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悲しみにくれる時には

産後メンタル不調を起こしている親友に会ってきた。彼女は出産後眠れなくなってしまい、精神的にすごく落ちている。私もハタチの頃、とある出来事がきっかけで不眠症になり、眠れぬ日々を過ごし、メンタルバランスが崩れた経験があるので、彼女の辛さは痛いほどわかった。

彼女は私に会うなり涙をぽろぽろと流し、「もうずっとこのままだったらどうしようと考えちゃう。そうするとまた眠れなくなって、眠いのに眠れなくて、寝れた頃に戻りたい…」と。

私たちは15歳の頃に出会って、彼女を知ってからかれこれ18年ほど経つけれど、私が彼女の前で泣いたことはあっても、彼女が泣いたところは見たことがない。彼女は私が凹んでいた時も、いつだって面白おかしく笑いに変えてくれたし、出産する2週間前に会った私たちはくだらないことでお腹が痛くなるほど笑い合った。

そんな彼女がポロポロと涙を流して、不安と悲しみにくれている姿を前に、私にできることといったら彼女を抱きしめて「辛いね。大丈夫だよ」と囁くくらいで、胸がひきさかれる思いだった。

私たちは小学生のように、手を繋いで歩いた。

出産で受ける身体的ダメージは、富士山を連続二回登り降りするほどだと聞いたことがある。目には見えないけれど、身体の中は出産そのものを終えても、すごくダメージを受けている。それくらい出産という行為は大きな出来事なのだ。

世の中にはダメージを受けた後も動ける人もいるけれど、動けなくなる人がいたってなんのおかしなことではない。インフルエンザにかかる人もいれば、かからない人もいるように、その人が悪いからどうこうなるような問題ではないのだ。

「あなたがどこかおかしくてこうなったわけでは絶対にないよ。今はただ身体がものすごく疲れていて、ホルモンの変化がとても激しくて、眠れなくなっているだけだよ。なんの罪悪感も持つ必要はないからね。ゆっくり休んで、睡眠導入剤を飲んでたっぷり眠って、少しずつかもしれないけど絶対に回復していくから大丈夫だからね」私は彼女にそう伝えた。

私が不眠に苛まれていた時に出会った心療内科の先生がこう言っていた。

「眠れなかった日数と同じ分だけ、ただただ眠って過ごしなさい。なんの罪悪感も持つ必要はないよ。人間には睡眠が必要なんだから。同じ分だけ眠ったら、徐々に回復していくよ。だから大丈夫」と。

私はその言葉を信じて、二週間大学も行かず昼も夜もただひたすら眠り、起きて何かを少し口にしてはまた眠る、を繰り返した。すると確かに少しずつ回復していき、日常生活をまた送れるようになった。その後数年間はメンタルが不安定になることもあったけれど、今では日々幸せを実感して生きることができている。

あの頃はとても辛かったし、生きていて幸せだと思うことなどできるのだろうかと絶望に明け暮れていたけれど、あの経験をしたことで私は誰にでも突然メンタル不調が訪れることがあると知れた。それを知ったことで、勝気で傲慢だった私は世界を優しく見ることができるようになった気がする。

親友にあったその日に、私は彼女に手紙を書いた。事情を話したら、長女も書きたいと言ってきて、二人でそれぞれに手紙を書いた。

彼女が大好きだということ。彼女の存在にどれだけ私は助けられてきたかということ。たとえ彼女が悲しみや不安にくれていても、私が彼女を好きな気持ちは変わらないこと。

人は不安や悲しみに支配されると、自分にはもう先なんてないんじゃないかと思ってしまう。旦那や親であっても痛みや苦しみは共有しきれないし、自身が苦しい時にそうした近しい人たちが理解してくれないと、孤独感を強めてしまう。

そんな気がするからこそ、思いを伝えずにはいられなかった。手紙が届くと、彼女は泣いて電話をしてきて「まりちゃんありがとう。枕の下に敷いて過ごすね」と伝えてくれた。

悲しみと苦しみの渦中にいると、自分では大丈夫だと思えない。大丈夫の根拠が1ミリも見えてこないし、大丈夫じゃない想定ばかりが次から次へと襲ってくる。そういう状態の時は、TVだって見れないし、音楽だって聞けないし、本だって読めない。

ただただ絶望感で頭がいっぱいになってしまう。それでも大丈夫だと思うには、「昨日も生きられたし、今日も生きられた。だから明日もきっと生きられる」と思うしかない。

それを自身で思うのは時にすごく困難なことだけれど、だからこそ「大丈夫だよ」と伝え続けたい。

書けども書けども満足いく文章とは程遠く、凹みそうになりますが、お読みいただけたことが何よりも嬉しいです(;;)