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いと うつくしきもの

そうそう、わたしたち寺井家に
天使なニューカマーが舞い降りた。
山陰柴犬の令名(れいな)は、2歳・女子。
11月に引き取って以来、もう1ヶ月が経つ。

とても利口で、とても優しい。
前の飼い主には、本当によく育てていただいたのだろう。

はじめは借りてきた猫のようなおとなしさだったのだけれど、環境に慣れてきたのか、活発でお転婆な側面も見えてきた。

朝の散歩では、夜中野生動物が通路に使ったであろう側溝のにおいを嗅ぐのに余念がないし
モグラの通った跡を見つければ、気が済むまで掘り返す。
今日は、私のポケットティッシュをわざと奪い、遊びに誘ってきた。

よしよし、いいぞ。
畜生はそうであれ!

それでもやはり、ヒトの顔色を本当によく見ているし、観察力がすごい。
うちにきて3日目には、主人が変わったことを把握して受け入れていた(ように見えた)し
いまでもたまに前の飼い主が訪ねてくることがあるけれど、私たち現主人に気を遣ってくれているのか、もう甘えるようなことはしない。
(前飼い主はそれが寂しすぎて涙を流しながら帰ってゆくので、ちよっと可哀想なのだけれど)
前飼い主は「もうワのことは忘れとるわい」と言うが、こんな利口なイヌが、赤ん坊の頃から実の娘以上のように可愛がってくれたヒトのことを、忘れるわけがない。
むしろ普段よりも現主人への甘えん坊具合が増すのを見ると、やっぱり、気を遣っているとしか思えない。たぶん前飼い主にも。
「あたしはココで元気でやってるよ、安心してね」
とでも伝えてるようにしか、見えない。
なんて健気なんだろうか。

いきをのむうつくしさ(親馬鹿)

この優しさが、イヌがただの畜生ではなく、伴侶動物の所以のひとつなのだろう。

しらんけど。

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