ケの日を大切に生きる
おはようございます。
社会福祉士×ダウン症児パパのTadaです。
Tadaのイントネーションは、吉良上野介の吉良と同じです。
小噺です
息子の好調不調のバロメーターは色々あるけど、とりわけ簡単に判断できるのは
休日に父を呼ぶ回数
息子は滑舌が悪い。
僕のことを「おかん」と呼ぶ。
「おかん」は世間的には「お母さん」なのは僕らも彼もわかっている。しかし滑舌がゆえ理解しつつもこうなるのだ。
そんなわけで我が家では、
おとうさん→おかん
おかあさん→かかん
となっている。
この「おかん」と呼ぶ回数が
おかん在宅時にはハンパない。
「おかん!」と息子がいうので
「なにー?」と答えるもスルー。
このように意味もなく僕をコールし続ける。
しかもおかんに抑揚をつけつつだ。
「おかーん!」
「おーかん!」
「おかん!」
伸ばすところだけでなく音量や音の高低も変えてくるのでこれを七色のおかんと名付けた。
元気の良い日は
朝からぶっ飛ばしているので
一日1,000おかん位はカウントされる。
しかし、今週末は不調なのだろう
せいぜい一日100おかん程度しか呼ばれない。
いつも呼ばれる時は
「もうお腹いっぱいです」って思うこともあるけど、今はもっとたくさん呼んで欲しい。
人間とはワガママな生き物だ。
息子よ早く元気100%になっておくれね。
さて本題
先に言っておくけど、今日は感動の備忘録。
いつも以上に自分の頭と心に刻み込むために書いていく。でもきっと誰かのためにもなると思う。よかったら読んでみてください。
僕はかつて料理を習っていたことがある。
といっても、キレイなお姉さんが先生で、オシャレなクッキングスタジオに人を集めてわーっと煌びやかな料理を作るようなアレではなく、
我が家から車で5時間ほど高速を飛ばした地に住む元体育教師の男性が行う「生きること」に着目した料理教室という、前者と対極に位置してそうなやつだ。
僕の人生にはたくさんの師匠がいるけど
この人もそんな師匠の一人。
料理はめっきり妻にお任せになってしまったが、幸いなことに妻も同じ料理教室に通っていたので、我が家の料理にはこの師匠の料理に対する姿勢や考え方がベースにある。
そんな師匠が今回2年ぶりに我が家に遊びに来てくれた。我が家を通り過ぎさらに2時間ほど高速を走らせた先にある病院で恒例の人間ドックを終え、その帰路に我が家に寄ってくれると連絡が。
師匠は元体育教師といってもビジバシ熱血系のいわるゆ剛なタイプではなく、
「人とは」、「生きるとは」というテーマと真摯に向き合う柔なタイプ。
筋肉質ではあるが、目元や語りは優しく、包み込むような雰囲気で多くの人に信頼されている。
せっかく来てくれるので何か食事を準備しようかと夫婦で悩んでいたところ、前日にメールが来た。
そのやりとりを省略するとつまり
「ずっと外食続きなので、産直市に寄ってそっちに行くからキッチン貸して」
といったもの。
か、神なのか?
