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寒い夜に丸太町橋際の古本屋で「ダダイスト信吉の詩」を読む


『ユリイカ』第2巻第10号(青土社、昭和45年9月1日)

ポエム』創刊号の中原中也特集に続いて『ユリイカ』第2巻第10号(青土社、昭和45年9月1日)の「増頁特集中原中也」を見つけた。

直接、中也を知っている吉田健一、諸井三郎、吉田秀和の文章がやはりもっとも興味深い(大岡昇平は座談会の参加者として登場)。例えば諸井三郎の語るこんな中也。

そんなおだやかな初秋の午後、私は用事があって家を出た。家を出て間もない路上で、非常に強い印象を与える、いくぶん異様な感じのする小柄な青年とすれちがった。
 彼は黒いマントをひっかけ、黒いソフト帽のような帽子をかぶり、かみつくような顔をして、向うから歩いて来た。私は何者だろうと思い、思わず立どまってその若者を凝視した。しかし、見知らぬ人だからそのまま用たしにいってしまった。間もなく帰宅し、仕事をしていると、夕方玄関に訪ねる人の声がする。出て見ると、先刻路上ですれちがったあの異様な若者だった。しかし、私はそれを不思議と思うというよりは、当然な事のような気持で迎えた。

p84

中也は河上徹太郎からの短い紹介状を持っていたという。そして部屋に招かれた中也と諸井はすっかり意気投合したらしい。諸井がピアノを弾いたり、中也が詩の朗読をしたり……

こうして時の立つのを忘れたたが、彼はいっこうに帰る様子はなく、結局夜中の二時頃になって、まっ暗な戸外へ消えていった。そうして帰る時、私の机の上に、どさりと山のように詩の原稿をおき、「おい、諸井、作曲しろよ」といって帰っていった。この詩の原稿は、今日では、中也の詩集として印刷されているものばかりだが、その時の中也は、自分の詩が印刷されて、詩集として出版されるなど、夢にも思っていなかったのだろう。
 これが、彼に最初に会った日の思い出だがその後彼は私の家の近くの炭屋の二階に下宿したので、半年位は毎日のように私の所へやって来た。

p85

もうひとつ、北川透「中也における〈ダダ〉の視角」のなかに高橋新吉『ダダイスト信吉の詩』との出会いについて触れられた箇所がある。死後発見された中也の草稿「我が詩観」の中の「詩的履歴書」よりの引用。

《大正十二年春、文学に耽りて落第す。京都立命館中学に転校す。生れて始めて両親を離れ、飛び立つ思ひなり、その秋の暮、寒い夜に丸太町橋際の古本屋で「ダダイスト信吉の詩」を読む。中の数篇に感激。》

p92

ここを読んで、丸太町橋際の古本屋とはどこだろう? と考えた。当時、丸太町通沿いには多くの古本屋が軒を連ねていた。

《「鴨川の丸太町橋から、熊野神社前までに、二十七・八軒ありました。停留所の短い市電の区間で、川端丸太町・丸太町新町・熊野神社前まで、三つしか停留所はないのですが。小学校の遠足で、平安神宮から御所まで歩く生徒が、「また古本屋や、またや」と話していったことがありました。三高の学生も、京大の学生も、その頃は、河原町丸太町で電車をおり、歩いて熊野を通って学校にかよいました。バスが通るようになり、岡崎天王町まで電車がいくようになって、学生さんが丸太町通りを歩かなくなりました。それにつれて、古本屋がへりました。今は、うちをいれて四軒しかありません。今出川通りの方が古本屋は多くなっています。」》

平澤一『書物航游』(新泉社、一九九〇年)にみられる創造社(丸太町新道)藤原富長の未亡人の回想。

『全国主要都市古本店分布図集成 昭和十四年版』(雑誌愛好会、昭和14年5月)で丸太町の古本屋を見てみると、東大路から寺町にかけて、北側は、不識洞、一信堂、創造社、マキムラ、仙心洞、進文堂、丸三、細井、田中、狩野、古田、日ノ出、春正堂、麻田、佐々木、南側は、いく文、三書堂、翰林堂、マルヤ、堀田、吉田、国井、彙文堂である。

『全国主要都市古本店分布図集成 昭和十四年版』より
昭和14年版なので丸太町通りには電車が通っている

橋際というのだから、東詰めだとすれば、進文堂(北側)または吉田(南側)。西詰めなら丸三(北川)。これら三店のいずれかではないかと思われる。西詰め南側は立命館の建物だったはず。

それにしても立ち読みでダダの真髄を見抜いたのはさすが(?)。『ポエム』の長谷川泰子による回想にも《「これがダダの詩だよ」とノートを見せてくれたのです》(p42)とある通り、中也は古本屋で立ち読みして暗記したダダの詩をノートにつけていたかと思われる。

なお、大正12年4月に立命館中学へ転校したときの中也の住所は《上京区岡崎西福ノ川》(『中原中也の世界』中原中也記念館所収年譜)だから丸太町通を東大路を越えてもっと東へ進み平安神宮のところから吉田東通りを少し北へ入った東側である。丸太町橋際からだと1キロメートルほどの距離であろう。


『ユリイカ』第2巻第10号、植草甚一による扉

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