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第29回教養強化合宿体験レポ~外山合宿に行くと便秘が治る~

 実はおいどん、8月7日から16日まで、お忍びで”とある合宿”に行ってきた。その合宿とは、2007年の東京都知事選に立候補し、脚光を浴びた”あの男”の主宰する合宿。そう、政治活動家外山恒一の「教養強化合宿」である。


だめライフ合宿!?だめライフVS土井たか子(1日目)

 2023年8月7日16時半、JR南福岡駅前に降り立ったおいどんは暑さで顔をしかめた。夕方とはいえ夏真っ盛りの8月。南国九州の厳しい日差しが日中外に出ない昼夜逆転生活を送るおいどんに容赦なく照りつけた。

 集合時間は18時。だめライフの割に1時間以上も早く着いてしまった。まさかの参加者の中で一番乗りである。どうしたものか。辺りを見回すとこじんまりとした街並みが目に映る。

 場末の駅といったら失礼かもしれないが正直ここで1時間潰すのは酷だと思った。こんなことなら観光も兼ねて博多で降りておけばよかったと後悔しつつ、駅ナカのスーパーは冷房が効きすぎていて寒いので仕方なく南福岡駅周辺の街を当てもなく歩くことにした。

 どの方向に歩いていこうか考えていると、台車を引いている30代くらいの男性に話しかけられた。台車の中には箱入りの菓子が積んであった。

「お兄さんお菓子どうですか」

 急にセールスを受けたのでうろたえながら「いえ、ちょっと用事があるので……」と言ってその場を切り抜けた。ああいう行商(?)がいるのも地方特有なのか。

 街を歩いていて気付くのは、チェーン店の少なさだ。大手コンビニチェーン店はいくつかあるものの全体として個人商店が目立つ。首都圏の新興住宅地出身のおいどんとしてはちょっとしたカルチャー・ショックだった。


 30分ほど街をぶらつき南福岡駅まで戻ってくると、先ほどの菓子売りの行商とすれ違った。

「どうも~」
「あぁ、さっきの……頑張ってください」

 用事があると言って抜けてきた手前、少し気まずかった。

 集合時間までまだ1時間ある。しかしさすがに暑いのでこれ以上街をぶらつくのはやめ、駅ナカのテナントを適当に見て回った。

 そんなこんなで集合時間まで30分を切ったあたりでTwitterに一件のDMが届いた。どうやらこの合宿に参加するフォロワーがいるらしい。こうしておいどんは合宿参加者のフォロワーと合流した。彼は九州大学の学生で、なんと九州大学だめライフ愛好会の中の人の一人だった。まさか一番初めに出会った合宿同期がだめライフ関係者とは!

 駅のロータリー付近で適当に彼と喋っていると、「あの、外山合宿の方ですか」と声をかけられた。2人目である。1人と合流すると途端に声をかけられる。こんな場末の駅に大荷物を背負っている若者がいればそれはもう外山合宿の関係者なのである。

 
ちなみに声をかけてきた人、またもやだめライフ関係者だった。今度は東京大学だった。もうわけがわからない。なんで合流したメンバーが全員だめライフなんだ! これはひょっとしてだめライフ合宿なのか!? 

 なんてことを思っているうちに大荷物を背負った若者たちがみるみる集まってくる。「外山ですか?」「はい、外山です」なんて会話が聞こえてくる。なんだ外山ですかって。ここにいる奴らは全員苗字が外山なのか。

 15人集まったところで車がロータリー前に止まった。そして車からよ〜く見慣れたスキンヘッドの男が小走りでこちらへやってきた。

「みなさん合宿の人たちだよね。え~、じゃあ誰が誰だかわからないので点呼とります。はい、××さんいますか〜」

 いきなり点呼をとり始めたこの男こそが本合宿の主宰者であり、今時珍しいファシストを名乗る、政治活動家外山恒一である。
 
 外山の車で合宿所兼外山の住居である年季の入った一軒家に到着した。居間に入ると汁物の入った大鍋とスナック菓子、2リットルのジュースがテーブルの上に置かれていた。

 「今日はみなさんの自己紹介も兼ねた交流会です」

 合宿参加者15人全員が席についたのちに外山が言った。そしてTwitterでお馴染みの例の「教養チェック」が始まったのだった。
 
 おいどんは芸術・文化方面の知識に乏しかったためそのあたりはあまり答えられなかったものの、外山の著書や学生運動に関する本をある程度読んでいたのでそれなりに手を上げることはできたと思う。

