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定家緞子


定家緞子

定家緞子とは?

 定家緞子は名前だけみると藤原定家に因んだのか?と思えてくるのですが、残念ながら違います(笑)

 京都島原の妓女・定家太夫の打掛に使われた裂地で、宋代末期〜明代初期のものだと言われています。

 残念ながら、定家太夫がどんな人であったかというような逸話は残されて居らず、詳しいことは分かりません。

 京都の花街は足利義満によって設けられ、二条柳町でしたが、江戸時代に六条三筋町に移転、寛永十八年(1641)に朱雀野付近への移転が命ぜられ、以後「島原」と呼ばれました。

 つまり、この時期以降の太夫であることが分かります。

 おそらくですが、寛永の三太夫のあとの太夫だったのではないか?と思ったりします。

師匠からの譲り物

 この定家緞子は師匠から譲られた桶谷定一作瓢形茶入の共仕覆です。長年使われてきたのかと思いきや、仕覆の硬さからすると、使用頻度は低いようです。

 未だに銘もつけていない瓢形で、今回、定家緞子を調べ直してみてもヒントになる物がなにもないなぁ……とがっかりしてしまいました(苦笑)

 島原瓢箪とでも、呼んでおきますかねぇ(笑)→それなら、吉野棚に添えられますし

次第を整えるとしたら?

 これは「島原」と銘したらとしましょうか。緞子が主仕覆ですから、替えは間道がいいので、吉野間道というのでは単純すぎますかね?

 吉野棚に吉野間道、定家緞子に島原瓢箪。 割と悪くない組み合わせに思います。

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