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「ISAKの真の多様性とは、国籍ではない、情熱だ」

アイザックのSNSを見ていると、やたら「80カ国から生徒が来ました。給付型の奨学金を7割の生徒に給付しています」という投稿を見かける。

また、アイザックの生徒内でも、マジョリティが国籍の数、宗教の種類=アイザックの多様性だという価値観を持っている。

でもむしろ僕は、国籍と宗教の数は、真のアイザックの多様性ではないと考えている。なぜなら、アイザックでは異なる国籍と宗教が集まり、多くの人が奨学金をもらっていたりするものの、母国では裕福な家庭で育った人が多いからだ。(政治家の娘とか、親がりんさんの友達とか、ロンドンの富裕層とか、その他諸々) よって、西側寄りの教育を受けてきた人が多い。マジョリティの価値観がリベラルで西寄りなので、社会問題について話し合っても、対立が起きることはほとんどない。(同級生とも話すが、富裕層エリート養成進学校になりつつある。)

「じゃあアイザックの多様性ってなんなのか。」

僕がアイザックにいて1番の多様性を感じ、刺激される瞬間は生徒が自身の情熱を熱く語っている時だ。それぞれ違う原体験を持ち、社会を変革するビジョンを描き、行動している。その思いにはとてつもないエネルギーがある。

川田源太郎君ように日本ぶち上げを志す者もいれば、教育のシステムに変革を起こしている人もいる。ベトナムの田舎に図書館を建てた人、フードロスの活動に熱心に取り組んでいる人もいる。

でもアイザックではこのような人たちはマイノリティだ。「アイザックはチェンジメーカーの学校なんだ!」という強いパッションは校内では感じれられない。みなどのように有名大学に進学しようかだけ考えてるように感じる。

となことを、今日の午後沢山のISAK生の仲間と語り合っていた。学校の未来やビジョン語りあっている時間は、体力を消耗するが、とてもエキサイティングである。

最近僕が高校一年生の頃の、ISAK幹部の独裁政権の前に、学校中が彼らを恐れ声をあげてられなかった時代を思い出す。それに比べたら、今こうして同級生、後輩達が立ち上がり、行動を起こそうとしている姿を見ると本当に感動する。

しかし、アイザックの現実と向かい合えば、会うほど、理想との距離が果てしないことを嫌というほど認識させられる。その距離は、江戸時代に欧州から日本まで航海するように、障害が数えきれないほどあって、日本列島は長い月日が経っても経っても見えそうにはない。

なぜなら、ISAKには、たくさんの問題がありすぎるからだ。
生徒の質、教育プログラムの質、教員のパッション、全てが中途半端なのだ。

でも裏を返せば、課題が散乱しているアイザックには機会しかないとも考えられる。

僕たちISAK生には、アイザックという世界で恐らく唯一本気で社会のチェンジメーカーを育てたいという理念を持ち作られ、その理念を体現する学校を作っていくプロジェクトに参加するチャンスが目の前に転がっているのだ。マイナスから、➕1000になったアイザックには情熱が溢れている。1人1人がパッションを追求し、行動をし、仲間から刺激されている。その光景を見るまで、様々な試練に直面するのだろうが、その道のりはかけがえのない経験になるだろう。アイザック生なら、どんなに先が見えなくても、変革者になれるこの状況にワクワクして飛び込んでいくしかないだろう。

「アイザックという200人の学校を変えることができずして、社会を変革するチェンジメーカーにはなれない」



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