もちろん即甘えた。
人間ドックついでに一週間夫婦で旅行して回っていて外食続きだったため、身体を回復させるために手料理を作って食べたいと。
この発想が師匠。
背筋がピーンとなった。
多分背中に定規入れても全然問題ないくらいピーンとなってた。水族館でショーするアシカよりピーンってなってた。
そして当日、
予定どおり師匠ご夫妻がやってきて
とてつもないスピードで料理を作ってくれた。
まず受けた衝撃は下処理。
介護食も日頃作っているということで包丁を使った細工が凄い。食べやすく、かつ調味料が染み込みやすいようにと丁寧に野菜に切り目をいれる。
次に味の展開も。これまた介護食からの経験で「高齢者は味覚が鈍感になってるから濃い味を求めてくることがあるけど、一口目に濃い味を持ってくればあとは薄味でも受け入れやすくなる」と言って、瞬く間に作った2種類のサラダのてっぺんにサッと塩をふった。混ぜないことがポイント。一番上に濃い味だ。
そして食材選び。産直市を狙うのは規格外があるからとのこと。規格外の製品は普段スーパーにならばない。しかし、そんな規格外の中に栄養の宝がある。それは、間引かれた野菜たち。
野菜は成長しきったものでなく、成長中のものこそ一番栄養価が高いらしい。だから規格外の間引かれた野菜を狙うことで高い栄養価のものを安く買うのだという。
さらに旬。
旬のものは美味しく、栄養価が高いというのは多くの人が知っていることだろうけど、これをとことんまで理解している。
今回は産直市にまだ夏の名残であるゴーヤや胡瓜があったらしく、この夏のヒットサラダというものも作ってくれた。このゴーヤと胡瓜のサラダには刻んだ生姜がふんだんにかけられていた。ゴーヤの苦味を生姜をふんだん使うことで、中和でなく共存させるのだ。強い味を消したり薄めるのではなく、強い味をぶつけて共存させる。この発想も凄かった。
そして旬のサラダは柿のサラダ。柿と間引かれた小松菜、そしてかぼすの皮。旬と地産地消の合わせ技。
フルーツをサラダにするのはオシャレ民の特性かと思っていたが、僕の舌にも合っていた。僕が実はオシャレ民だったのか、フルーツのサラダが下々の者にも合うものだったのか。
とにかく言えることは、
柿のビタミンCを舐めてはいけない。
そして、スズキのカルパッチョ。
魚の潜在能力もさることながらココで活きたのは、1ミリネギ。ネギは1ミリ未満に刻むことが他の食べ物を活かす食感や味わいになるのだと言う。妻は早速1ミリネギの修行を始めた。
続いて登場したのは、鰆のグリル。
ほんの少しだけ油を敷いて焼き上げることで皮がキレイに剥がれる。そして食べる前にちょっとだけ醤油を垂らす。鰆の脂と、油、そして醤油が混じり合って絶妙に旨い。この日我が家が唯一準備していたメニュー白米(もち麦入り)がここで登場した。とにかく米に合う。
そしてメインディッシュに、地元和牛を使ったステーキ。これはもう最強過ぎた。師匠の得意技という特製照焼ソースとの相性が抜群。白米が無限にいけてしまいそうな魔力を放っている危険なシロモノだった。付け合わせの菜花の蒸し焼きも危険そのもの。このプレートだけでおそらく数カ国の戦争は回避出来そうな位の幸せを振り撒ける。
最高の食事を終えコーヒーを飲みながら談話する至福のひととき。
その談話の中でのひとコマ。
今回のメインディッシュだった地元和牛は100g1,000円。普通に考えると高いという意識が働く。しかし師匠は言う。
「鶏肉やささみ肉と比較するから高いんよ。外食でこの値段出すとして考えてみて?大したもの食べれないでしょ?」
確かにそうだ。物価高も相まって外食、なんなら中食でさえもかなり高価格になる。内食は経済的にも健康的にもメリットがたくさんだ。もちろんそれぞれの生活があるから毎日、毎食というのは無理かもしれない。それでも意識していきたいと思えた。
さらに師匠は言う。
「最近ね、人生のうちで何回、家のご飯を食べたかが健康や長生きに直結してると思うんだ」と。
確かにそうかもしれない。当たり前だけど、外食や中食は味が濃い。人生100年時代を健康に過ごしていくにはやはり内食の重要さを感じずにはいられない。
また、今回のメニュー構成についても解説があった。今回のメニューはかなり薄味。しかし、メインディッシュだけズドーンと濃い味にすることで味の濃淡をつけ、食事を楽しくするという構成だったらしい。
ぷらっと産直市に立ち寄り良いものを見繕って、普段使わないキッチンで光のように料理をするなんてもはや神業だ。やはり神。
最後に、かつて料理を習っていた時と変わらないスタンスで今も料理をし続けている師匠の言葉を聞いて感動したのでシェア。
「ケの日を大切に生きる」
日本には「ハレ」と「ケ」という言葉がある。
「ハレ」は行事ごと
「ケ」は日常
「僕が伝えているのはケの料理。ケの日の方が人生では圧倒的に多い。だからこそケの日を大切にするんだよ。これは料理だけじゃなくて生き方すべて。」
そう。だから僕はこの人を尊敬しているんだ。
改めてそう思った。
しかし、人は忘れる生き物だ。
この感動もきっとまた薄れて忘れていくのだろう。
だから忘れないようにまた会いたい。
ちなみに
この人たちに会ったからか
この料理を食べたからか
はたまたその両方か
翌日すこぶる体調が良かった。
おわり。
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