大丈夫しょうこの大丈夫な部屋

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しょうこ 毎日のこと、結婚や家庭についての想いを綴ります yujiさんのグレコンサイトで4ハウス担当してます https://12gc.xyz/

最近の記事

寂しい気持ち

自分で自分のご機嫌を取ったり 気持ちの整理したり 人として、大人として とても大切なスキル でも どうしても寂しくて 涙が出る日もあれば 心の繋がりを求めたくなる日もある 不安の原因が分かっていても そこを解決するのではなく 上辺の寂しさを解消したくなる それでは振り出しに戻るだけと気が付き、 また歩み始める 色んな気持ちを味わいながら 人生は一歩ずつ前に進んでゆく

    • 心配をかけない

      心配をかけたくなくて 連絡したり 元気な姿を見せたり 心配かけないための言葉を伝えたりする でも、心配ポイントは人それぞれ こちらが心配かけないように取った行動が、相手にとって心配の払拭に繋がるか分からない こうして考えていくと、「心配をかけない」「心配をかけたくない」と思う気持ちは、相手のためではなく、自分のためだと気付く

      • 決断力

        決断力を問われるシーンは 誰にでもある 人は毎日、何かしらの決断をしている 何を食べよう、何を飲もう 結婚のような、その後の人生が 大きく変わる決断には迷いや悩みが つきまとう どれほど大きな決断をしても 決断した後の私を見て 何が大きく変わったのか 誰にも分からない 人はなぜ悩むのか 後悔したくないから悩み、 ありとあらゆる選択肢を考え、 横に並べたり優先順位を つけたりしながら決断していく 人生は思い通りにはいかず、 人も思い通りにはいかない 自分自身の気持ちで

        • 「分かった」は分かった?

          分かった とても使い勝手の良い言葉 納得して、理解したとき 納得いかないけど、理解はできるとき 他に返事が見つからないときも 分かった、その言葉で終わらせてしまうこともある 分かったは、 心の中から出る言葉ではなく、 頭の中から出てくる言葉のように思えた

          待つということ

          哲学者 鷲田清一さんの「「待つ」ということ」が好きだった。 待つ時間は嫌いじゃない 渋滞も入店の待ち時間にもイライラしない でも、先が見えない待つことには不安を感じる 受験や試験結果を待つ時間も不安を感じるが、 期日がくる。嫌でも結果が分かる日が訪れる。 待ちたくて待っていても いつまで待てばよいかわからず 先も見えない時間はとても長い 待つということが終わるのは 自ら待つのを止めるか 待ってる事柄に結論が出るか それが決められないうちは いつまでも待つしかないと

          年月と関係性

          知り合ってから月日が経てば経つほど お互いをよく知り仲が深まる 気の合う友人や恋人、家族 月日の長さと、仲の良さや関係性の深さは 比例するのか? 私はしないと思う 短くても深く知り合える人もいれば、 家族でも実はよく知らない家族もいる そして、マンネリ化や新鮮さ、というのもある。 私には、マンネリ化とは、 もうこれ以上、深まることのない 相手を知ることが無いという感じが してしまう。 長く一緒に過ごした人でも、 まだまだ知らない一面がある、 もっと知りたいと思えば

          相手は自分の写し鏡

          相手は自分の写し鏡 婚活の現場でも、よく起こります 起こるという表現は違うかもしれませんが、 よく見受けられます お相手の表情がこわばってて楽しくなさそうだった ↔︎こちらもガチガチに緊張していた 自分への興味関心が無さそうに感じた ↔︎こちらも自分の話をしてない 必要以上に相手の反応を気にしてはいけないけど、 時には鏡に写る自分を見つめてみたい

          同じ未来を思い描く

          結婚は二人で未来を思い描くこと 結婚じゃなくても、この先、長い人生を共に歩もうと誓い合う時も、二人で未来を思い描く 二人が思い描く未来は同じとは限らない 愛し合う二人は、相手も同じであってほしいと思うだろう でも、心も思考も目も、二人は違う だから同じ未来を思い描いているとは限らない 言葉を交わし合い同じように思えても、 全く同じではない だから人生は豊かだ 二人の人生が重なることで思いがけない色が生まれる 同じであることに期待するのではなく 一緒にいることで見え

