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1983年5月9日 〜 ソ連の対ナチスドイツ戦勝記念日当日, 首都モスクワにいたのだった

今般のロシアによるウクライナ侵略により, 今日 2022年5月9日, すなわち今年のロシアの対ナチスドイツ戦勝記念日が, 例年のそれ以上に世界の注目を浴びている。要は今日プーチンが何を言うか, その内容によりこの戦争の今後の成り行きを占う, もしくは検討できる可能性があるからなのだが。

ロシアのウクライナ侵略は何によっても正当化することができず, ロシア軍が即刻ウクライナの領土から撤退すべきであることは論を待たないのだが, 本 note はそれについて書こうとするものではなく(関連事項は本 note 最終章・付録), ただ単に, 39年前の今日, となれば当然「ロシアの」ではなく, 当時のソ連の対ナチスドイツ戦勝記念日当日に, 筆者はソ連の首都モスクワにいて, 群衆で埋まる「赤の広場」を目撃していた, その「記念」note を今日投稿しておこうと思ったまで。

と言っても当時のことに関しては昨年の昨日 2021年5月8日に note 投稿していて, とりあえず次章でその note へのリンクを貼っておしまいにしそうな気配。なんだ, 手抜きか。 .. というか, 今日ちょっと用事があって時間がなくなった。そういうわけで!

シベリア鉄道の旅して着いたソ連, モスクワ 〜 1983年5月8, 9, 10日

筆者は 1983年から1984年にかけて, 22-23歳の時に当時の ソ連, そして ヨーロッパ, 中東(日本から見るなら本来は 西アジア, 国名を挙げるとトルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプト, 再びトルコ, そしてイラン), そのほかアジア 各国(中東のイメージもあるけれどパキスタン, そしてインド・タイ・韓国)を, バックパック一つ担いで旅していた。ただ, 当時の ソ連 は一人旅が容易でなく, というか, 外国人旅行者が単独行動で自由に歩き回れる国ではなく却ってロシア人ガイド付きの所謂パッケージツアー(日程は決められているが自由時間はかなり多かった)の方がむしろ多くを見ることができるという時代だったので, 横浜港からのフェリー(横浜・ナホトカ間 2泊3日の船旅)で日本を発ち, シベリア鉄道など利用して(途中イルクーツクに 1泊し, 列車に乗っていたのは合わせて 1週間強)モスクワに着きモスクワを発って筆者個人の次の目的地フィンランドに向かうまでの間は 27, 8人ほど(半分は日本人, 残り半分は主として欧米諸国出身の外国人)の規模の団体旅行だった。

以下, 上の本章見出しの通りのタイトルで昨年投稿した note の目次, および当該 note へのリンク。

因みに, 第2章に掲載した当時の旅日記殴り書きメモにある通りでなんとなぜかフィルム2本目を他人に入れてもらっていてそれが失敗していて折角撮った肝心の 5月9日つまり対ナチスドイツ戦勝記念日当日の写真が全てボツ。だが当日の様子は旅日記にある程度記録されており, また翌 5月10日に「赤の広場」等で撮った写真を見ると, ある種のお祭りのような戦勝記念日の次の日も人手がそれなりに多く, 勲章をワンサカ両胸にぶら下げたかつての赤軍兵士(1983年当時はもちろん既にお爺さん)が孫を連れて広場にやって来ていた様子などもわかる。

目次
1. Back in the U.S.S.R.
2. モスクワ旅日記, 殴り書き
3. モスクワで撮った写真の中から, ちょっと選んで 22枚
4. ユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行 〜 最初の国「ソ連」のモスクワに辿り着くまでの話
5. 付録 1) 〜 フォーク, ロック, ソウル, ジャズなどから, 列車の旅に絡む歌を選曲 ♫
6. 付録 2) 〜 シベリア鉄道の旅 38周年記念, ロシア民謡を歌って踊って楽しむ, の巻 ♫