 教養チェックが終わると、次は15人の合宿生が一人ひとり自己紹介をしていく。面白いのは、自己紹介のあと外山がその人に対する質問コーナーを設けることだ。「では××さんへなにか質問のある人はいますか」とみんなへ水を向ける。そんな感じで15人分を進めていくものだから自己紹介は1時間ほど続いた。

 外山合宿には一体どんなヤツが来るんだ!? と期待していたおいどんだったが、案外普通な人ばかりだったことにいささか驚いた。現役の活動家だとか目立つプロフィールの人はおらず、普通の大学生といった顔ぶれだった。あえて傾向があるとしたら哲学に関心のある人文系の人が多かったというくらいか。さて肝心要のおいどんの自己紹介はというと……。

 「どうも中央大学の山田と言います。僕は中央大学だめライフ愛好会というサークルを主宰してまして〜」

 外山合宿の応募メールにもだめライフのことを全面に押し出して書いていたし、「だめライフの人」ということでここでも主にだめライフについて語った。そして最後にちょっとしたジョークとして「えー、ではウラ教養チェックをします。だめライフ愛好会を知ってる人ー?」と尋ねたところ、なんと驚くなかれ。15人中13人(!)がだめライフを知っていたのである。土井たか子よりも(15人中8人)だめライフは大学生に知られていたのである。中央大学だめライフ愛好会は元社会党委員長土井たか子よりも知名度の高いサークルです!

 
全員の自己紹介が終わると各々歓談タイム。こうして1日目は幕を閉じた。ちなみに初日ということもあるし何よりも不眠症であまり寝ていなかったのでおいどんは速やかに床に就いた。ちょうどこの29期から視聴覚室兼寝室に最新鋭の冷房が導入されたので真夏の中でも快適だった。

 さぁ、いよいよ明日からウワサのファシストによる9時~18時のミッチリ・スパルタ教養講義が始まるのである……。

虫歯に侵されながらも平静を装う外山の自画像

マルクス主義入門(2日目午前)

 実のところ、講義のはじまる2日目以降は詳細に記憶しているわけではないのでここからは色々と端折りながら述べることとする。

 まず、合宿の1日のメニューとしては以下の通りである。

9時~18時 外山による講義(途中昼食で1時間休憩あり)
夕食
20時~22時 ビデオ鑑賞会(ビデオ鑑賞会中、おいどんは講義でくたびれて眠ってしまうことが多かったため本レポではビデオ鑑賞会に関する所感は省略)


 8月8日午前9時、外山の手製テキスト「マルクス主義入門」が配布され、それに基づいた講義が始まった。外山合宿の講義はまず指定されたページまで各々テキストを黙読し、そのあと外山が解説を行うという流れで進んでいく。

 マルクス主義入門は、前半部は言わば世界史の復習といった内容で、後半部は肝心のマルクス主義やロシア(ソ連)の運動史などが扱われる。ここでは「革命は彼方より電撃的に到来する」で有名なブランキやことあるごとに暴れまわるアナキストたちの暴走(?)が書かれていて面白かった。

オーギュスト・ブランキ

 しかし、おいどんは結局、不眠症のため2時間ほどで目が覚めてしまったため講義中もウトウトしてしまっていた。そのため、前半部の世界史は正直あまり頭に入っていない。ただ、外山の語りは軽快で分かりやすかった。実質的な1日目ということもあり、他の合宿生はみんな真剣に取り組んでいたなか、初っ端からウトウトしてしまったおいどんが少し恥ずかしい。

中核VS革マル(2日目午後)

 
 2日目午後から6日目午前までは立花隆『中核VS革マル』の上巻をテキストに講義が行われた。ひたすら中核派と革マル派の壮絶で凄惨な内ゲバを生々しい筆致で描くこの本を、新左翼運動史を学びにきたおいどんは熱心に読んだ。

 外山いわく、この本の本丸は最後の「川口君事件」であり、革マル派による残酷なリンチの様子やリンチに参加した革マル派活動家の懺悔の言葉が載せられており、息を吞むものがあった(なぜ川口君事件が本丸なのか、それは合宿に行ってキミの目で確かめてくれ!)。

 ちなみに、他の合宿生たちはどうやら中核派と革マル派のグロい内ゲバを数日に渡って延々見させられることが割としんどかったらしい。確かに、言わばこの本は新左翼の身内話のような内容なのでそう思うのも仕方がないのかもしれない。

