも言うべき考え方にとらわれている人は、難聴児の親にも少なくない。

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僕はだれかを責めたいんじゃなくて、これを読んだ多くの、おそらくは健聴の人たちが、新しい視点を持ってほしいだけだ。なぜかといえば、口話教育が始まったのは、まさに冒頭の動画で感動してしまうような人たちがたくさんいたせいだから。日本の口話教育は、80年前のまさしくバイラル動画的なものでスタートしたのだ。

濱子は9歳の時には、人前で話をしていたと言います。
これに、あるメディアが目を付けました。
ラジオです。
耳の聞こえない少女の、健気で流ちょうな話しぶりは、大きな反響を呼びました。

(坂井先生)番組の司会進行していたアナウンサーが番組の途中から既に涙声で話している。子供たちの健気な姿ということで涙声で話をしているんですね。
本当に社会の聴いていた人たちが本当にびっくりしたようですよ。
こういうことができるのなら、なぜそれをやらないのかという風になるわけですよ。

もともと手話を使っていた日本の聾教育が、口話を使う少女と、口話教育を施した父親の登場で、以降80年近く口話教育に舵を切ることになる。80年で失ったものは大きいだろう。以前Twitterで、ろう学校で手話が禁止されることでアングラ化し、方言がたくさんできてしまったと聞いた。事実関係はちゃんと調べていないけど、聾者の家庭内だけで通じるホームサインが発達し、手話通訳士の人でも読み取れないものが多いと言う話を聾者の人から聞いたことはある。良かれと思ったことが、取り返しのつかない分断を起こしていたのだ。

相手を理解することは、相手の立場で考えること。それだけで、だれかの幸せに繋がる。これを読んだ人が、少しでも新しい視点に気づけたらうれしい。それがうちの次男の幸せにもきっと繋がるから。

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