モスクワ に辿り着くまで 〜 横浜 から ナホトカ へ, ハバロフスク からは シベリア鉄道 の旅, 途中 バイカル湖 のある イルクーツク で下車して 1泊, そして再び シベリア鉄道 で モスクワ へ

1) 序章

1979年4月に大学入学のため, 同年3月下旬(流石に日は憶えてない), 北海道は札幌市に移住(以下の note は 3, 4年時の1981-82年の話題が中心),

大学1年の時からのバイトで貯めてきた旅行資金が 4年の秋, 1982年秋にようやく目標額 100万円に達し(当時は 1USドル = 約250円の時代だったから約4,000ドル), そこで一念発起(って心を入れ換えたのか, 笑), 大学4年の後期は意図して単位の一部を翌年度以降に残すべく調整し計画「留年」すると共に大学に休学を申請して許可を得, 1983年3月初めには札幌のアパートを一旦引きはらって静岡県の故郷に戻り(以下リンク先 note は, ユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅に旅立つ前に読んだ本, 帰国後に読んだ本, そして旅立つ前に聴いていた曲について),

2) 横浜港からのフェリー  日本を発って,

1983年4月26日 ユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行への出発(横浜 から船で ソ連, 今のロシアの ナホトカ へ) 38周年 〜 "Every Picture Tells a Story" (Rod Stewart): 歌詞和訳

1983年4月26日, 39年後の2022年の同日と同じ火曜 〜 ユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅へ出発, 横浜港 からの船で向かった先は当時の ソ連, 今のロシア!

3) ソ連 「探訪」 〜 1983年4月28日・ナホトカ, 29日・ハバロフスク

4) シベリア鉄道 の旅 〜 ソ連 「探訪」: 1983年4月30日, 5月1日・2日

*第3章に掲載の旅日記には, モスクワまでの旅程が一緒だったオーストラリア人は「おやじ or 両親が戦後ソ連を出てきたらしい。おばさんがソ連のオデッサにいる。戦争に関しての重たいものをかかえてる人は多いのだろう」との記述がある。当時の日記に筆者は「ソ連のオデッサ」と書いているわけだけど, 確かにオデーサ(最近ある意味ようやく日本における「オデッサ」の表記はウクライナ語に従うかたちで「オデーサ」になった)は当時は ソヴィエト社会主義共和国連邦 オデッサ, しかしより具体的に書くのなら, 当時あの都市は ソ連邦 を構成する共和国の一つであった ウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国 の オデッサ州の州都だった。

5) シベリア鉄道「途中下車」イルクーツク 〜 ロシア人少年少女に声かけられフリスビー、彼らの中学校に招待された1983年5月3日, 4日(もちろん当時はソ連!)

6) 番外編

シベリア鉄道「列車の旅」の最中だったから 〜 列車が絡む歌の数々 ♫

シベリア鉄道 の)列車内で酔いどれロシア人と一緒に歌ったロシア民謡 ♫

7) 前章でリンクを貼った モスクワ 旅 note 〜 シベリア鉄道 の旅して着いた ソ連, モスクワ 〜 1983年5月8, 9, 10日

ビートルズ "Back in the U.S.S.R." を聴いてソ連の歴史を齧った後 〜 パロられたチャック・ベリー "Back in the U.S.A.", ビーチ・ボーイズ "California Girls" も聴いてしまう ♫

なんだなんだ, 今日の note, やっぱ「リンク集」然としてしまった ♫

兎にも角にも 〜 "Back in the U.S.S.R." 〜 written by Paul McCartney, and included as the first track on the Beatles' 1968 self-titled double album known as the "White Album", released on November 22, 1968

詳しくは上掲リンク先 note にて ♫

付録 〜 ロシア のウクライナ侵略は非, 即刻撤退すべき, だが一方で, アメリカ合州国 のそれほど巨大で醜悪な 偽善とダブルスタンダード は 他にあるだろうか?

ほんと, 今日は自分の関連 note リンク集になってしまった。以上!


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