自分のなかで何かが壊れた時

これから限りなく想像的な話をする。

僕はある日、自分の中で何かが壊れたことを感じた。

今まで生きてきた中で、身に付けた常識や普遍性、是非、それらが凝り固まり結晶となって自分の胸の中なかに存在していたものが壊れたのだ。

僕はその結晶の存在を気づかなかった。その結晶は僕に存在を気づかせないように僕の胸の中で肥大を続け、僕の胸を苦しめていたのだ。

ある日、何かわからない、何かがきっかけで、ふとした瞬間に、結晶が胸のなかではじけた。真意はわからない。僕はその時初めてこの結晶の存在とこれによって胸が苦しめられていたことを知った。

僕の胸は明らかに軽くなった。息は苦しくなくなった、慢性的な肩こりはなくなった。

そして思った。人生は楽しい。

僕はこの結晶が壊れた理由や過程はわからない。それは、自分の想像の及ばないところなのである。

自分の胸に抱えた自分を苦しめる結晶は時として、自分の想像の及ばないものによって壊れるときがくるのだ。結晶は永続的には存在しないのだ。

だったらいつか壊れる結晶に絶望して何かをあきらめたり、やめたり、なおざりにするのはもったいないのではないか。壊れた時、弱い自分が残るだけなのだから。

僕は今も自分のなかで肥大を続けているかもしれない結晶に恐れも、絶望もしない。だってそれが壊れる瞬間を体験したのだから。そして、そういった結晶があることを知っているのだから。

自分の胸の中にあるその何かはいつか自分の想像の及ばないところで壊れる。その時が楽しみである。その時まで、それがあることを知りながら戦えば良いのだ。壊れた時は強い自分だけが残るのだ。儲けものである。


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