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フェミニズム【序章】

「82年生まれのキムジヨン」(以下キムジヨン)という小説が話題になっている。私も目を通した。この小説。舞台は韓国。男系社会の韓国で描かれている、女性たちがうける苦悩がかかれている。社会、家庭、女性は終始目的として扱われている。性のはけ口、子供を産む機械、男性の引き立て役といった扱いである。そういった問題を主人公のキムジヨンの人生に起こる出来事に投影させている。現代の女性問題の教科書のようなな一冊だ。日本を舞台とした小説として、「アズミハルコは行方不明」(以下アズミハルコ)というものがある。田舎という男系優位な空間で抑圧されるアズミハルコや愛菜という女性が反抗する物語である。田舎出身の私としてこのアズミハルコや愛菜が味わった空間というのは、肌感覚で想像することができる。

キムジヨンで描かれている社会は韓国であるが、アズミハルコを読むと日本も似たような状況にあるようである。統計的にもそのようなことが言える。2018年のWEFが出した、ジェンダーギャップを表したランキングで日本は世界110番目、韓国は115番目。ランキングの類似もさることながら、政治分野、経済分野でのギャップが大きいということがあげられる。日本で言うと、男性の賃金を100とした時、女性は約50。男女が同じ仕事をしていた場合、100に対して70。管理職が10人いるとしたらそのうち女性は1人ないし、2人といったところである。キムジヨンでもまさに、賃金の安い女性、重要なプロジェクトを与えてもらえない女性といった姿が実際の物語のシーンとして描かれていた。アズミハルコではそのような姿が空間的に描かれている。

我々が暮らしている日本社会において、男性と女性には格差があると言えよう。男性優位な社会だ。知識労働が中心の現代において、これは明らかにで理不尽である。

しかし、ここであることを考えてみる。例えば、最近話題になったこのような姿がある。イチローのために毎日おにぎりを握り、カレーを作る弓子さんの姿である。世間ではイチローのみならず、弓子さんを称賛する声があがる。またこのような姿もある。私の祖母は、発破技師で日本中を飛び回っていた祖父を支え、一人で4人の娘の世話をした。私の尊敬する人の一人である。こういった人たちは、上の統計的に見れば虐げられた人である。さらに、キムジヨン内においては、このような人々への勝算は「母の力は偉大」的な称賛は女性への都合の良い解釈だとして一蹴されてしまっている。しかし、この女性たちは確かに尊敬されるものである。それは、森鴎外の安井夫人などでも描かれている。

私はこのジレンマに戸惑った。確かに、女性は理不尽な仕打ちを受けている。しかし、その統計にあぶれたなかで、弓子さんや祖母の姿を尊重することまでも、否定されるべきことなのだろうか。悩みに悩んだ、そのような私は、哲学者ヌスバウムのケーパビリティアプローチに出会った。本シリーズでは、私がそのケーパビリティアプローチに出会うまでの、惑いを文章という形でお見せしたい。

そして、最後には、私自身の経験談と照らし合わせて実践でどうしていきたいか考えてみる。

つづく。

【参照文献】




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