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もし「お金持ち」だったらこれを辞めるだろうか。でも実はそれがあることに支えられているのかもしれない。

仮に「お金もち」になった自分はこの仕事を辞めるだろうか?
追い詰められていないから仕事を選べるようになるのは確か。

でも「お金もちだったら辞めるのに」と思って働くのは自分から仕事を「その程度」に腐らせている、とも言える。
自分はそんな人間なんだと自らを貶めている。魂を腐らせているとも言える。

お金の多少に関わらず働きたいと思える仕事や働き方をしたい、やっぱりそういうことになる。
お金のことを忘れられるのが一番だと思っている。

低賃金とか引越しとか労働環境とか子育てとか離職の理由は色々あって、そういった要因に勝てなかった・負けたということでもある。
もちろんダメということではなく、そういう風にも言えるということ。

「お金もちだったら家事をしなくて済むのに」も同じだ。できればせずに済ませたいのだろうか。
でも外注または機械化して生まれたその時間で何をするか。
その隙間時間で実際やりたいことが無ければ、暇という地獄にハマることになる。
時間がほしいと言って働き続けて、退職してみたら時間地獄に陥るのと同じ。

「お金があればこれをしなくて済むのにな」ということはある。でも実は今の自分はそれがあることに支えられているのかもしれない。

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お読みいただきありがとうございます。

毎日の日記の中から一部を抜き出して、こちらに載せています。

明るい考えも暗い気分も、毎日なにかあって、日々とはすごいものですね。それをちゃんと受け取りたいなと思います。

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