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スペシャリストでありジェネラリストという草鞋を履く

おはようございます。

社会福祉士×ダウン症児パパのTadaです。
Tadaのイントネーションはラマと同じです。


小噺です

日頃そこそこ現場に出る仕事をしているんだけど、今月は事務仕事が立て込んでて月の下旬になってようやく現場まわりを始めた。

朝晩はすっかり寒くなったけど
日中はまだまだ半袖でも暑いくらい。
この寒暖差はどうにかならないものか。

今月行かねばならない場所のひとつに薮に囲まれた場所がある。夏場に行くとそこに辿り着くまでに蚊の猛攻に合うからとても億劫になる。

虫除けスプレーを身体中にふんだんに塗りたくって臨んでも、薮で鍛えられた蚊たちは全く意に介さず僕の血液を奪っていく。特上のかゆみをお土産に。歯のない老人が1,000円の募金をしてお礼に堅パンもらうくらいノーサンキューだ。

さて今日はどうなのだろうか。
朝晩の寒さに蚊たちはシーズンオフを迎えたのか、はたまた寒さを耐え凌ぎ最後の聖戦ばりに日中訪れる人間の血を全力で吸いにくるのか。
どうか前者であれと願うばかり。


さて本題

社会福祉士は個人の問題のみならず、環境の問題なども把握したうえで総合的な支援力が求められるという専門性の性質上、ジェネラリストソーシャルワークという形が一般化している。

これについては異論の余地はなく、現代社会の福祉ニーズはもはや福祉の範疇を超えて理解がないと支援出来ないような案件も多い。
事実、僕が日頃行う福祉の仕事も、福祉の法律だけでは支援が充分に出来ない。

税金のことであったり、
不動産のことであったり、
動物保護のことであったり、
生命保険のことであったり。

福祉を学んでいるだけでは到底想像もしないような問題が複雑に絡み合っていることが多い。

そんなわけでただでさえたくさんある福祉の法律プラス上に書いたのも一例ではあるが、その方々のニーズによった制度理解もしないといけないのでジェネラリストになることは絶対に必要だと思う。

しかし、これは社会福祉士としてはジェネラリストなのだろうか?もちろん働く分野の専門性が高く、その他が低くなるのは仕方がないけど、それも含めて社会福祉士の専門性とするならば、それはもはやジェネラリストでなくスペシャリストなのかもしれないと思ってしまう。

では社会福祉士としてのジェネラリストとは?

それは福祉以外の分野にも活動範囲を広げていくことなのではないだろうか。

例えば僕はいま、福祉の現場と並行して地方活性化のための観光や交通についての仕事をしている。

他にも知っている人の中には社会福祉士でありながら

スナックのママ
うどん屋の大将

といった人たちもいる。

その人たちの根幹にソーシャルワークの思想があるのかはわからないが、福祉に携わる以外でどんなことをしていても全てがソーシャルワークに繋がると考えている。

福祉とは無関係の分野も深め、まずはそこにも自身の居場所を作ること、それが社会福祉士としてのジェネラリストなのではないだろうか。

以前の記事にも書いたように

稼いで地域に貢献する

ウェルビーイングの向上のために稼ぐ

はまさに表裏一体であることが多いと感じる。

だから僕は、社会福祉士として、ソーシャルワーカーとしての軸をもちかつ、福祉の現場にいることで福祉という枠の中から全体を俯瞰してみるスペシャリストとして活動しつつ、

社会全体という枠からウェルビーイングに繋がる視点を持ってソーシャルワークを展開出来るように意識して活動していけるジェネラリストになっていきたい。

文章力がなく小難しくなったけど
シンプルにいうと


ソーシャルワークの
スペシャリストは内から外の視点とアプローチ

ソーシャルワークの
ジェネラリストは外から内の視点とアプローチ

と言う風に解釈してて、その両方を実現出来る人でありたいということだ。

これはきっと先々自分を救うことになると確信めいた思いもあるし、社会のウェルビーイングを進める一歩になるとと思っている。

おわり。

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