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ライン下りして 「ローレライ」, 1983年6月18日 〜 Take Me to the River (アル・グリーン, トーキング・ヘッズ, アニー・レノックス)♫

ライン下りは本 note 第3章。その前は振り返り。ライン下りの後は BGM, 「ローレライ」とタイトルに入れた「川に連れてってくれ」Stop Making Sense 込みで4ヴァージョン♫

1983年4月26日の横浜港でスタートしたユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅, ここまでを振り返る

1) 以下 "ケルン note" の第1章「1983年4月26日に日本を発ってから, ベルリンまで(ソ連, フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク, 西ドイツ, 東ドイツは東ベルリンのみ)」に, そこまでの全行程 notes それそれへのリンクが入っていて, 西ドイツ・ケルンはこの note 投稿そのもの。 

2) 1983年6月2日ドイツ(あらためて, 当時は「ベルリンの壁」崩壊前の西ドイツ!)のケルンで乗った夜行列車で, フランス・パリに翌6月3日早朝着。その後のパリとヴェルサイユの10日間は, 以下の note の第4章「刺激的なフランス旅行 1983」の中に 7 notes それぞれへのリンク。

3) フランスの次はスイス。ジュネーヴとツェルマット。

4) スイスから, フランスの前に滞在してたドイツ, 当時の西ドイツに戻って, まずはハイデルベルク。もう一つはおまけ, "ハイデルベルク note" に「サンディニスタ民族解放戦線」のニカラグアへのアメリカ合州国の介入に反対する若者たちの運動を見たことを書き, それでクラッシュの1980年のアルバム「サンディニスタ!」を取り上げてクラッシュ聴いてたら, その後ポリスを聴きたくなったという音楽夜話。

フランクフルト, 西ドイツ 〜 1983年6月17日

旅日記によると, 前日泊まったハイデルベルクのユースホステルを出る際, 当時はまだ海外で会う外国人としてはそこそこ珍しかった韓国人と会っている。とはいえこの旅で既に何人か目で, それまで全員, 留学生か企業研修生, この日の彼もドイツでトレーニング中かなと書いてる。

以前も書いたが, ソ連は別として, ヨーロッパではユースホステルに泊まることが多かった。中東・アジアには超安宿がいくらでもあったが(今もそうだろう), ヨーロッパではパリのような「観光」大都市やその他, イタリア, ギリシャなどの南欧の観光立国となるとやはり安宿は十分見つけられるのだが, 他の多くの国・都市では結局ユースホステルが一番安く滞在できる宿である場合がほとんど。それでもユースばかりじゃつまらないので他の極力安い普通の宿に泊まったり, 知り合った現地に住む人の家に泊めてもらったり, あるいは野宿したこともあったけれど(ベオグラード!)。

ハイデルベルクから出て向かった次の行き先, フランクフルトでは, 再びユースホステルに泊まった。この日の旅日記には「同室にスリランカで5ヶ月勉強してたというアメリカ人。妹(か姉)がイスラエルにいるそうで, これから行くとのこと。ユダヤ人だろうか」と記されているのだが, こういうことは旅先で結構あった。スリランカで勉強してた, という前段ではなくて, 家族がイスラエルにいる, イスラエルに行くという人。彼の地では1948年のイスラエル「建国」前に住んでいたパレスチナ人(同地域のアラブ系住民)たちとその子孫, そういった難民の帰還は否定されている一方で, ユダヤ人であれば自身が生まれ育った場所ではなくても親も祖父母も住んだことがないのであっても, 移住してその地の「市民」になることができる。

さてその日の夜, これも旅日記に書いてあることで, 街でビールを飲んだ。ドイツと言えば, やっぱアルコールはまずはビールかな。どういうわけか店の男が上機嫌で, ビールを一杯(さすがに沢山の意の「いっぱい」でなく文字通りの一杯!)奢ってくれた。そのドイツ人, 日本語は「どうも」と「カミカゼ」だけ知っていたのだが, 「どうも」はともかく「カミカゼ」はなぁ.. 。第二次世界大戦終戦(ドイツと日本にとっては「敗戦」)後38年, 世界から見た日本のイメージにはまだ何か古いものが残っていたというわけだ。今年2021年はあれから更に38年が経過した, 戦後76年。今の日本はどうなのかね?

ライン下りして 「ローレライ」 〜 1983年6月18日(写真4枚+α)

当時の旅日記によれば, 朝, フランクフルトからマインツへ。そして,

マインツ 〜 コブレンツのライン下り, 城やローレライを見る。

というわけで, ローレライを詩にしたのは ハインリヒ・ハイネ(Christian Johann Heinrich Heine, 1797年12月13日生まれ, 1856年2月17日他界)。そう言えば中学生の時, ゲーテの詩集とともにハイネの詩集も読んだ。ませガキだったものの一方で「文学少年」みたいなものには程遠い日々だったから(要するにいわゆる「読書家」ではなかった), ちょっとカッコつけてみたという感じも強かったかもしれない。先日の "ハイデルベルク note" の「ハイデルベルク 旧市街」の章のところにも書いたように, 

そのころ読んだ本だとフランスのジッド, 当時はジイドと表記されていたけれど, アンドレ・ジッドの「狭き門」の方が印象に残ってる, 何しろ最後の一文いまでも言える, 「ランプを持って女中が入ってきた。」

またまた話が坂上二郎してしまった, 「飛びます, 飛びます」。ここはローレライ, ライン下りの話!

