適応障害で病んでる時に月曜から夜ふかしを見て人生が多少ましになった話

 先に言っておくが、この話は「これですごい適応障害良くなるのね!」ということではない。わたしはそういう本や記事に踊らされがちなので、念のためお伝えしておく。
 多少ましになった話だ。でも「多少」ましになったので、よければ見てほしい。

 適応障害ってなにそれ。
 診断書を見て思ったのはまずそれだ。
 なにかがおかしいと感じたのは、その診断書をもらう2ヶ月ほど前。
 椅子に座り続けることができなくなった。
 落ち着かなくてそわそわして、つい立ってしまう。そのまま周囲をぐるぐる歩いて、ふたたび椅子に座ると、今度はパソコンに集中できなくなった。とはいえ、もともと集中力も長続きしないほうだし、そんなことで仕事の手を止めていたら回らないと、その時は無視してやり続けた。
 だが、そうも言ってられなくなったのはその1ヶ月後。
 日曜日の夜になるとひたすらに涙が出てくるようになった。
 月曜日が来ることに対しての恐怖心だった。
 何時に起きて仕事を始めて、でもどうせ終わりはしない。なぜこんなに仕事が遅いんだろう。今期目標だって達成できていない。わたしは部署を移動したばっかりで、期待していると言われていたのに、成果を出せていなかったのだ。上司にもそこを指摘されている状態だった。
 考えはじめると止まらなかった。よく真っ暗なトンネルにいるようだ、なんて例えを聞くが、あれはガチでマジである。前を見ても後ろを見ても真っ暗。ただただ圧迫感とタールのような暗い気持ちが、心を満杯にしてしまう。
 こんなことは生まれて初めてだった。
 そしてさらに時が経つと、人との会話が困難になりはじめる。冷や汗が出て、落ち着かなくなるのだ。だんだんと人を避けるようになり、そのぶん自分ひとりで考える時間が増えていく。
 こうなるとだいたいネガティブな思考が加速する。
 案の定わたしはその罠にはまり、次の段階では日中でもぽろぽろ涙が出るようになった。理由はない。あえていうなら仕事のメールを見て、かもしれない。
 睡眠もうまく取れないし、ご飯も喉を通らなかった。あの当時はまったく食べる気がせず、周囲の人から「痩せすぎだ。どうしたんだ」と心配されるほどだった。多分体重もぎりぎり40いっていなかったかもしれない。
 もうこうなるといよいよやばいと、病院に駆け込んだわけだ。
 だがこの病院に駆け込めるまでが長い。きっと経験者の人はわかるだろう。まず、予約が空いている精神科や心療内科がない。調べてもなかなか出てこない。まるで自分が見捨てられたような、絶望的な気分にいたり、そんななかたったひとつの希望とばかりに出てきた公的機関の相談サービス。当時のわたしには、まるで地獄から見た蜘蛛の糸のように輝いていた。
 が、繋がらない。あの時ほど「いつでもご相談ください」なんてしぬほど役に立たない、クソの足しくらいにしかならないフレーズだと思った。しかもニュース番組やら記事やらでアピっておいてこれなのだ。当時はただただ自分はひとりだと泣いていたが、症状が改善し、怒りという感情を持てるいまのわたしだから言おう。
 回線くらいふやしとけなめてんのかクソが。
 わたしの怒りはここまでにして。
 この時のわたしはどうしたかと言えば、上に現状を相談して有休をもらい、とにかく泣き続けた。そして唯一予約が空いている心療内科を見つけ出し、そこに急いで予約したのだ。
 病院では、主治医に「ぶっちゃけいますぐ休んでほしいレベル」と言われた。面白い話である。上記の状態になっていながら、わたしはまだ「ちょっと調子が悪いだけで、薬をもらえば仕事は続けられる」と信じていたのだ。全然精神疾患のなんたるかを理解していなかった。そしてその時譲りもしなかった。案件を抱えており、どうしても休めないと思い込んでいたからだ。
 結局、その時は薬をもらい、1ヶ月耐えたが、ストレスチェックで高ストレス。産業医面談で休職判定を食らったわけだ。
 そして主治医にもらった診断書で、適応障害ってなんだ? と冒頭に戻る。
 適応障害というのはストレスの原因がはっきりしていて、その原因の近くにいたり関わっていたりすると、抑うつ状態になってしまうというものだ。
 わたしの場合、ストレス原因ははっきりしていた。仕事である。
 そうつまり! 仕事から離れればすぐ元気になる! 休職すれば、あっという間に元気100倍ア◯パンマン!
