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感動できない、人に共感できないマフィア脳。

はじめに自己紹介しておくと、私の父は外国人で、私が3歳の時に家出して行方不明となった。
今では珍しくないが、スナックで働くシングルマザーの子で混血児となれば、いじめの対象で、近所からも石を投げられたりした。比喩でなく本当に。特に年寄りから「敵は帰れ!」と。

人は、いじめていい相手と認識すると、暴力を正当化して好き放題やってくる。私だけじゃなく、シンママの母は同級生の父親どもから見下され、「そういう仕事してんだろーが」と手を出されたこともあった。わたしが隣の部屋にいるのを知らなかったらしく、「お母さんになにするんや!」とドアを開けたら慌てて逃げて行った。そのことを、同級生に話したら「わたしのお父さんがそんなことするはずない!」と嘘つき呼ばわりされ、それから私のあだ名は「嘘つき」になった。

そんなわけで、わたしは日本…というか日本人が大嫌いで、いつかこんなアホしかいない国、言われなくても出て行ってやるわ、と思っていた。

そんな環境のせいかはわからないが、私は幼少期から感動することがなかった。何もかもがクソに思えた。
24時間テレビとか感動ものヒューマンドラマなんか吐き気がして見てられなかった。あんな優しそうな人でも、裏ではなにをしてるか分からない。同級生の父親みたいに豹変するに違いない。「人間なんてみんなクソで汚い。家族だって厄介ごとが増えるだけでなにも良いことない!」……なんて今描いてる漫画の主人公みたいなことを本気で思っていた←笑。

「なんでみんなこんな安っぽいもので感動できるんだ?」
いつしかそれが口癖になっていた。

どうせ、みんなが泣いてるから泣いてるんだろ。みんなが良いって言ってるから良いって思ってんだろ?あんたら自分の意思ってものがないんだから、誰かが良いって言えば良いって思うんだよ。

誰かが「あいつはいじめて良い奴だ」と言えばいじめるように、誰かがそう言えばあんたらはすぐやる。なにも考えずに。前に倣え。
みんなと同じ感性を持っていないと、仲間外れにされると思ってるのか知らないけど、みんなと同じじゃないとダメだと思ってるんだ。

それから、みんなが感動するという作品を片っ端から読み(観)漁ったが、なんの感動も涙も湧いてこなかった。

親類が亡くなった時も涙は出なかった。
泣き叫ぶいとこが私をみて、叔母に「泣いたらあかんの?」と尋ね、「こういう時は泣くのが普通やで」と言った。
その言葉を聞いて、私は普通じゃ無いんだと思った。

みんなと同じでいることが普通で、普通にしてれば「変」と言われないのか。
目立たないのか。いじめられないのか。
爾来、私は普通を装った。
面白くなくてもみんなと同じように笑い、悲しくなくてもみんなと同じように泣く真似をした。
皆と同じにしてれば平和だった。

狭い学校生活と違い、社会人になるとそんな真似事をする必要は無くなったが、自分が皆と違う理由を知りたくなった。
日本や日本人は(友人以外)相変わらず大嫌いだったので海外に移住する気持ちも薄れてなかった。

まずは大学留学からから始めようと思った。
普通になりたくて、とりあえず告白してきた人と付き合い、結婚もしていたが、このまま「普通の暮らし」をして、人並みの幸せを手に入れたところでなんになるんだ、と離婚を決めて留学した。
専攻は心理学にした。
教授は、「心理学を学びたい人は大抵、自分のことが知りたい人が多い」と言った。
当たってた。

タイトル回収まだだけど長くなったので続きは明日…(多分)


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