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菅田正昭離島論集〈共同体論〉


菅田正昭離島論集〈共同体論〉みずのわ出版 2024.01.30

『菅田正昭離島論集』の装幀を担当しました。初校ゲラのときに部分的に読ませてもらい、その感触から、古い地図の島の部分だけを取り出して大きく拡大して模様として使ってみました。タイトル文字を大きくタテ一行というのは最近の傾向からすると古臭いかもしれません。しかし論調からして少し古いタイプのデザインが似合うような気がしたのです。文字の色も小生の持つ島のイメージで深い緑に。島の模様は一種類だけなのですが、それをジャケット・表紙・扉の三箇所に変化をつけて配置しました。いい感じに仕上がったと思います。

表紙

今、本になったのを改めて面白く読んでいます。言葉を掘り下げて解釈するということは多くの先人が行なってきましたが、島という主題に絞った菅田氏の論考は非常にエキサイティングです。ごく一部だけ引用してみましょう。ウミとシマの語源考察のくだりです。

〈うみ〉の語源は「オホ(大)ミ(水)」である。すなわち、〔ohomi〕→〔ohmi〕→〔oumi〕と変化し、さらに〔o〕の音韻部分が脱落したのものである。近江をオウミ、遠江をトオトウミ(トホタフミ)と訓むのは、都から見て「近つ淡海」(琵琶湖)ー「遠つ淡海」(浜名湖)という距離感に発している。

p23

古代人は〈湖〉も〈うみ〉としていたそうですけれども、その意味するところは

その広さ、大きさを認識できる範囲内のオホミを、古代人は〈うみ〉と呼んでいた、と想像することができる。いいかえれば、自分たちの生活と密接に結びついた〈大いなる水辺〉=オホミの範囲を〈うみ〉として捉えてていた、ということになるだろう。

p24

では大海を何と呼んでいたのか? それは〈あま〉です。これは天と海との両儀を持っています。そして、山(ヤマ)と天(アマ)がはっきり区別されていたにもかかわらず、天と海の区別は曖昧でした。

いいかえれば海(アマ)は天(アマ)の一部であり、シマ(島)はこの〈アマ〉の霊性に包まれた聖空間だったということができる。というよりも、上古=神代の昔には、〈アマ〉はあっても〈海〉はなかった、といっても過言ではないのである。

p25

イザナギとイザナミによる「国土生み」神話は実際には「島々の生成」であり本当は〈島生み〉神話というべきで、『古事記』本文冒頭のこのくだりには「海」は出てきません。

要するに、〈島々〉は〈海〉には誕生していないのである。大八島もその周辺の島々も〈天〉と〈海〉とが渾然とした〈アマ〉に発生しているのである。神話の世界は現代人の時空構造とは違うのである。〈島々〉の出自は、どちらかといえば、アマとしての〈天〉にあるといえようか。

p27

さらに島(シマ)とは何かについても示唆に富む記述が続きます。まず「マ」とはアマ(天・海)、ヤマ(山)、シマ(島・縞)、イマ(今・居間)に共通する「間」(空間性)を意味するそうです。

さて、このような「時間」と「空間」の「間」が、最も象徴的に現出している「場」がシマ(島)である。シマのマは、この〈間〉である。それでは、シマのシのほうには、どういう意味があるのであろうか。

p40

以前の著者はシボム、シジム(チヂム)、シボルの義をもつ「シ」を考えていたそうです。〈圧縮された小さな間=場所〉という語感があると。しかし今世紀になってからはシクの語幹のシで考えるようになったとおっしゃいます。「敷く・布く」および「頻く」。そうするとシマは

〈アマ(海)が一面に広がっている、続いている〉間の中の、ところどころポツンと存在している場ということになる。

p40

この説が妥当かどうかについては議論のあるところかもしれませんが、言葉の世界はなんとも広く深い海のようなところだなあと感嘆しながら、読み進めています。

菅田正昭離島論集〈共同体論〉
2024.01.30 初版第一刷発行

四六判 糸篝上製本 扉共紙216頁
+B5ペラもの(ミカンバエ防除に関する説明書)2丁づけ(1°/1°本文用紙8頁分)

装幀 林哲夫
発行 みずのわ出版
https://www.facebook.com/Mizunowashuppan
印刷 ㈱山田写真製版所
製本 ㈱渋谷文泉閣
プリンティングディレクション 黒田典孝(㈱山田写真製版所)

[用紙/刷色]
カバー 竹はだGA 四六判Y目 110kg K+DIC389/2°
表紙 モデラトーンGA ナチュラル 四六判Y目 90kg K/1°
見返 モデラトーンGA ナチュラル 四六判Y目 135kg
本文 ラフクリーム琥珀四六判Y目66.5 kg K/1°
花布 A46
スピン A13

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