 と思うかもしれない。人生そんなに甘くないのだ。
 休むと職場の人に迷惑がかかる。気にしなくていいと言われたが、とにかくこれが辛くなる。わたしが足を引っ張っていると思うわけだ。じゃあ仕事に戻れるかと言われると、戻る!!と口に出しながら涙が出続けたりする。心と体が完全にちぐはぐで、お前さんはジキルとハイドかな? 状態。そしてそんな自分にも嫌気がさすループに陥るわけだ。
 大好きだった読書もできず、横になってただただ泣くか、ぼーっとするか、自分を責め続ける日々。
 そんなときに見たのが「月曜から夜ふかし」だった。
 突然だが、わたしの実家は結構近くにある。休職になったその日に、勇気を出してそのことを母に告げた。それから連絡不精の彼女が、「今日の夕飯は〇〇を作ったよ」などとこまめに連絡してくれて、実家に来やすいようにしてくれたのは、当時のわたしの支えとなっていた。
 その日も、実家で夕飯を食べ、リビングでだらだらとしていたわけだが、その時たまたま見たのが「月曜から夜ふかし」だった。
 ちなみにこれが初見なわけではない。実家にいたころなんかはよく見ていた。
 だが、ひとり暮らしを始めてテレビを見なくなり、存在自体頭から消えていたのだ。おひさしぶりのマツコさんと村上は相変わらずで、年齢を感じさせない若々しさだった。
 軽妙なふたりのトークと、登場する素人さんたち。それを見続けていたときだ。
 わたしはひさしぶりに、腹の底から大爆笑することができた。
 本当に面白かったのだ。
 それまでは家族や友人と話して笑いはするが、なにも考えずに大笑い、ということは正直なかった。どことなくぼーっとしていて、笑い終わったらすぐにマイナスなことを考えてしまう。ネガティブ思考ここに極まれりだ。
 だが月曜から夜ふかしは違った。なにも考えずに、ただただ面白いと笑えたのだ。
 当時は正直なんで? と思っていたのだが、いまになってわかる。
 素人さんたちの話に、わたしはなんやかや勇気をもらっていた。わたしだったら絶望するだろう状況でも、笑顔で話している(心のなかでは泣いているのかもしれないが)。外に出て、インタビューなんかも受けて、人と話しているのだ。
 びっくりした。わたしがもしああなったらとかこうなったらとか、不安ばかりが浮かぶことも、案外生きていればどうにでもなるだなということを、彼らを見て感じたからだ。
 同時に、大笑いするとマイナス思考が一回ぶっ飛ぶということを知った。マイナス思考がわたしにとって1番の敵だった。ここをぶった斬らないと、わたしは一切前に進めなかったのだ。けれどそれがなかなかできない。一生こうなのかな。そんな考えがたびたび過っていた。だというのに、天啓かのごとく降ってきたその発見は、わたしをたちまち元気にさせたのだ。
 そんなわけで、いまは月曜から夜ふかしだけでなく、ほかのバラエティなども見るようになっている。
 最近の推しはなかやまきんに君だ。もしこのnoteを見ている人がいたら、ぜひ一度試してほしい。泣きたくなったらなかやまきんに君がミートソーススパゲティに粉チーズを「ヤー!!」とぶっかける(かけない時もある)シーンを頭に浮かべるのだ。泣くどころではない。なんだか物事全部バカらしくなる。ぜひ一度お試しあれ。
 ついでに書くと、いまのわたしは無職だ。無職で実家に戻ってやべぇ再就職しなきゃと相変わらず頭を抱え、うんうん唸っているが、それでも文章を書けるくらいまで回復し、怒りも思い出し、考え込んでも「ま、どうにかなるか!」と言えるタイミングも増えている。
 あけない夜がないのかあるのかは知らんが、夜でも案外生きられているので、絶望しきらず、ほどほどに生きていってもらえると嬉しい。