 夜になった。どうやら外山合宿では伝統的に合宿生たちによる”宴会”が夜中に開催されるらしい。だが、2日目時点では他の合宿生たちもまだお互い気心が知れていないからか特に宴会などは始まらずみんな速やかに床に就いていた。

 「この期、結構静かだなぁ~」とこの時おいどんはいささか残念に思った。しかし、かくいうおいどんもあの全国的ムーブメントを巻き起こしている「だめライフ愛好会」の創始者であるにもかかわらず、あまりにも合宿内で個性を発揮できていなかったので内心焦りを感じ始めていた。このままでは初日のウラ教養チェックだけの出オチに終わってしまうぞ!

 相変わらず不眠症気味なので明日もウトウトするのはまずいと思い、眠剤を飲んで2日目も早めに眠った。

講義中の様子

3日目

 3日目は、さすがに連日の不眠で疲れていたからか、久々にぐっすり眠ることができた。まだ『中核VS革マル』を読んでいたが、この日は特に印象的な出来事はなかった。
 夜の宴会などもまだ行われていない。みんな割に静かだった。

昼食のカレー

4日目

 外山合宿参加者の話によると、4日目あたりから緊張の糸が切れて寝坊したりサボるヤツが出てくるということだったが、未だにほとんどの合宿生は寝坊することなく講義も大体真面目に聞いていた。

 ここまでで、今のところ寝坊したのは1人だけだった(おいどんではない)。「だめライフ」で朝が弱いおいどんとしても、そろそろ寝坊しそうだと危惧していたので、他にも寝坊するヤツがいないと自分だけ目立って困る。なんで一人しか寝坊者がいないんだ! お前らもっとサボれ! と内心念じていた。

 4日目になるとようやく周囲も打ち解けてきたためついに夜中に宴会が開かれた。おいどんも「この機会を逃すとおれはボッチのままだ!」とフレッシュな大学1年生のような心境で宴会に飛び込み、まぁまぁ楽しく話すことができた。ちなみにこの宴会を境においどんの睡眠不足、そして寝坊が始まるのである……。

宴会後の朝 部屋を片さずに寝てしまったので同期のM君にみんな怒られた

5日目

 この日も特に印象的な出来事はない。ただ、昨夜の宴会の影響と、最初の寝坊者の出現で普段のナマケ心(やはりだめライフの血が流れている)がもたげてしまい、ついにおいどんも寝坊したのだった。

外山邸に集まるかわいらしいネコたち

6日目

 午前中は『中核VS革マル』を最後まで読み切り、午後から「中核VS革マル その後」というタイトルの数枚のレジュメが配られた。「川口君事件」後の70年代以降の新左翼党派の内ゲバの模様や中核派、革マル派のその後の展開について時系列的にまとめられている。補足として労働問題に取り組むNPO法人「POSSE」に関する外山の独自研究の資料も配られ、近年の学生運動に関するレクチャーを受けた。
 
 夜、宴会が開かれた。おいどんも参加し、かなり打ち解けることができた。参加者の一人においどんと同じくホラーや未解決事件などのジャンルが好きな人がいて、彼と意気投合し朝まで語り合ったのが印象的だった。

合宿内でだんだん存在感を示すことができるようになった

ユートピアの冒険(7日目)

 前述のように、朝まで語り合っていたため就寝時間はなんと午前7時! これはもう午前中の講義に出ることは絶対に不可能だと悟ったおいどんは、「今から寝たら起きられない」と寝ることを諦めるマジメな合宿生たちを尻目に視聴覚室で眠りについた。この日は午後から参加した。

 この日から笠井潔『ユートピアの冒険』の講義が始まった。午前中は寝てしまっていたが、この本で外山の伝えたい核心部分である「ポストモダン思想とは実は1968年の運動を継承・発展させるための思想である」ということは理解したつもりである。

 夜、外山合宿29期史上最大の盛り上がりを見せた宴会が開かれた。おいどんも度数20度を超えるレモンサワーの原液をほとんど薄めず、そのうえ空きっ腹で大量摂取するという愚挙を起こし、過去最高にキマッてしまったのだった。後に苦しむことになることも知らずに……。

 そして、この頃から外山邸の中で徐々に例のごとく風邪が蔓延し始め、発熱者が続出し講義の欠席者が増えていった。

戦犯

1968年(8日目)

