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奈良修行の旅③ 2021.09.26

起きたらまだ真っ暗だった。でも布団のそばの障子の向こう、薄明かりがさしていたので、そっと布団から出て障子を開けて縁側へ出る。仄暗いがなんとかお手洗いまで行けそうだ。用を足して外へ出ると、さっきよりも辺りが明るんでいる。お庭の景色も先ほどよりよく見える。雨がパラパラと降り続けている。一人、縁側で煙草を吸う。目が覚めたので吸い終わっても縁側でぼうっとする。辺りが刻一刻と明るんでいく様子が、いつもよりはっきりとわかった。山というのは鮮やかで透明な感じがする。全てが街よりもクリアで、それは山自体がそうなのか、私の視界と脳がクリアになっているからなのか。

 そうこうするうちに、一人、また一人と起き出し、皆が起きてくる頃にはすっかり夜は明けていた。身支度をしてから、皆でお堂に入り勤行をする。お堂は素朴な作りで、なんだか落ち着いた。ガクリョウ先生はこのお堂で勤行できることが嬉しいと感動してらっしゃった。その後、皆の泊まった棟でも勤行。こちらは後鬼助さんのご先祖供養なのでお経がいつもと違っていた。
 皆で朝食を食べる。お漬物が瑞々しくて美味しかった。手作りなのだろうか。食後は皆で片付けをして、それぞれに支度をしたり、まったりしたり。本当はガクリョウ先生が村の跡を見に連れて行ってくださるはずだったけど、雨脚が強くなったので、断念。ストレッチをしたり、お話ししたり、ぼーっとしたりしていると、後鬼助のお母さんがコーヒーを淹れてくれていた。さらに芋けんぴも用意してくださった。私たちが欲しいと思うものを、欲しいと思う前に用意してくれるお気遣い。かと言って気遣っている風は微塵も感じられなくて、ほっこりとした温かさと、清浄な、透明なオーラを放つ後鬼助夫妻。それは沢山の行者さんたちを迎えてきた、おもてなしのプロフェッショナル。鬼より人間の方が怖いね、と帰りの車の中で片山さんとかおりさんと話していた。コーヒーもとても美味しかった。

 飲み終わって、皆で写真撮影をして、小仲坊を後にする。雨の中、長いドライブ。けれど片山さんの運転は山道でも酔わない。ご自身が酔いやすいので、酔わない運転の仕方を考えたそうだ。さすが理系女子、とかおりさんが言った。帰りの車の中はいろいろな話で盛り上がった。かおりさんは奈良で個人のツアーガイドをしている。Facebookや動画配信もされていて、以前片山さんと動画配信をされているのを拝見したのだけど、その時の印象は、奈良に詳しい、頭の良さそうな人、だった。実際にお会いして話してみると、想像していたよりも砕けた人で、柔らかい物腰とユーモアがあって親しみやすかった。また、ここで出会う人はみんなそうだけど、繊細な感受性を持っている人だなぁと思った。動画配信ではガクリョウ先生に質問千本ノックという企画もされているらしい。今度見てみようと思う。
 話は弾み、あっという間に吉野のカムインに戻ってきた。荷物を置いて、一佛堂へ行く。護摩焚きの準備をお手伝いする。準備が終わったら、一旦、太鼓判にて皆で昼食。うどんとカレーが出てきた。かなりの量だ。

わたしは喉が渇いてうどんのお出汁を全て飲んでしまったのでカレーが食べきれなかったけれど、他の皆はうどんの麺とカレーを完食していた。昨日の昼食のお弁当を残した女子たちも完食していた。身体が筋肉の修復の為にエネルギーを必要としているのだろう。確かに先程一佛堂への行き来の際に早くも筋肉痛が起きていた。わたしはふくらはぎが痛かった。普段使わない筋肉を使ったのだろう。他の人は内腿だとか、それぞれに痛い箇所が違った。

 食後、一佛堂へ戻って、護摩焚きを見に来る人をしばらく待って、いよいよ始まった。お経と共に、護摩が焚かれていく。神聖な気持ちだ。気持ちも高揚し、集中力が増す。先程名前と年齢、願いを書かせていただいた札を、自分の手で火に入れた。護摩焚きを見ている間、色々なことを考えた。今回、とても充実した旅となった。天候にも恵まれた。ガクリョウ先生と同じく、わたしも晴れ女なのだけれど、何故こんなにもありがたいことが多いのだろうと思った。今の職場は人にも恵まれていて、以前のようにくよくよ悩むことも少ない。好きな人もいて、その人には感謝しても仕切れないほど優しくしてもらっているし、ひとり暮らしを初めて以来、家族との関係もすこぶる良好だ。ふと、わたしの日頃の行いが良いのだろうか、などと驕った考えが湧いてきた。けれど、護摩を見ながら思考を進めていくと、違うということに気づいた。それは全て誰かのおかげなのだ。家族や恋人、友人、そしてご先祖様に守られているからなのだと。4年前に亡くなった祖母の顔を思い浮かべた。そして更に以前にこの世を去った祖父の顔も。守ってもらっている。そう思った時、「何があっても守るからね」という声が心の中に現れた。どんなに辛いことがあっても、恐ろしいことがあっても、それを糧として乗り越えてこられたのは、わたしの力でなくて、守ってもらっているおかげなのだと。そのことへの感謝の気持ちで、少し涙が出そうになった。まだ未熟なわたしだけれど、これからも精一杯がんばろうと思った。
 お護摩が終わって、行者さんたちは後片付け。わたしたちはお供えのお裾分けをそれぞれにもらった。ナス、胡瓜、柿、長野のお菓子の雷鳥の里三つときんつば二つ。ありがたい。いただきものは、食べ物に命があるような気がして、美味しく感じる。本当はいただき物でなくてもそうなのだろう。
 吉野山に住むしだちゃんが帰った。別れは寂しい。また、しだちゃんのお家にもお邪魔したいな。しだちゃんは家にしだを沢山栽培していて、お客さんに見学させてくれる。今日のぞみさんは、昼食前に見に行ったらしい。お話を聞かせてもらった。ガクリョウ先生が吉野駅まで送るとおっしゃるので、のぞみさん、かおりさん、わたしは、片山さんにさよならを言って、カムインまで荷物を取りに戻り、ずっと一緒だった男性にさよならをして、ガクリョウ先生の車に乗せてもらった。
 駅に着き、ガクリョウ先生にお礼とさよならを言って、急行電車に乗り込む。三人で広々と席に座り、色々な話をした。のぞみさんは、幼い頃から日本舞踊をしているらしい。師範代も取っているとのことで、足腰と体幹の強さはそれでなのかと納得した。彼女の夢が叶う際は、是非わたしも観に行きたい。
 橿原神宮前駅で、奈良駅方面のかおりさんと京都駅から新幹線に乗るのぞみさんとお別れ。手を振って、駅のホームに消えていく彼女たちを見送った。それからそのまま天王寺まで行き、阪堺電車に乗り換えて、やっと帰宅した。猫のアイスがやっと帰ってきた!という様子で必死のお出迎え。アイスが無事でホッとした。そうして二泊三日の修行の旅は終わった。色々と学びのある旅だった。奈良の山の中の美しい景色、きれいな空気、人々の澄んだ瞳を思い出して、街でも人に感謝を忘れず日々過ごしたいと思う。やっぱりいつか山に住みたい。

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