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LORELEY の次に見えてきたのがナンと! ナンはナンでもインドの美味しいパン, ナンではなくて「ローレライ」ではないか。しかも, 「イ」の字がちょっとおかしい。正直, ここでカタカナを見た時は興醒めしたけれど, この種の日本語表記はヨーロッパの其処彼処で見た。あの当時は日本経済が「飛ぶ鳥を落とす勢い」, に見えていた時代, 今だと日本語よりも韓国のハングル, あるいは中国の中国語の漢字の方が多かったりして。21世紀の今, 日本は凋落の一途だからなぁ。

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「ローレライ」, 歌でも歌いましょうか ♫

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この船に乗っていた。そりゃそうだ, だからこれを撮っている(笑)。

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俺, ローレライ像を撮ってなかったのかよ(笑), しゃーない, デンマーク・コペンハーゲンの人魚姫の像なら以下 note の第2章に載せた写真9枚のうちの3枚!

あれはコペンの話, もう本当「しゃーない」のでネットから拝借のローレライ像

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さてさて, 帰り, またコブレンツからフランクフルトに戻るんだけど, 当日の旅日記によると(以下にそのまま転載, 一箇所のみ注釈つき), 

乗りかえ忘れてマンハイムに行ってしまい, そこでフランクフルト行きに乗って, コンパートメントで これからペルーへ行くというドイツ人学生と会う。USSR, USA, 中南米, 日独の学生のこと, 就職のことなど話した。中南米がずっと USA の庭(一応の note 注: 庭とは裏庭)になってるということなど 同意見だった。

これと似た体験は, 以下の "ハイデルベルク note" の第6章「サンディニスタ民族解放戦線」が懐かしい! 〜 ハイデルベルクで出遭った, ニカラグアへのアメリカの介入を批判・非難する西ドイツの若者たちの運動(写真2枚)

付け足し, 上掲の 1983年6月18日付 旅日記 の続き。

夕めしはマンハイム駅にて wurst, たぶん フランクフルト ソーセージ , パン付とビール。うまかった。
駅(フランクフルト)からカイザーStr 通って YH へ

というわけで, フランクフルトには 2泊している。 

ローレライ 〜 フリードリヒ・ジルヒャー作曲(1838) ♫

フリードリヒ・ジルヒャー(Phillipp Friedrich Silcher, 1789年6月27日生まれ, 1860年8月26日他界)は日本では特に歌曲「ローレライ」の作曲家として有名なドイツの作曲家。この歌の日本語訳詞は, いまググって調べたけれど近藤朔風(こんどう さくふう, 1880年[明治13年] 2月14日生まれ, 1915年[大正4年] 1月14日他界)という名の訳詞家によるもの。ウィキによれば「原詩に忠実な、歌い易い訳詞で、西欧歌曲への市民の耳を開いた。『泉に沿いて茂る菩提樹』・『なじかは知らねど心侘びて』・『わらべは見たり野中のばーら』などは、今も歌い継がれる」。なんとそうだったか, 名曲の数々の日本語訳詞を世に残した方だったようで。

ハインリヒ・ハイネ(Christian Johann Heinrich Heine, 1797年12月13日生まれ, 1856年2月17日他界)の詩は1827年, ジルヒャーによる作曲は1838年, これに近藤朔風が日本語の訳詞を付けたのは1909年, 明治42年だったそうで。

さぁ, ローレライを眺めながらライン下り, ドイツ語原詞と日本語訳詞の両方でこの歌を聴きましょう ♫

Take Me to the River 〜 アル・グリーン(1974) ♫

Take Me to the River 〜 from Al Green's eighth album "Al Green Explores Your Mind" ♫

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

Take Me to the River 〜 トーキング・ヘッズ(1978) ♫

Take Me to the River 〜 from Talking Heads' second album "More Songs About Buildings and Food", released in July 1978, produced by Talking Heads and Brian Eno ♫

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

Take Me to the River 〜 トーキング・ヘッズ Stop Making Sense 1984 ♫

Take Me to the River 〜 from "Stop Making Sense", a live album by Talking Heads, the film "Stop Making Sense" shot over the course of four nights of their concerts in December 1983, directed by Jonathan Demme, both released in 1984 ♫

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

Take Me to the River 〜 アニー・レノックス(1995) ♫

Take Me to the River 〜 from "Medusa", the second solo album by Annie Lennox, released in March 1995 ♫

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

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