冷笑家たちの遠吠え

なにかを為す人々、為そうとする人々、何者かになろうとする人々、人と違う人、何かと全力で向き合い苦悩している人の悪いところだけをあげつらい、冷笑する冷笑家はいる。

そんな冷笑家たちに見られる傾向は、自分は何かを為そうとしていないし、何者かになろうともしてないし、普通で安定していることをことさら重視していることだ。

そして、自分の考えにも及ばない上のような人々に対して自分は全知全能であるかのような前提を置いて批判するのだ。

冷笑家にの急所を突く有効な言葉は「じゃあ、あなたはどうなの?」である。彼らは当事者になったり、戦士として戦うことを避けているのだ。怖がっているのだ。だから、自分はあたかも当事者として何かを成し遂げた、戦士として戦いを終えたふりをしているのだ。彼らに「当事者」として、「戦士」として物事を語らせれば彼らが日々行っている冷笑の空虚なことがたちまち露わになり彼らの顔は青ざめるだろう。

そんな冷笑家には誰でもいつでもなれる。当事者や戦士となったつもりでいて、現在進行形で人生を歩んでいる人の悪い点を見つけて、馬鹿にしたり、蔑んだりすれば良いからだ。

そんな冷笑家が吠える遠吠えは、私たちにとって痛くもかゆくもなんともない。彼らは何もしていない、しようともしていないのだから。

「冷笑家にはいつでもなれる。だから、今は戦え。走れ。」

そんなことを自分に言い聞かせている今日この頃、冷笑家たちの遠吠えは自分の耳には届かない。周波数が合わないのかもしれないな・・・・

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