 頭痛と全身関節痛と熱っぽさと気持ち悪さという四重苦で目を覚ました。すかさず便所で吐いた。小学生の頃罹ったインフルエンザの時ぶりの嘔吐だった。ちょうど前日あたりから風邪が蔓延していたところだから、全身関節痛と熱っぽさは2日酔いが原因ではなく風邪に罹患したからではないかと薄々思った。

 この日からスガ秀実『1968年』が始まった。さすがに1日休むのはまずいと思い、重い身体を引きずって午後から参加したが、倦怠感でほとんど集中できなかった。

 この日の夜は宴会どころではなかったので泥のように眠った。

嘔吐イメージ

9日目

 7日目の暴飲の影響による3日酔い+周囲から移されたであろう風邪でさすがに耐えられなくなり、実質最終日にもかかわらず、初めての一日フルダウン。実質最終日であるこの日は合宿OBや外山界隈の人々の集まる交流会が開かれる。交流会には参加したかったので体調回復に努めるべくひたすら夜まで眠った。

 交流会では、7日目の暴飲で痛い目を見たし、まだ体調も万全ではなかったのでさすがに酒は飲まなかった。一日中ぐっすり寝て体調がだいぶ回復したのでOBや界隈の人たちと朝方まで歓談した。最終日の交流会には意外な有名人も外山邸に訪れるので、合宿参加者は楽しみにしておいてほしい。

OB交流会の様子

さようなら外山合宿 そして関西へ……(10日目)

 朝まで起きていたので早朝に帰る同期の見送りをした。おいどんは、玄関を出る同期たちに「靖国で会おう!」などとわけのわからないことを叫び、別れを惜しんだ。9日間寝食を共にした仲間との別れは感慨深いものがある。見送りを済ませると、惜別を枕にして眠りについた。

 目が覚めると13時を回っていた。既に同期の多くは外山邸を後にしていた。残ったのは数人の合宿生とOBだけだった。残った人たちはまだみんな眠っている。講義室である居間に入ると、合宿中あれだけ窮屈に思えた外山邸は静寂に包まれており、なんだか随分と広く感じられた。

 実はおいどん、このあと関西だめライフとの交流のため京都に寄る予定があった。しかし、台風の影響で新幹線が運休していたため同じく新幹線の運休により足止めを食らった同期やOBとがらんとした外山邸で過ごした。

 15時頃に新幹線が復旧したとの知らせを受け、おいどんをはじめとした残りの同期たちも外山邸を後にすることとなった。次々と帰っていった仲間たちを見送った(早朝帰宅組の見送り以外、おいどんはグースカ寝ていたのだが)おいどんだったが、ついに自分の帰る番だと思うとしみじみとせずにはいられない。九大だめライフの同期や合宿OBに見送られ、おいどん含む合宿生3人も外山邸を後にした。

 外山の車で南福岡駅まで送ってもらい、同期の二人とも別れた。そしておいどんは新幹線で京都へ向かったのだった……。

 こうして、第29回教養強化合宿は幕を閉じた。風邪の蔓延や暴飲による3日酔いなどの不幸な出来事(後者は自業自得だが)はあったものの、この約9日間の29期合宿は充実した時間だったと思っている。

外山恒一 絵:おいどん

おわりに

 実はこの29期、”幻の16人目”がいた。正確にはいる”はず”だった。現役高校生が参加予定だったのだが、しかし親から行くことを阻止され、2日目参加を目指して家から脱走を試みたそうだが結局、妨害にあい不参加に終わってしまったようなのである。仲間となるはずだった彼(彼女?)と会うことができなかったのは残念だった。

 この教養強化合宿は左翼運動史を知る上で有意義なイベントである。それこそ、大学で15回も費やしてチンタラと薄っぺらい講義を受けるくらいなら実質8日間朝から晩までミッチリ知識を詰め込まれるこの合宿に参加した方が遥かに有意義であることは間違いない。しかも、これだけの長い間苦楽を共にするわけだからいい仲間だってできるはずだ。第29期合宿生として、大学生活に物足りなさを感じている者は是非参加することをおすすめする。というわけで、最後に一言。





外山合宿へ行け!

 
 P.S. 余談だが、合宿で早寝早起き&野菜中心の食生活を送ったことによりおいどんの慢性的な悩みである便秘が合宿中の間だけ治ったので、外山合宿に行くと便秘が治る。この意味でも、外山合宿に行く意味はある。

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