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しあわせとは何か

昨年末からいろんなことを感じ考えています。

生きるとは、幸せとは

“生きる”とは

障害や病気を持ち生まれてくる人。短命で亡くなる人。中途障害や病気を患う人。健康に長生きできる人。五体満足に生まれてくる人…。
いろんな人生があります。

“幸せ”とは

僕は、正月やクリスマスなどの行事やイベント的な時間や、旅行やテーマ-パークやショッピングなどの出かける時間などの非現実的な中から生まれる“楽しさ”や“歓び”などのではなく、なんでもなくつまらない毎日の中に、“幸せ”と感じる時間を見出していきたいと感じています。
それを一言で言い表すとしたら、いい感触を感じた時や、やり甲斐や挑戦し甲斐を感じた時に感じる『手応え』を感じた時。自分が恐れを感じ“できない”と感じていたにもかかわらず、踏み出したことで“できた”と感じることができた時の『手応え』を感じた時は、何物にも変えることができない幸せなホルモンが身体中に行き渡っている感覚に浸ることができます。

これは、異性とデートするよりも、テーマパークで楽しむよりも、飲み会に行って会話を弾ませるよりもずっと幸福感が高いと感じています。

そこで興味深い記事を先月見つけました。

子供から「才能と努力、どっちが大事だと思いますか?」と質問された将棋の羽生九段は、「才能は“持って生まれたもの”という意味だと思うんですけど、自分が持って生まれたものはなかなか自分ではわからないですよね。努力を続けた結果、これが自分が持っていたものなんだとわかったり、一生懸命やった結果として新しい能力が見つかった、ということもあると思うんです。将棋に限らず他のことでもそうですが、興味を持ったことを一生懸命やるということが大事なんじゃないかなと思います」

と答えたそうです。僕もいろんな人と対話を重ねながら、自分の価値とはなんのかと言うことを思いますが、経験数に勝るものはなく、いろんな人と対話を重ねるから、少しずつ気づいていくものなんだろうと感じています。
誰かに合わせて急ぐ事はなく、自分の歩幅で歩きながら、『手応え』を感じていくことが“幸せ”で、非現実な時間よりも、現実的な毎日の方が僕にとっては大切だと今は感じています。

なぜ大谷選手に魅了されるのか

正直なところ、僕は大谷選手にそこまで関心がありません。けれど、野球をしていたというだけで、僕に大谷選手の話題を話しかけてくる人は、さくねんとても多かったです。

きっと大谷選手に魅了される人は、大谷選手が活躍する姿をみながら無意識にも自分の身体が、そして心が自分がそうであるかのように、もしくはそうでありたいと感じているのではないかと僕は捉えています。

スポーツ観戦だけに関わらず、年末の歌番組などを見ていても同じことを感じます。

スポーツ、音楽、料理、絵画、彫刻、舞台・舞踊…。などそれは人ぞれぞれでしょう。
そして、それはもちろん自分が実践するということも含まれていると思います。

そして、なぜそういったことに人は関心を寄せるのか、それは人は孤独な生き物であり、孤独であることから解消したいという欲求を持っているからでしょう。

からだを動かすこと(運動)が本当に健康であることの本質か

からだを動かす指導をするスポーツトレーナーをして仕事をしてると、「健康=からだを動かすこと」というふうに捉えているお客様がとてもいいなあと感じています。
しかしスポーツトレーナーを生業にしていながら僕はそうは思いません。健康であるために最も大切なことは、人との繋がりを絶やさないこと。言葉を換えれば、孤独感を深めないことでしょう。

だから、雑談や世間話が僕は大事だと思っているんです。

例えば退職された方や、高齢の方が運動する姿をみていると、「強くありたい」と自分と向き合いながら取り組まれている方がとても多くいらっしゃるように感じています。そんな姿を受容するように声掛けするだけで、人は嬉しくなるものだと僕は思っています。

絵画などをみても、料理などの中にも、そのことをきっかけに自分との繋がりを育んでいたいという想いを僕は強く感じます。

だから、運動に限ったことでなくても、相手の興味や関心事を引き出し、受け入れることで、元気な人は増えるのではないかなと僕は感じています。


人は孤独な生き物です。そして、その孤独を解消するために、繋がりを大切にする生き物でもあると思います。

繋がりを育むために、他者に認めてもらいたいを感じたり、大切にして欲しいと感じたり、必要とされたいと感じたり、世間体を気にしたりしてしまうのでしょう。

競争すること。勝負すること。競技をすることも同じ理由でしょう。

そして、強い劣等感を感じ孤独を深めた時、何かに依存せずにはいられなくなのではないでしょうか。

現代では、孤独に耐えられず、繋がりから離れられない、繋がり依存症という言葉も存在します。

孤独である自分も、自分は自分にしかわかりませんから、とても大切です。
僕は、孤独と繋がりのバランスを、自分自身でコントロールできることがとても大切んじゃないだろうかと考えています。

自分一人でもできるようになることが「自律」と常々書いていますが、これも繋がりとのバランスが必要だと思います。

高齢者の多くが「できることは頑張らないとね」というのを耳にします。確かに甘えすぎることは良いことではないですが、“頑な”さを張って孤独を深めることはいでしょう。人は人に頼りながら、協力しながら生活するものだと僕は思うのです。


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