          自分を出す怖さ

          昔は、運動も勉強も見た目も何もかも自信がなくて、自分を出せなかった。 だから人と関わりたくなかった。 そんな話を聞き、分かるなぁと思った。 人と関わり、言葉を交わしていくには、 自分とは何かを求められる。 自分の中にある自分なのに外に出せない。 自分の中にあるはずなのに、自分でも見えない。 意見を求められても、自分の意見なのか、 周囲に合わせた意見なのか分からないような答えしか出てこない。 そうそう自信は持てない。 でも、暗闇で見えなくても、間違いなく私は居る。 人

          本心ほど引き出しの奥底に

          自分の本心ほど引き出しの奥底にある 自分でも見ようとせずに過ごしていると、 何番目の棚だったかな? あちこち開けては見つからず 記憶をたどる 鍵がかかっていて、 さびついてる ますます見つからなくなる 心を大切にしていると言えばそうだけど 自分自身にさえ探されないのは、 心も寂しい 私は長年、自分の本心から目を背けてきた 本心を見つめているようで、 その目は他人だった 繊細で取り扱いが難しいから 大切に、誰にも触れられない場所に しまっておきたい気持ちもよく分かる

          本心ほど引き出しの奥底に

          自分へのアンコンシャスバイアス

          アンコンシャスバイアス 最近よく聞く言葉 アンコンシャスバイアスについて学び、心理的安全性の高い組織作りをする勉強会に参加した 女性らしさ、男性らしさ キャリア 恋愛結婚 様々な場面で色々なアンコンシャスバイアスが見られます 無意識の思い込みから発する言葉だから、無意識のうちに誰かに言ってしまうアンコンシャスバイアスの言葉 でも、誰かに対して言ってるだけじゃなくて 自分に対しても発してます 結婚後は家事をしっかりしたいから、結婚したら仕事はセーブします。 男性だから

          自分へのアンコンシャスバイアス

          帰りたくなる場所

          毎日帰りたくなる場所 落ち着く場所 疲れが癒される場所 家、自分の部屋、リビング そんな場所があると自分が自分でいられる でも、場所はカタチある場所だけではないかもしれないし、 自分だけの場所でもないかもしれない 毎月訪れる神社 近くの温泉 毎日の散歩コース 好きなカフェ 誰かのもと 一つとは限らず、たくさんあるかもしれないし、 無いかもしれない 子どもの頃は何となく決められた場所しか知らなかったけど、 自分で選び探し決めたり探したりできる今 それも自由の一つなの

          アホと言われたら

          アホと言われたら、どのように感じられますか? 私は何となくバカにしてるような気がして グサっときます。 でも関西にはアホは親しみを込めてアホと言う方がいらっしゃるそうです。 とても仲の良い知り合いに思い切って聞いてみました。よくアホと言われるから、、、 その方は、バカとアホは違っていて、バカは馬鹿にしたり見下す言葉だけど、 アホはどちらかというと、 アホほど◯◯とか、お前アホやなぁ、と 凄いと感じたりびっくりしたり、 相手を持ち上げるときに使ってるそうです。 と言って

          婚活はウォーリーを探せ

          私はよく婚活をウォーリーを探せに例えます ウォーリーを探せは、ウォーリーがどんな人なのか分かるから探せるけど、 自分にとってのウォーリーが、赤のしましまの服なのか、青なのか、緑なのか分からないまま探してるから、 いつまでも良い人がいない、自分に合う人がいないと婚活迷子になってしまいます これは、自分が相手を探す場面 でも、反対も同じです 自分は、どんな人で、どこにいて、何をしている人なのかを伝えないと探してもらえません。 お互いが、自分にとってのウォーリーを探し合っ

          私が私でいられる家

          1年前に引っ越してから、家で過ごす時間が好きになりました 私にとって家は心が整う場所であり、 自分に帰る場所 決して、ミニマリストでもないですし、 掃除も行き届いてないですが、、、 私も子どもも、のびのび好きなことをして、 話したいときに話をしたり、 歌いたいときは歌ったり 何気ない日常の幸せって、 こんな風に、無理せず作らず頑張らず、 ワガママにもなり過ぎず、 ただ、自然体で過ごせることなんだなぁ、と 感じます

          結婚のカタチ

          水瓶座新月の今朝、ここ数年を振り返ってみると、家族も家も仕事も考え方も大きく変わった ここ数年 当日の手帳には、挑戦したいことが書かれていて、 新しい結婚への出会い方を創っていきたい 結婚は制度やカタチにこだわらなくても良い 今も似たような想いを持ちながらご縁結びをしてますが、 当時はもっと、型にはまった考え方をしていました 「新しい出会い方」「制度にとらわれない」 言葉としては、今あるものにとらわれず、新しく形を変えていく、という意味では型にはまってないけれど、