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本質をつかむとはどういうことなのか?

芸大で思いで深い授業の1つに「平面基礎(後半)」があります。どのような授業かといえばフロッタージュ(凸凹のあるものの上に紙をおいて鉛筆などでこすって模様をつける技法)やコラージュ(素材を貼り付けて表現する技法)などの絵画技法を学ぶというもので内容自体は変哲のないものでした。

なんとなくのフロッタージュ

初日はフロッタージュの技法を用いて、自由に表現しましょうというお題だったように思います。そこで、なんでも二項対立で考える世の中に対して、無の大切さを伝えたいとなんとなく思い、赴くままに、教室の床や屋外でのテーブルで型取りして、中心のみ、鉛筆で擦らない作品としました。

なんとなくフロッタージュしてみた(笑)

コラージュに打ちのめされる

二日目のお題はコラージュで「日々」を表現しましょうということで、初日の帰りしなにお題が出されて、家に帰ってから素材をいろいろと集めて、翌日に作品を制作するというものでした。
「日々」なんで仕事関係のものとか、家族との関わりや趣味の絵画鑑賞とか、主に写真などをいろいろと集めてみた感じです。

「日々」

とりあえず、「日々」は情報過多だなと思っていたので、新聞を貼り付け、さらにエリアを3つに分けようと思い、上部は家族関係、左下は仕事関係、右下は趣味関係として、それぞれの領域をつなぐものもバランスよく貼り付けていきます。そして、最後にコロナは外せないだろうということで、日常を大きく変えてしまったコロナウィルスとマスクで表現してみました。実際に作業をしていると、なんか中学生の工作のようでなかなか楽しかったのですが、一日の作業が終わり、受講生20名ぐらいで講評をしたときに打ちのめされるのでした。

みんな、絵の具なども使い、結構、抽象的に描いて、絵画作品にしていたのでした。なかには具象的な表現をしている人もいましたが、すごく打ちのめされた気分となりました。。。

そうか、アートとは表現なのかと。途中で気づけば良かったのですが、今思うと途中で中途半端に気づかなくて良かったと思います(笑)

三日目のお題は、自由に描いて良いということでしたので、二日目と同じお題「コラージュ技法を使い「日々」の表現」にリベンジすることとしました。

お題「日々」のリベンジ

うーうーと唸ってみたところで、アイディアなんて出ません。。。とりあえず、論理的に考えるということで、「日々」を表現するために、本質的なものとはなんだろうと考えてみます。「日々」を構成する要素をとりあえず列挙してみます。

家族、仕事、趣味、コロナ、・・・、情報、ネットワーク、つながり、・・・、うーうーって感じ。

そのなかで1つのコンセプトとして、「つながり=ネットワーク」が頭の中で強くなっていきます。確かに、仕事も家族も趣味もすべてつながりのなかにあるし、すべてなんらかの関係性において成立しているなーって感じです。

それをコロナは一時的にも大きく分断してしまったのではないかと思い、これは社会問題を提起するにも良いのではないかと思いが深まっていきます。

B3サイズのイラストボードに作成していったのですが、情報過多を表現するために新聞紙を相変わらず貼り付けていき、その上にアクリル絵の具で青を中心として彩色していきます。赤、黄、緑、白といった色も感覚的に加えていきます。時間の概念を入れたかったので、写真のネガがぼやけるような感じで表現しつつ、新聞紙を一部剥がして、情報が溢れている様を表現してみました。なんか良い感じで、SDGsの記事とか出ているし(笑)新聞紙を何重にも貼っておけば良かったのですが、その貼りがあまく、あまりビリビリにできなかったのは残念でした。。。
ネットワークを表現するために、使えなくなったLANケーブル、USJのパスポートについていた紐(オレンジ色)や食品スーパーの紙袋の手提げ部分や毛糸などを貼り付けていきます。そして、最後に、マスクに絵の具を染みこませて、中心にスタンプして分断を表現してみました。最後に黒の絵の具を振って飛ばしたのですが、コロナウィルスのイメージです。

リベンジした「日々」

同じテーマでのリベンジだったのですが、こちらの方は非常に満足いくものになりました^^まあ、鑑賞者にどこまで伝わったのかは分からないのですが、なんか黒のが毒々しい感じがします。講評の際に、黒の帯は車の轍か?とも言われましたが、なんとなくイメージは伝わっているようです。

抽象絵画ってなんか分からんものなのか?

2つの作品を比べると、前者の写真を主体としたものは、これは日常生活を表現したものであると解釈しやすいと思います。すごく直接的な表現ですから。しかし、それ以上の解釈ができるかと言えば、なかなか難しいのではないでしょうか。なんせ、具体的に表現しているために、解釈の幅が狭いためです。また、何か強いメッセージが伝わってくるかと言えば、微妙ではないでしょうか。

一方、抽象化した作品ではどうでしょうか。車の轍か?と言われたように、何か毒々しい感じがするでしょうし、なんか複雑性も感じられるのではないでしょうか。鑑賞した人が10名いたとしたら、これは明るい楽しい絵とは思わないと思いますが、写真のようにこれだという解釈にもならないと思います。このように解釈の幅が広がることが抽象化の効果だと考えています。

「本質」とは何か?

物事の本質は何かということを考えたときに、それは写真などの表面上に現れているものではないと考えています。何か、五感で感じるものではないかと思います。そのため、顕在化している現象を一度、抽象化する作業が必要ではないかと強く考えています。
そして、その抽象化されたものを感じる、もしくは、複数の鑑賞者で講評するなかで明らかになってくるもので、案外、作家自体も気づいていないことが本質的なことが浮かび上がってくるものではないかと思います。
まず、絵画を観た印象を端的に表現してみるとか、複数人数で鑑賞し合うとか、表題(今回だと「日々」)からイメージを膨らませるとか。
良い抽象絵画ほど、そこから与える印象がシャープなのではないかと思っています。

「本質」とは何かの解にはなっていませんが、「本質」とは「表層的なもの」「具象的に表現されたもの」ではなく、「内在するもの」であるということは確かだと思います。

「本質」の突き止めるステップ(仮)

1.物事(現象)を構成する要素を因数分解していく

2.要素のなかでコンセプト(核)となる要素を取り出す

3.コンセプト(核)をどのように表現したら良いのかを考える

4.コンセプトを中心とした絵画を作成していく。解釈の幅を広げらるような構図が望ましい

5.完成した絵画を鑑賞するなかで、抽象絵画であれば解釈の幅が広がり、幅広い議論ができる

6.議論のなかから本質的な解釈が生じるのではないかと思う

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